2-23 正体
「きゃあ!」
「動くな! このガキどもめ!」
荒い呼吸と野太い怒声が荒野に響き渡る。
いつの間にかそこに現れたのは、ぼさぼさの髪と泥だらけの服を振り乱した小太りの男だった。背は低めだったが、ナオよりはよほど大柄な男に耳元で叫ばれ、ナオは苦痛に顔をしかめる。しかもその体はじっとりと濡れていて気持ち悪い。
「ナオ!」
「ナオちゃん!」
「動くなっつってんだろ!」
思わず駆け寄ろうとしたケイとランを、今度は別の声が制する。
見ると、ナオを捕えている男の少し後方にもう一人、息をあげてしゃがみ込んでいる男がいた。威勢良く吠えてはいても、こちらはすでに立ち上がることもできないほど消耗している様子だ。
いかにもならず者といった風貌の男だった。年齢はよく分からなかったが、さほど若くはなさそうに見える。どちらも全身ずぶ濡れの状態であり、泥だらけの長袖が全身に貼りついている。
そこで気づく。あの建物を出る前、最後にランが床の大穴に向かって大量の水を送り込んだ先にいたのは、おそらくこの男らだ。
ランは『地』の能力かもしれないと言っていた。男の左手首を見やるが袖に阻まれて精霊石は確認できない。右手は首に巻かれているためナオからは見えないが、ここまで来ると確信が持てた。
この男は、スピリストだ。
ナオは嫌悪を十二分に込めた目をして、背後の男を振り返った。
「もしかしてあなたたち……ずっとあの建物の地下にいたの!? それでランくんの水で……」
「ああそうだよ! おかげでオレの相棒は魔力切れであの有様、そこのクソガキのせいでアジトは水浸し! 盗った物も機材も皆パァ! どうしてくれんだ!」
「そ、そう言われても……」
困惑しながら答えつつ、ナオは首に巻かれた腕を引きはがそうとして左手をかける。すぐさまそれを許さないと言わんばかりに腕に力が込められ、ナオは顔を歪めた。
「くっ……」
「ナオ!」
ケイが今にも飛び出そうとしながら、悔しさを滲ませて叫ぶ。しかし、ナオはそれを空いている右手で制した。
「だい……じょうぶ」
小さな手が、左腕一本で男の腕を掴む。ぎりぎりと力比べをしながらも、ナオは少しずつ腕を引きはがした。そのあまりの腕力に、男の顔が驚愕の色に染まる。
荒い息が顔にかかるのがたまらなく不快だった。いい加減離れてほしい。
そして彼は今、不注意なのか何も考えていないのか、決定的なことを口走ったのだ。
男の腕に、さらに右手をかけて力を込める。自由になった首をゆっくりともたげると、ナオは怒りを込めた目をして男を振り仰いだ。
「あなたが『地』のスピリストなの? その力を使ってこの建物の地下にいたってこと?」
「な、だったらどうした!」
「ここはアジトで、盗った物、って言ったよね。だったら、町の人に危害を加えて、怖がらせていたのはあなたたちね……!」
ナオの声が押し殺されたのと同時に、彼女の両手が赤く輝いた。ジュウ、という嫌な音とともに、肉が焦げたかのような臭いが立ち込める。
「ぎゃああああ!」
男はたまらず悲鳴をあげる。ナオがぱっと手を離すと、彼は泥だらけの地面をのたうち回った。
すかさず男から距離を取ると、ナオは真っ赤な炎を両手に纏って身構える。大やけどを負って這いつくばる男を容赦なく睨みつけると、ナオは左手を掲げた。
「私たちはここで起きたっていう怪奇現象を調査するために来たの。だから聞かなきゃならない。それはここに人を近づかせないために、あなたたちが何かをしていたってこと? 人魂を見たっていうのも、声が聞こえてきたっていうのも。そして私たちに対しても、とにかく追い出そうとして何かしたの?」
怖いほど静かに言いながらも、ナオは逡巡する。
不気味な声が聞こえたけれど誰もいなかったのは、地下にいる男らの声が響いていたといったところだろうか。人魂については、単純に明かりが漏れていたのか、もしくは痛みに呻く仲間を見て青ざめている、もう一人の男の能力に関係しているのか。
確信に触れるためにも、彼らは、今ここで捕えなくてはならない。
掲げた左手から、大蛇のような炎が噴き出した。
「ひ、ひぃええっ!」
倒れ伏す男が、首を絞められたかのような裏返った悲鳴を上げる。
赤く燃え上がる巨大な炎が、ナオを中心として渦巻き天まで突き上がるようだった。
ナオの大きな瞳に、揺らめく炎が映し出される。
あまりにも強力な炎に、辺りの空気は一気に熱せられる。たっぷりと水を含んだ地面から水蒸気が立ち込め、からからに乾いた。
ケイはぎょっと目を剥くと、慌ててナオを制止しようとするが、高熱に近づくことができなかった。
「ちょ、ナオ待て! やりすぎるなよ!」
「ふゅ?」
ケイの声にはっと我に返ると、ナオは炎に包まれたまま彼を振り返った。
目に映ったのは、腕で顔を庇い、『冷氷』の能力で身を守りながら何とかこちらに向かって来ようとしているケイと、剣を構えたまま口をぽかんと開けているハルト、そして茫然としてこちらを見据えているランの姿だった。
「……~~っ! わかってるよ、けど、でも!」
ナオの目に、じわじわと涙が溢れる。
「だって、何より! 私この人たちのせいで本っ当に怖かったんだもん!」
「そこか――ッ!?」
大粒の涙を散らしながら叫んだナオに、ケイとハルト、ランさえもが同時に突っ込みを入れた。
彼女の感情に合わせて今にも放たれんと揺れる炎に、男らがさらに恐怖の声をあげた。その時だった。
「――いけませんね。それは少し待ってもらえますか」
アルトトーンの、よく通る女性の凛とした声。
熱せられた空気を一瞬にして引き締めるかのように、辺りが張り詰める心地がする。
それを肌で感じ取った時には、ナオの周囲の炎は何かに阻まれ大きく弾け飛んだ。




