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2-19 電流


「……一体何なんだ、ここは……」


 ひとりごちながら、適当に進んだ先に見えた扉を開いてみる。今度はこじんまりした部屋だった。隅に薄い毛布らしきものが積んであるところを見ると、仮眠室のような印象を受ける。誰か泊まり込むときにでも使っていたのだろうか。風力発電に関係のある施設なら、一日中誰かがここで電気エネルギー管理や制御をしていたのかもしれない。

 そんなことを考えながら、ケイは部屋をぐるりと見やる。ここも特に怪しい雰囲気はない。クローゼットがあったのでこじ開けてみるが、舞い上がる大量の埃を浴びて咳込んでしまった。

 部屋の奥を見ると、窓にかかったカーテンが所々綻んでおり、割れたガラスから吹き抜ける風に煽られて、まるで生きているかのように靡いている。ナオが見たらまたほにゃふにゃと声をあげて怖がりそうだ。


「……あ」


 ケイは弾かれたように顔を上げると、その勢いのまま後ろを振り返る。同じく部屋の様子を探っていたランが、興味なさげに部屋を出ようとしていたところだった。


「おい」


 ケイはランの背に荒い声を投げかける。ランはぴたりと足を止め、胡乱気に振り向くとケイを睨む。


「何だよ」

「お前、今ここで俺以外の気配を感じるか?」

「はぁ?」


 唐突なその質問に対し、ランは何を言い出すんだと顔に出す。しかしケイが真っ直ぐに目を向けると、訝しげな顔をしながらも辺りを探る。


「そんなの分かったら今頃そっち向かって……あれ? お前今も発動して……?」


 言いながら、ランは目を見開いた。

 ケイの髪が、湧き出る魔力にあおられてふわりと膨らんでいる。

 誰かの気配を感じない、それどころか。目の前にいるはずのケイからも、気配が感じられないのだ。ランは心底怪しいものを見るような目で、ケイをまじまじと見る。


「……やっぱりか」


 ケイは声を押し殺して呟く。ケイも、確かに今目の前にいるランの気配を感じない。ケイにとっては既知である、ナオやハルトでさえも。二人の場合は辺りを警戒して能力を発動していないだけかもしれないが。ナオだけならまだしも、ハルトならこの建物へ追って入ってはいるのだろう。恐らくナオも連れて。

 しかしランの左手首の精霊石はこの建物に飛び込んだ時からずっと、弱い光を帯びていることをケイは知っていた。ランもずっと辺りを探っているのだ。ただ、何も見つけられないだけで。

 今更ながらケイも発動を抑えた方がいいかと思ったが、すでにこれだけ騒いだ後なのだから無意味だと棄却する。そこでようやく、己の無鉄砲を自覚すると唇の端をひきつらせた。

 ふと、ランがじっとこちらを見ていることに気づく。


「……何お前、もしかしてクロじゃなくて亡霊とか? 早く成仏しろよ」

「んなわけあるかぁっ!」


 わざとらしく合掌してみせたランに対し、ケイは今度こそ盛大に声を荒げた。

 もはや不審者を通り越して幽霊扱いである。クロの方がよほどマシだ。綺麗な青い瞳に明らかな嫌悪感を滲ませているランの表情もいちいち癪に障る。

 あっという間に沸点を突破したケイを軽く見下すと、ランはすでに興味なさげに顔を背ける。

 そのまま今度こそ部屋を後にすると、ランは再び廊下に出て歩き始める。後ろからケイがまだ何かを言いながら追いかけてくるのを肩越しに振り返ると、いい加減うるさいので水でも浴びせてやろうかと右手を握る。

 彼の拳に淡い光が灯った瞬間、ばちっと何かが弾ける音がこだました。


「なっ!?」


 ランは反射的に右手をはらった。中途半端に練り上げられていた魔力の水滴が宙を舞った瞬間、それの周りを黄色い閃光が走る。

 追って右腕に違和感を感じる。力が入らないのだ。短く痙攣する筋肉が、随意反応を示さない。飛び散った水滴が床に叩きつけられると同時に、ランは左手で右手を掴んだ。


「くそっ! 何だ今のは!?」


 ランは奥歯を噛みしめると、辺りを見渡す。特に何も変わった様子はなく、ランの怒声だけが辺りに響いた。


「おい、一体どうした……」


 顔色を変えたケイが駆け寄って来る。

 ランの周りに飛び散った水滴が、僅かな光を反射したのか光って見える。

 直後、何かが弾ける音とともに、水滴の周りに火花が散った。


「なんだ……っ!?」


 まさに水滴を踏もうとする位置まで来ていたケイは文字通り飛び退った。ランを囲むようにして散在するそれにまとわりついて見えたのは、細かな電流のようだった。


「……電気? なんでこんなボロいとこに……」


 不意打ちを食らったランが悪態をつく。

 応えるように、どこからか黒いものが高速で飛んできてランの脇を掠める。次いで、背後から何かが砕け散る高い音が聞こえ、ケイとランは揃って目を剥きながらそちらを振り返った。

 床に激突したらしいそれは粉々になっていたが、細かなガラスの破片と、錆びた薄い金属の残骸が混在しているようだった。薄いガラスは丸みを帯びた形をしていたらしく、やや曲線を描いている。金属の一部はガラスがくっついていたらしい部品に取り付けられていた。

 しばらくまじまじとその残骸を見ていたが、やがて何かに気づくとケイは天井をふり仰ぐ。

 斜め前方の天井に、何かを無理矢理引き抜いたかのような穴がひとつ空いており、そこからぱらぱらと細かいものが降ってきている。


「……これ、もしかしてあそこにあった照明とかじゃねぇか?」

「はぁ? なんでそんなもんが飛んでくるんだ……」


 言いかけて、ランはぴたりと動きを止めた。

 かたかた、と、何かが小刻みに震える音が聞こえてくる。

 ケイに向けようとしていた視線を再び天井へもたげると、穴の空いた部分から直線上に続いて並んでいる丸い照明が左右に振れていた。


「なんだ、地震か?」


 ケイは呟くが、すぐさまそれを心中で否定する。

 揺れているのは照明だけ。老朽化した窓も、建物も、地につけた足にも、振動は感じられない。

 ランは右手をぱたぱたと振って随意運動を確認する。もう大丈夫のようだ。不気味な音を響かせる廊下で、ケイと二人油断なく身構えた。

 ばきん、と派手な音をあげると、二人の真上にあった照明が根元から抜けた。

 自然な落下ではあり得ない動きだった。重力に逆らい、照明はふわりとケイたちの目の前で浮かんで静止する。

 あまりに妙な光景に、ケイとランは揃って絶句する。一体何に支えられて浮いているのだろう。

 考えるよりも早く、照明は矢のごとき速さで彼らの方へと飛んで行った。

 ケイは身体をひねってそれをかわすと、振り向きざまに冷気を放った。床に叩きつけられようとしていた照明はすぐさま氷漬けになり、高い音をあげて砕ける。

 顔をひきつらせながらその様を見やる間にも、背後で何かが動いた気配を感じ取って振り返る。他の照明も次から次へと彼らに向かって飛んで来ており、ケイは声をあげる暇もなく廊下を跳ねて飛び退った。

 手首が鮮やかに輝く。高まった身体能力をもってすれば、直線状に飛んでくるものを避けるのは造作もない。すぐにそれを見切ると、いち早く体勢を立て直したランが魔力の水球を練り上げていく。

 ランの手の上で浮かびながら柔らかくたわむ水球に、小さな稲妻が走った。


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