2-18 聞く耳持たない
薄暗い廊下を、ランはどたどたと大きな足音を上げながら駆け抜ける。後ろからついてきているケイが何かを言っているが、ランは聞く耳を持たない。
「おい! 誰かいるなら出てこい!」
ランは手あたり次第に扉を開けては大声を張り上げる。ナオのような恐怖心やハルトのような警戒心もなく堂々と乗り込む様はいっそ清々しいほどだったが、それにしては冷静を欠いているようだ。
しかしどの部屋を開いても、埃を被って荒れた事務室のようなところや給湯室、トイレや資料室といったところばかりで、しんと静まり返っている。どこも特に怪しげなところはなく、ランは苛立ちをつのらせる。手近にあった壁に荒々しく拳を突き立てると、彼は憎々しげに吐き捨てた。
「くそっ、なんなんだ……」
「おい!」
背後から大きな声とともに肩を強く掴まれる。はっと我に返って振り返るが、ランは反射的に強くその手を払って睨みつける。
「俺はついて来いとは一言も言ってないぜ。目障りだ」
「うるせぇ知るか! こっちも任務なんだよっ」
ケイはケイで苛立った口調を投げ返す。
「だいたいお前こそなんなんだよ、いきなり出てきて勝手につっかかってきたかと思ったら今度は無視かよ!」
「ふん、キャンキャンキャンキャンうるせー奴だな。お前ぜったいモテないだろ」
「んなっ!? それは今関係ねーだろ!」
ランは心底鬱陶しそうに顔を歪める。ケイはまたしても飛び出したその言葉に、今度はひっくり返った声をあげてしまった。
同じ悪口も本日三回目ともなるとさすがに少しだけ傷つき始めたケイだったが、とりあえず頭の中から追い出すと、さらに噛みつこうとランを睨みつける。
対して、ランはケイに一瞥をくれただけで目を反らすと、声音を落とした。
「……任務か。確かにな、俺もそうだ」
「ああ?」
「一応聞いといてやる。お前らもあの支部で直接任務を聞いたのか?」
ランはケイに向き直ると、真っ直ぐに目を向ける。綺麗な青い瞳が、薄暗い中で鋭い光を放つ。そこに先ほどまでの激情はすでになく、ケイもいくぶん苛立ちを鎮火させて頷く。
「あ、ああ、そうだ」
「そうか、そこは俺も同じだ。違反者とハッキング対策にと何も聞かされないまま呼びつけられた上、ご丁寧に魔力の認証までさせられてな」
「……俺たちもだ」
「ふん、やっぱりな」
ランは不服そうに目を細める。すり合わせてみるとより不可思議な話に、ケイは黙ったまま唇を引き結ぶ。
「時間的に俺の方が一足早かったのか、それは知らねぇけどな。おい、具体的に命令された任務の内容教えろ」
「ああ? さっきお前が言ったことと全く同じだって言ったろ。ここで報告されてる怪奇現象とやらの調査任務だ」
「その先」
「は?」
「さっきあの子、ナオちゃんが言ってたろ。クロのこととか、手を出すなとか言われたのか」
「ああ、そうだ。クロは別の奴が追っているから、もし何か知ったことがあればすぐに連絡をすることと、あとは防戦以外の戦闘を禁止すると。それがどうしたんだよ」
「……そうか」
ランは下げたままの拳を握りしめる。やや露出の多い服を着ているせいで露わになっている二の腕の筋肉までもが緊張した動きをみせるほど、強く。
ケイはそんな彼の様子を怪訝な顔をしながら見ていた。
ランは拳をほどくと、ズボンのポケットに手を入れる。全体的に暗めの色の服が動きに合わせて揺れると、彼の鳩尾あたりで何かがきらりと光を放つ。
視界で輝いたそれに思わず目を奪われると、大きなピンク色のペンダントのようだった。半透明で何かの鉱石のような形の飾りを革紐でつり下げており、それが僅かな光を反射しただけらしい。
ケイの視線に気づいたのか、ランは不快そうに眉根を寄せると、ペンダントを服の下にしまい込む。代わりと言わんばかりに、ケイに向けて何かを突き出した。
ケイが普段よく見ているものよりも濃い青色をした、同じデザインの携帯電話だった。
「見ろよ」
「携帯がどうしたんだよ……あ」
促されるまま画面を見て、ケイは僅かに目を見開く。携帯電話は圏外だった。
この場所自体の電波が弱いのかとも思ったが、先ほど確かにハルトが一度支部へ電話をかけている。そもそもの話、時に辺境の地に任務で赴くことも珍しくないスピリストが持つ携帯電話だ、当然それを想定し、政府の技術をしっかりと詰め込んである。そんな代物が、比較的町に近い場所で電波が届かないということは考えにくい。
つまり、人為的なことが原因だ。そう考えた方が遙かに納得がいく。
ランは携帯電話をケイから取り返すと、ポケットに荒く押し込む。どうだわかったかと言わんばかりに小さく鼻を鳴らすと、考え込んでいるケイを見やる。
ケイは無意識にがりがりと頭をかくと、混乱する頭を整理しようと試みる。色々なことが起こりすぎて、点と点が散らばったまま、結びつかない。
「あーもうなにがなんだか……」
「俺は任務を終わらせたらそれを確かめに行く。だから邪魔はするな、お前なんかにこれ以上構っている暇はないって分かっただろ」
「って、だったらお前はさっさと支部に戻ればいいだろが」
「お前は馬鹿か。携帯がこの有様なんだ、そんなことしたって聞く耳持つわけねぇだろ。任務の内容に間違いはありません、とか言って追い返されるのがオチだ」
「……」
ランが明らかに見下しながら言い放ったことにも、ケイは言葉を呑み込む。確かにランが言った通りの結果になる可能性が一番高いと思ったからだ。いや、確実にそうだろう。ここでわざわざ任務を放り出して支部に戻ったところで、期待通りの返答があるとは思えない。
ケイもランもあくまで任務としてここにいるのだとしたら、むしろ非難の言葉を浴びそうだ。
疑問点があるならば電話をして確認すべきであるが繋がらない。そうなると、やはりどちらかが任務を達成してから問いつめるのが一番良いと思われた。
悔しげに顔を歪ませながらも、ケイは右手を握りしめる。手首の石がわずかに光るのを視界の隅で確認すると、心を落ち着けて辺りを探る。
しかし感覚はぼやけたまま、何かを感じ取ることはできなかった。何もないと言うよりは何かに邪魔をされている感じがして、もどかしさだけが残る。それはランも同じようで、しんと静まりかえった空気が流れる。
ランは一応のところ、今はケイに攻撃を仕掛けてくるつもりはないらしい。ケイも今度は無駄な衝突は避けるつもりでいるが、だからと言ってお互いに対する疑念が消えたわけではないのだ。
ケイは黙ったまま、あてもなく辺りを見渡す。小さめの窓から差し込む光の道が、くすんだ色の汚れがこびりつく廊下を鮮明に映し出して寂しげに見えた。カビの臭いが隙間風に乗って鼻をつき、ケイは顔をしかめた。




