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2-16 怪奇現象と誰かのおきみやげ


「ここは……?」


 数歩、ゆっくりと足を踏み入れる。ナオは珍しそうにきょろきょろと辺りを見渡した。

 部屋の奥の壁を覆い尽くしているのは、巨大なモニターのようだった。

 古びて埃を被ってはいるが、たくさんのメーターのついた機械がずらりと並んでいる。他には簡素な机、椅子だけがぽつんと置き去りにされていた。


「すごい機械がいっぱいだねぇ。ここで何かを測っていたのかな? そう考えると電気の管理室ってところ?」


 言って、ハルトはモニターに近づくと、複雑な突起やダイヤルがずらりと並ぶ機材の埃を払ってみる。だめで元々、いっそ手あたり次第に全部のボタンでも押してやろうかなぁ等と考えてしまったところで、モニターの脇に紙の束が置いてあることに気づく。

 手に取って捲ってみると、どれも何かの設計図のような、複雑な直線や曲線が描かれていた。


「なんだろうこれ。ん? ヤナギ?」


 束のうち何枚かに書かれていたその単語には聞き覚えがあった。ヤナギはこの町の名前だ。ということは、何か関係がある資料なのか。

 ナオがハルトの手元をひょっこりと覗き込む。


「ハルト、これ……」

「んー、残念だけどオレには何書いてるかさっぱり」

「それは私もだけど、違うの。この紙、綺麗じゃないかなって」

「あ」


 ナオの指摘に、ハルトははっと目を見開く。

 手の平を見てみると、先ほど機材の埃を払った右手は黒く汚れてしまっている。そして手にしていた資料の裏に、手の形の汚れがはっきりと投影されていた。他には目立った汚れはなく、埃を溜めていた形跡もない。

 そう、つまり不自然なほど、綺麗な白い紙なのだ。こんな埃まみれの部屋に放置されていたものにしては。


「ナイス、ナオ」


 ハルトはにやりと唇を吊り上げる。


「ってことはやっぱり、つい最近ここに出入りした奴がいるってことだ。安心しろよ、こんなもん残してくなんて絶対お化けなんかじゃないぜ」


 そして恐らく、発電所に興味本位で訪れて怪奇現象とやらに遭った一般人の仕業でもないだろう。明らかに専門的な資料を置き去りにしていくなど、ましてや所有していること自体不自然だ。

 ナオはあからさまにほっとして表情を緩めた。


「う、うん! そうだよね。お化けなんて出ないよね……え」

「ん? ナオ?」


 ナオの声が妙に尻すぼみになる。怪訝な表情をしてナオを見ると、彼女は青い顔をして固まっていた。

 不意に、肌を刺すような短い刺激を感じた。それと同時に、ナオは口をぱくぱくと動かしながらハルトの背後を指さす。みるみるうちに、見開かれた大きな目に大粒の涙が溢れていく。


「なに? なんかいるの?」


 眉根を寄せて、ハルトは彼女の示した方を振り返る。そこで、彼も思わず固まった。

 寂しく置きっぱなしにされていた錆びた椅子が、ふわふわと浮いているのだ。


「おりょ?」


 ハルトはまじまじと浮いている椅子を見る。浮いている以外は特に珍しくもない普通の丸椅子だ。そして、ハルトやナオ以外の誰かがそこにいるわけでもない。

 ハルトが気づくのを待っていたかのように、椅子はゆったりと宙を踊る。それを合図とし、床におとなしく並んでいた他の椅子までふわりと浮かび上がった。


「きゃああぁっ!」


 あまりの光景に、ナオはついに甲高い悲鳴をあげ、腰を抜かしてしまった。

 浮いた椅子が勢いよくナオに向かって飛んでくる。ハルトは素早く右手を一閃させて叩き落とした。椅子は白煙を上げて床に衝突し、勢いよく転がっていく。


「くそっ」


 ハルトは忌々し気に吐き捨てるが、こうなればもう仕方がない。恐らくこの場所に関する何かに気づかれてしまったのだ。能力を発動し、魔力を込め、『剣』を具現化しようとしたところで、彼はふと、右手の違和感に気づく。

 右手に、細かく刺されるような痺れを感じるのだ。動きが封じられるほどではないが、握力がやや鈍っている。


「電気……?」


 零されたハルトの小さな声。それを裏付けるかのように、ノイズの混じった音が辺りに響く。

 埃を引き寄せている壁の巨大なモニターが、眩い光とともに起動した。画面は砂嵐にノイズが混じっているだけで何も表示しないが、突然の明るさに一瞬視力が奪われた。

 機械的な音が幾重にも重なり、たくさんあるメーターが各々振れはじめる。眩さに目を細めながらも、ハルトは警戒を込めてそれを睨みつけた。

 金色の柄の綺麗な剣を手に取る。いつの間にか右手の痺れはなくなっていた。


「な、何……っ! 眩しい……!」


 光で少し我に返ったのか、ナオが立ち上がって顔を腕で覆っている。ぎゅっと握られた拳には、小さな火がちらついていた。

 ハルトはナオの前に立って彼女を庇うと、肩越しに投げかけた。


「油断するなよ、ナオ!」

「う、うん!」


 ナオは涙目をきゅっと吊り上げ、ようやく回復してきた視界を睨みつける。

 ノイズが激しくなる。

 可聴域を超えそうなほどの高音や重低音が混ざり合って鳴り響く。不思議とそれは、だんだん幾重にも重なる人の声のようにも聞こえてきた。


「きゃっ」


 ナオは思わず耳を塞ぐ。ハルトもあまりの音量に顔をしかめた。


「……もしかしてこれ、さっきここから聞こえてきた声みたいな音かな?」

「ひゃあっ!」

「静かに! 頼むからお前もうちょっとだけ堪えてよ」


 ハルトの背中に隠れるナオに、ハルトはため息をつきそうになる。この上後ろからも甲高い声で鼓膜を(つんざ)かれるのは勘弁してほしい。

 そうしている間に、モニターの砂嵐が少しずつ途切れ始めた。真っ暗な画面が何度も映し出されては砂嵐に戻り、繰り返される。

 ハルトはじっと神経を研ぎ澄ませていく。何か嫌な気配を感じる気がしたのだ。そのとき、またしても宙を漂い始めた椅子が視界を掠め、集中が削がれてしまう。

 ひゅぅん、と風を切る音をあげて椅子が飛んでくる。ナオはたまらず火を放って燃やすが、炎に包まれた椅子はしばらく宙を飛び交い、やがて床に燃え落ちる。

 ただ、火だるまになった椅子は落ちるまでの間さらに攻撃力を増し、ハルトともども鼠花火のように室内で暴れまわるそれから逃げ惑うことになってしまった。


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