2-15 足跡と足音
「……と。ねぇナオ、お前この件についてどう思う?」
「え?」
ふと、足を止めるとハルトは肩越しに振り返ってそう投げかける。突然のことに何を言っているのかつかめず、ナオは目をぱちくりさせると、じっと彼を見つめた。
「ランのことだよ。あいつの言ってること、本当なのかね」
「ああ……うん、それはそうだと思う」
ナオの言わんとすることを察したらしいハルトが噛み砕くと、ナオは納得がいったのか口を中途半端に開けながらも頷いて見せる。迷う様子も見せず、彼女ははっきりとした口調で返す。
「確かにありえないことだけど、ランくんは私たちが言う前に任務の内容をちゃんと知ってたもの。それに、私にはどうも嘘を言ってるようには見えなかったし」
「そっか。やっぱりお前なんだかんだとあいつに肩入れするよねぇ」
「そんなつもりないけど……もちろん私たちも嘘は言ってないから、だから分からないの。ねぇハルト、この任務、一体なんなのかな……」
「いや、オレもだいたい同意見だよ。見ろよ」
ハルトは右手に持っていた携帯電話をナオに突き出す。ナオはそれを受け取って画面を見ると、左上に示されたアイコンに眉を潜めた。
「圏外?」
「ああ、支部に問い詰めてやろうと思ったらコレ。まぁ、オレはランを完全に信用したわけじゃないけどね」
言うと、ハルトはナオの手から携帯電話を取り返してポケットに押し込む。再び目の前の建物に向かって歩き始めた。
ハルトの冷静な対応に感嘆しつつも、ナオは少し悲しい気持ちになる。しかし、ハルトの言う通りだ。ナオに対してはいささか行き過ぎているものの好意的な態度のランを、本心から信用してしまうのは危険である。彼がクロであるかは、まだ否定されていない。そしてランにとってもそれはしかり。
携帯電話も先ほどまでは確かに通話が可能だった。ランが現れたこのタイミングで突然不具合が生じるのも不自然だ。
少しだけ落ち着いてきた心を抱くように、ナオは胸の前で拳を握りしめた。薄暗い中でも目を引くハルトの金髪を見つめ、彼の後についていく。
廃れた庭の石材や瓦礫を避けて、気のせいか建物の中から沸き起こっているようにさえ感じる生温い風に身震いする。先のケイの冷気のせいで冷やされた空気との対比なのだろうか、それとも。
古びたエントランスをくぐり抜けると、何かの破片を踏みつけたのか高い音が鳴る。ナオが大げさに肩を躍らせたが、今度は声をあげることは我慢したようだ。
偉い偉い。何がいるのか分からない今、下手に騒ぎ立てるべきではないのだ。ハルトがにっこりと笑って振り向こうとしたところで、どたどたと何かが暴れる音が聞こえてきた。
「……」
無意味だった。
聞き覚えのある声も一緒に聞こえたので、ケイとランの足音だろう。ハルトは目を眇めた。
「もー、だめじゃんあの二人……おバカ」
「ぴゅぎっ?」
「何その奇声」
「こ、怖くて噛んだだけだもん……」
ナオは顔を赤らめて俯く。別に、彼女が変な声をあげてリアクションをするのはいつものことなのだが、今回は不本意だったようだ。いまいち基準がわからないが。
ハルトは辺りをゆっくりと見渡す。
町の家々よりはよほど、風車の近くに建てられている何かの施設。簡素なエントランスの向こうには、寂しげにくすんだ壁や狭い廊下が続く。
土足で上がりこんでしまうのは少し気が引けたが、何が落ちているかも分からないので危険だ。埃とカビの臭いが漂ってきて、顔をしかめて咳込む。
薄暗い廊下を慎重に進み、ハルトは肩越しにナオに声をかけた。
「ナオ、火は出すなよ」
「ほぇ?」
今まさに手を掲げようとしていたナオはぽかんと口を開ける。数秒後、ハルトの言わんとすることに辿りついたらしくぎゅっと手を握りしめた。
「あ、そうだね。発動を強くしたら私の気配に気づかれるかも」
「おう」
偉い偉い。今度は思わずそう小声で褒めてしまったハルトだった。
そろそろ暗順応が完了する。より鮮明に網膜に映し出される屋内を睨みつけながら、ハルトは唇を引き結ぶ。
ケイとランが騒いでいるのなら、こちらへの注意が逸れて動きやすいかもしれない。新たにナオと二人分の足跡が、廊下に静かに刻まれていく。すぐ右に何かの部屋が見えたので、とりあえず扉を開けてみると、どうやら応接室のようだった。もっとも、埃を被った簡素なテーブルとソファがあるだけだったが。特に怪しい雰囲気はなかったので、ハルトはそのまま部屋を後にする。ナオは唇を引き結びながら、まるで親鳥についていく雛のようにぴったりとハルトの後をついていく。
ケイたちのせいなのだろうが、廊下はすでに泥だらけだった。先にランの水で湿った土の上であれほど暴れた後なのだから、靴が汚れていて当然だろう。廊下はやがて二方向へ枝分かれしていて、ハルトは少し考えて泥の汚れが目立たない方を選び、さらに進む。
思ったよりも長い廊下だ。建物の見た目よりも中は広いように感じられる。窓もほとんどないため、さらに辺りは暗くなっていく。
廊下の先には大きな扉が見えた。どうやら元は自動扉だったようだ。右上に数字の書かれたパネルがあるが、パスワードか何かで管理されていたのだろうか。扉の上にあったプレートの文字は掠れていて読めない。
ぎぎっ、と鈍い音をあげ、無理やり扉を滑らせる。重くて動かしにくく、顔をしかめて唸るハルトだったが、なんとか力ずくでこじ開けることに成功した。
目の前に広がったのは、とても大きな部屋だった。




