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2-14 防戦と交戦


「……すごい」


 ナオは目を見開いたまま、茫然と口にする。

 何という緻密さ。何という威力。

 『水』の能力は、ケイの持つ『冷氷』の能力と同じ水の属性。様々な能力があれど、各属性の力を最大限に利用できる『火』『水』『風』『地』等といった能力は、一般的に非常に高い攻撃力を持っているが、その分コントロールが難しく、魔力の消費も大きいと言われている。

 自然界に存在する物質とは違い、魔力を精霊石によって変換して練り上げたものは、術者自身の支配下にある。

 例えば押し寄せてくる津波が辺りを呑み込むのが自然の脅威であるが、対象から意図的に回避するように操るのは術者の意志ひとつである。

 ランの操る水は、まるで透明の粘土細工のよう。

 形を持たない物質である水を、ああも容易く操り、手から放たれた後も細やかなコントロールを見事に実現している。

 おそらく、先のケイの冷気の壁に打ち込まれたときも、矢のように作用点の面積を瞬時に小さく凝縮することで、少ない魔力で器用かつ威力の高い能力発動を可能にしたのだ。それはラン自身が優れた魔力を持っているということに他ならない。

 事実、『火』の能力を持つナオからすれば、それは感嘆の念を禁じ得ない。能力を得たばかりの頃、火加減ができずに思った以上の広範囲を焼け野原にしてしまったことは記憶に新しい。


「そっちこそ無駄だとわかったろ。少なくとも魔力でお前に競り負けることはないよ」


 ランは左の手のひらを天へと向けると、やれやれと肩を竦めてみせる。

 ケイは分かりやすく苛立ちを露わにする。挑発だと分かっていても、ランの一挙手一投足全てに心をざわつかせている自身を無視できないのだ。

 相手が競ってくるならば、全力で叩き潰してやりたい。特に、目の前のこの少年に対しては。

 少しずつ冷静さを欠いていくケイを、ナオははらはらとした顔で見つめている。

 一瞬、ケイはほぼ無意識にナオの方へと目を向ける。不安げに揺れるナオの大きな瞳と視線がかち合った。

 僅かな焦りを滲ませたケイの顔を見た瞬間、ナオははっと我に返った。


「ってそうじゃないよケイ、ランくんも! だめだよ、任務を忘れたの? さっきの変な人のこともあるし、そもそも私たちは防戦以外禁止だって言われてるでしょ!」


 ナオの甲高い声が荒野に響きわたる。


「今ここでキミたちがぶつかったところで何も解決しないし、そもそも戦うことを許可されていないんだからね! もう誰でもいいから任務なんて早く終わらせて、こんな怖いとこすぐに帰ろうよ!」


 最後の方には明らかな本音を滲ませているが、ナオは目尻をきゅっとつり上げて声を張り上げた。

 彼女の隣に立つハルトは珍しいものを見たなと言わんばかりに、明るい色の瞳をまん丸にしている。

 ハルトにしてはもう少し自分たち以外の能力者の力を観察していたかったのだが、ナオの言うことはもっともである。感情に任せて無駄に魔力を消費しようとするなど、少なくとも任務の最中では本来あってはならないことだ。ハルトは何も言えずただ苦笑を浮かべる。

 ケイはばつが悪そうに顔をしかめた。


「……一応俺は防戦だろ、あいつがわけわからねぇこと言ってきたから……」

「キミ、支部にそれそのまま報告できるの?」

「俺が悪かったです」


 ナオは半眼をして、ケイのところまでずんずんと詰め寄ってくる。元は高い声を押し殺しながら、ケイを下からねめつけた。

 怖がりが彼女にもたらす迫力は半端ないものだった。普段からは考えられない恐ろしさが醸し出されており、ケイは下手な言い訳を一蹴されるとあっさりと撃沈した。


「……?」


 ケイとは向かい合って対立していたため、腰に手を当ててケイの正面に立つナオは、ランにとっては背を向けられている形となる。

 だからナオは気付かなかったのだが、ランはそんな彼女の後姿をじっと見つめていた。

 眉根を寄せると、訝し気に目を細める。これまでの自信に満ちた眼差しは一転、すっかり鳴りを潜めている。

 不審さを露わにどこか苛立ったような表情で、ランは彼らのやりとりを黙って聞いていた。


「ナオちゃん、それは一体……」


 ランがゆっくりと何かを切り出した、その時だった。

 地の底から響きわたるような低く大きな音が、辺りの空気を存分に振動させたのだ。


「!?」


 飛び上がらんばかりに驚くと、ケイは辺りを見渡す。

 まるで強い風が唸るように、低く、長く。

 ぞわぞわと何かが這い寄ってきそうな不気味な音から逃れるべく、四人は反射的に手で耳を覆っていた。

 やがて音が収まると、ハルトは思わず顔をしかめながらも辺りを探りはじめた。


「……うー……?」

「なんだ!? 今の音は……」

「……音と言うか、人の声みたいじゃなかった?」

「ぴゃっ!」


 狼狽えるケイに対しハルトが静かに言葉を返すと、すかさずナオがひっくり返った声をあげる。

 ハルトの左手の精霊石が、僅かに橙色の光を帯びる。

 彷徨っていたハルトの目線が、ふと目の前の古びた建物に固定された。


「……あそこ? やっぱり何かいる」


 ハルトが低い声をあげる。明るい太陽のような明るい目が、刃を潜ませたかのように鋭く光る。


「ハルト、分かるの?」


 恐怖に縮こまっていたナオは、ケイの背後から顔を覗かせながら問いかける。

 ハルトは眉間に皺を寄せながらも小さく頷いた。


「うんまぁ。というか、あそこを中心にして何かの気配が渦巻いてる感じがするような」

「精霊か?」

「いや、それならもっとはっきり分かるんじゃないかって思うんだよね」


 何とも歯切れの悪い返答だった。ケイも一応能力を発動してはいるのだが、全く何も感じない。

 だが、能力を発動すればこちらの気配も相手に伝わりやすくなるのだ。

 それに応えるかのようにして、再び不気味な音があがり、ビリビリと空気を振るわせた。


「きゃあ!」

「うぉっ!?」


 ナオはぎゅっと目を瞑ると、ケイの服を強く握りしめる。背後から想像以上の力で服を引かれたケイは思わず仰け反って変な声をあげてしまった。

 そうしている間に、黒い影が視界を駆け抜けていく。

 ランが脇目もふれず、古びた建物へ乗り込んで行ったのだ。それに気づくと、ケイは慌てて後を追う。


「くそ、待て!」

「あ、ちょっとケイ!」


 思わずケイの服から手を放してしまったナオを振り切る形で、ケイは走っていく。先のランの水球によって破壊された塀や門を飛び越えると、真っ暗な内部へと躊躇なく飛び込んでいった。

 左の掌が空を切った姿勢のまま、ナオは茫然と立ち尽くしている。

 ハルトはやれやれと肩をすくめると、ゆったりと二人を追う。


「あーあーもう、あわてんぼだなぁ。一目散に向かっちゃってデートとやらはいいのかね。しょーがない、ほれ行くぞナオ」

「ほ、ほえ! ほんとに行くの……?」

「嫌ならいーけど、お前ここで一人で待ってられんの?」

「うー……そ、それはやだ……」


 ハルトは意地悪げに笑うと振り返る。見事なへっぴり腰で涙目をしたナオを目にして腹を抱えて笑いたいところだったが、なんとか胸中で押し込めると、彼女を待たずに踵を返す。

 先ほど彼女自身が諫めたことでもあり、ナオとてこれ以上勝手な感情に甘えるわけにはいかないと分かっているはずだ。ナオはぐっと唇を引き結ぶと、固い動きながらもハルトに続いて行った。




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