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2-12 裏切り者はおまえか?


「は、はぁ?」


 少年と全く同じ台詞を返し、ケイは訝しげに眉を寄せる。

 どういうことだ、とこぼしながら、混乱を始めた思考を整理する。

 任務の命令は、予め登録を済ませた数名のグループもしくは個人単位で下される。

 聞くところによると政府は、支配下におけるスピリストにはある程度のランクをつけているという。どういった方法で評価しているのかは不明だが。

 実力を政府に示せば、より難度の高い任務を命令される場合がある。報酬も跳ね上がるらしく、志願する者は多いのだと聞く。

 例えば、この町にいるという裏切り者クロの討伐といったもの。政府の警戒ぶりを鑑みると、それなりの実力者が対象になるのだろう。

 スピリストとして能力を得てからさして時間が経っていない、おまけにまだ子供であるケイたちには、今回のように全く違う任務を命じられた。クロに関しては状況次第で調査の任務が下る可能性こそあれど、標的に直接的に手を出すことはこれまでと同様禁じられるのだろう。

 よりシビアに実力と任務の内容を照らし合わせ、最も適した形で命令が下る。そしてこの政府の判断はいつも、おそらく正しい。


 しかし今回、この怪奇現象の案件については、今はまだ調査の段階である。明確な原因があると判断されたわけでもなく、強大な敵がいると分かっているわけでもない。実戦の任務を下すには時期尚早だ。

 つまり、事前に連絡がないにも関わらず、調査の任務を同時に複数単位のスピリストに命じることはない。一人もしくは数人のグループで十分だ。

 その上今回はわざわざ窓口に赴いて与えられた任務である。目の前で認証をしたにもかかわらずケイたちに命じる内容が間違っていたというならば、いささか管理がお粗末すぎるというものだ。ハッキングを警戒している体制なのだとしたら、尚更。

 導き出した答えは、やはり否だ。あり得ない。ならば、目の前にいる少年は一体何者だ。


「そんなわけねぇだろ。現に俺たちはさっきまでこの町の支部にいた。どういうつもりだ」

「それは俺の台詞だね。お前らがクロなのか?」


 身構えたケイが抱いた疑念を、少年は先に口にする。

 一気にせり上がる感情を言葉に変換しようとかみ砕いている間に、少年はさらに言いつのる。


「ああ、それにしちゃ弱そうだしそれはないか。この任務は俺が片づける。お前らはさっさと帰れよ」

「んだと!?」


 次々と放たれる挑発に、ケイはあっさりと乗ってしまう。

 風に無造作に靡いていた茶髪がふわりと膨らみ、ゆらゆらと揺らめいている。彼から漏れ出した冷気が頬に触れたのを感じ取り、ナオは慌てて割って入った。


「ちょ、やめなよケイ!」


 不敵な笑みを浮かべている少年の前に飛び出すと、ケイの前に立ちはだかる形になる。すると眉をきゅっとつり上げたナオの足首にまとわりつくようにして、小さな火が出現しちらちらと揺らめいた。無意識のうちに能力を発動してしまったらしい。薄暗い中でその明かりはよく目立ち、ナオは慌てて発動を解いた。

 少年はわずかに目を見開くと、次いで口元に笑みを浮かべる。涼しげな瞳が、興味ありげに輝いた。


「へぇ。ナオちゃんて火の能力なんだね」

「ふえ?」


 一転、優しい声音で少年は言う。よくもまぁここまで瞬時に切り替えられるものだ。ナオはきょとんと目を丸くして振り向いた。

 そこでさらに驚いて固まった。振り返った時にはすでに、少年の顔は目の前にあった。近い。

 少年は蠱惑的な笑みを浮かべ、ナオをじっと見下ろした。


「火か、羨ましいな」

「は、はい?」

「ああ、別に発動したままでもよかったのに。だって明るい所できみの可愛い顔、もっと見ていたいし。これから俺だけに時間をくれない?」

「…………」


 何の躊躇いもなく、歯が浮くような台詞が次々と飛び出す。見目麗しい少年が言うと様になっているが、ナオはついに声すらあげずに目を点にしている。

 ケイは完全に無視された形で、見事に石と化したナオの後ろ姿を見ながら口をあんぐりと開けている。 行き場をなくした冷気がぷしゅうと情けない音を立てて消え、ふわりと膨らんでいた服や髪が再び風に撫でられた。

 ハルトはというと、珍しいものを見たと言わんばかりににやにやと笑っている。そうか火からそういう言い回しで口説くのもありなのか。思わず賞賛の意味を込めて口笛を吹くと、ケイがようやく我に返った。


「って、さっきから何言ってんだよ! てめぇこそさっさと失せろ!」

「ん、いいよ」

「は?」


 そのままがおぅと火を吹く勢いで詰め寄ると、少年はあっさりと了承する。

 予想外のことにケイが次の言葉を出しあぐねている間に、少年は再び笑顔を浮かべてナオの方に向きなおる。

 何か嫌な予感を感じ、ナオは顔を引きつらせたが遅かった。


「代わりにナオちゃん、任務はこいつらがやっといてくれるらしいから、今から俺とデートしない?」


 少年の口から爽やかに爆弾が投下される。隙だらけのナオの手を慣れた手つきで包み込むと、さらに畳みかける。


「ナオちゃんみたいな小柄で可愛らしい子、俺タイプなんだよね。今日だけじゃなくてこのまま付き合ってくれてもいいよ! こんな奴らと一緒にいるより俺といた方が絶対楽しいからさ。俺と一緒に行かないか?」


 困り果てるナオに、少年はさらに近づき目をきらめかせる。近い。


「ああ、自己紹介がまだだったね。俺の名前はラン。俺は十三歳なんだけど、ナオちゃん同じくらいだよね? それとも年下?」

「お、同い年です……」


 ようやく答えられる質問がきたところで、ナオの口から棒読みの台詞が漏れた。途端、ランと名乗った少年の顔がぱっと輝く。


「あ、あの……」

「ちょ、おい……」

「そうなんだ! なんかうれしいな。スピリストってあまり俺らくらいの歳の奴いないからさ。初めて会ったのがナオちゃんだなんて、俺にとって奇跡の出会いだと思うんだ。そう思わない?」


 石化を乗り越えて狼狽えるナオや、混乱しつつもなんとか間に割って入ろうとしているケイを完全に無視し、ランはすらすらと軟派な言葉を紡ぐ。端から見れば片方が優勢というか積極的な三角関係のそれで、非常に面白い光景である。先刻の列車内にいた話好きそうなマダムの気持ちがここにきて理解できて、ハルトは興味深そうにほうほうと頷いていた。


「……あれれ、ほんとにライバル登場かも?」


 明らかに笑いを堪えた声音で、ハルトは一人呟く。

 その瞬間、ケイの頭の中で何かが切れる音がした。


「だから離れろっつーんだ! てめぇ!」


 本題はそこではない。

 ついに激高したケイの身体から、ぶわりと冷気が迸る。途端、何かが弾けるような轟音が空気を引き裂いた。


「……あぶねーなぁ」


 目を見開いたケイを睥睨し、ランは静かな声をあげる。

 細かな氷の礫が、僅かな光を最大限に取り入れ、きらきらと輝きながら舞い降りてくる。

 一瞬にして草木が凍り付いた足下へ、折り重なるようにゆっくりとたどり着く。


「……相殺したのか」


 あの一瞬で。


 感情に合わせて放たれたケイの能力が、いっそ見事に打ち消されている。

 ハルトの低い声音に答えるかのように、ランの黒髪が靡く。


「氷の相殺……? じゃ、ランくんは私と同じ……?」


 言い掛けて、ナオははっと口を噤む。彼の左手首の石が、彼の瞳と同じ青い光を帯びていた。

 ナオの火の能力は、ケイの氷の能力の相殺には最も適している。しかし、その場合は相反する能力で文字通り打ち消すといったもので、足下に氷が張ったり、礫が散在するようなことはない。

 ということは。


「『冷氷』ってのは、熱を奪う能力だろ。その対象を十分に与えてやれば、俺に届くことはないよ」

「……『水』」

「そのとおり」


 ランはにこりと笑うと同時に、訴えかけるようにナオの手を握っている手にやや力を込める。

 すい、と。ランは空いている方の手をもたげ、ケイに向かって掲げる。その瞬間、突如としてケイの背後から水球が襲い掛かった。


「うわ!」


 ケイは勢いよく振り返ると右手を突き出し、水球を弾いてみせる。一瞬にして凍り付いた水球はそのまま砕け散り、今度は冷気によって水を相殺した形となる。

 敵意を込めた目をしてランを睨みつけると、彼はふんっと小さく鼻をならす。直後、何もない空中で水が現れ、ボール大の水球がいくつもふわふわと漂う。

 僅かな光を取り込んで虹色に乱反射する水球は、まるで大きなシャボン玉のようだ。しかし不自然に輪郭が波打つ様は、まるで今にもケイに向かって飛び出そうとしているようにも見えた。

 ランは掲げた手を一閃する。精霊石が強い光を放つと同時に、水球は次々とケイへと飛ばされる。


「くっ!」


 軽やかに飛び跳ね躱すが、水球は的確にケイを追う。ケイが跳躍した直後、柔らかい地面が大きく穿たれた。

 大量の水が辺りに飛び散る。水の塊による打撃の余波が、至るところにまき散らされた。

 避けきれなかった水球は、同様にして冷気で弾く。飛び散った水が、冷気に当てられて一瞬で凍り付いた。




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