1-2 張り詰めた糸
ナオはしゅんとまなじりを下げ、ぽつりと呟いた。
「だって……ケイを待たせちゃってたし、早くキミに会いたかったんだもん」
「え」
上目遣いでそんなことを言われ、ケイは間の抜けた声をあげて固まってしまう。
ナオの大きな瞳が潤んで、その中に映るケイの戸惑う顔が揺らめいている。彼女に何て返せばいいか分からなくて、うまく言葉が出てこなかった。
そんなケイを気にする様子もなく、ナオは両手の拳を胸の高さでぎゅっと握った。
「だってね、手続きのとき次の任務の連絡が来たから早く伝えなきゃって思って!」
「あ、そう……」
気合いが入ったナオの甲高い声とは対照的な棒読みを返してしまう。ケイは強張っていた体の力が一気に抜けるのを感じた。危うくその場に崩れそうになるのをどうにか堪えると、ナオに対して半眼を向けた。
「ふゅ?」
一人で百面相をしているケイを見て、ナオは拳を掲げたまま怪訝そうに首を傾げている。ケイとは同い年だが人一倍小柄な彼女の仕草はいつも小動物のようだった。
しばらくナオと視線を絡ませていたが、はたと何かに気づいてケイはあたりを警戒する。こういう場合、いつも何かしら余計な言葉が飛んでくるからだ。
視線を左右に往復させたところで動きを止める。今この場にいるのはケイとナオだけだ。
「ねぇねぇケイ、これ見て!」
「へ? ああ……」
眉間に深い皺を刻んだままほっとしているという不思議な表情をしたケイの前に、ナオはずいと何かを差し出す。
それはナオの手に乗るくらいの小さな四角い機械だった。大部分が液晶画面で占められている携帯電話だ。
ナオは慣れた手つきで画面を数回指で叩く。表示された『閲覧』『展開』という文字に順に触れると、画面が光り出して二人の前に小さな映像が映し出された。
それは文字と写真が添付された一通のメールだった。
表題は『任務通達』だ。
ケイは神妙な面もちのナオと目を合わせる。彼女はケイと映像を交互に見やると、言った。
「次の任務は調査系だよ。この『ウグイス』の町で、三日前から二人の子供が行方不明になっているんだって……」
「ああ」
なるほど、と呟くと、ケイは頷いて空を見上げる。ナオも何かに気づいたかのか、ケイの見据える先を追って視線を持ち上げた。
頭上に広がるのは快晴の空だ。しかしそんな美しい青色を、ナオはやや目を細め、睨みつけるように見つめた。
そんな彼女にちらりと目を向けると、ケイは黙って歩き始める。
「あれは……? って、置いてかないでよー」
「行くぞ。とりあえずあいつと合流しないことには任務も始まらないだろ。どこ行きやがったか知らねぇけど……」
早足で建物を離れていくケイの後ろを、ナオが慌てた様子で付いてくる。ちょこちょこと忙しない動きで追いついてきた彼女と二人、肩を並べた。
ひとまずは町の内部の方へ向かうことにした。その方が人が多そうだと判断したからだ。ついでに人探しをしながら、任務のための情報収集も兼ねる。
少しずつすれ違う人の数が増えていく。
先ほどまでいた場所と同様、彼らの誰もが暗い表情をしていて早足に立ち去っていく。概ねケイたちのことは無視している様子だったが、時折警戒心に満ちた視線を向けられることも増えてきた。幼い子供を連れた一人の母親など、すれ違い様に露骨に声を上げて離れていくという警戒ぶりだ。子供を守るためには神経質になって当然かもしれないが、決して気分が良いものではない。
「……不安なんだね」
親子連れの後ろ姿を見送りながら、ナオは眉を下げて言う。
「もしかしたらみんな何となく気配を感じていたりするのかな……」
「それはないだろ。俺たちとは違うんだから」
「むぅ」
あっさりと否定されたことに、ナオが頬を膨らませる。
ケイはそんな彼女を促しながら通行人の邪魔にならないところまで移動して足を止めると、また辺りを見渡す。
小さな町なので先ほどまでいた建物からはそう離れていないが、ずいぶん民家が増えてきた。
建物の向こうにはずっと緑色の森が見えている。かなり広大な森のようだ。それに混じって、所々で立ち昇る灰色の煙があった。風に乗って漂ってきた煙が喉に絡みつき、ナオは数回咳込んだ。
「けほけほっ……」
「ちょ、おい。だいじょうぶか?」
ケイはナオの背中を数回さする。小さな背中を丸めながらも、ナオは頷いた。
「う、うん。だいじょうぶ、ちょっと煙たかっただけ」
涙の滲んだ目元を擦りながら、ナオは顔を上げて笑う。直後、彼女は何かに気づいたようにあっと声を上げた。
「ケイ! あれ見てっ」
「え?」
跳ねるようなナオの口調。彼女の指さす先をケイは振り返った。
そこは公園だった。ブランコや鉄棒、滑り台や砂場など一通りの遊具が揃っており、なかなかの広さだ。球技などを楽しむにも十分だろう。しかしそこには楽しそうに遊ぶ子供の姿は一人もなく、代わりに強面の大人たちが円陣を組んで集まっていた。
ケイとナオは訝しげな顔を見合わせると、小走りで公園に近づいた。
「町長! もう三日だ、もう待てねぇ! 今すぐにでも奴らを討ちに行く!」
耳をつき抜けるかと錯覚するほどの大きな声が響きわたる。ケイは思わず飛び上がりそうになった。
そちらを見ると、集団の中でもひときわ体格のいい一人の男が、やや小柄な壮年の男性に詰め寄っていた。
彼らは二十人そこそこの集団だった。詰め寄られている男性以外は皆一様に若い。それも大柄な男ばかりだ。さらに彼らはそれぞれ銃や重そうな鉄の棒、ナイフなどで武装しており、どう見てもそれが穏やかではないことは明らかである。
「子供たちがあの森に行ったきり戻らないんだ、なんでもっとちゃんと捜索しないんだ!」
「落ち着け! あの森は……」
「何がいようと、もうそんな悠長なことを言ってる場合じゃないだろ! 子供たちの安否もわからなければ、町の人間だっておちおち外に出れやしないっ」
「だから、我々の力ではどうしようも……! それに昨日ちゃんと“彼ら”の派遣を要請している! 政府に……」
「それがいつまで経っても来ないからだろう! とにかく俺たちは戦うぞ!」
男たちはものすごい剣幕だった。それぞれが武器を掲げ、太い砲喉が幾重にも重なる。彼らをひたすら宥めようとしている壮年男性を踏み越えてでも突き進んでいきそうな勢いだった。
「あー、ありゃさっさと解決しないとまずいな。もう少し冷静になってくれりゃいいのに」
公園の入り口で立ったまま、ケイは腕を組んで言う。その隣でナオは表情を曇らせていた。
「わかってる、でも仕方ないよ……って、あ!」
その直後、ナオは歓声とともに明るい声をあげる。ケイはまたしても飛び上がらんばかりに驚いた。彼女の声は可愛らしいのだが、高すぎてたまに耳が痛くなるのだ。
「な、なんだよっ」
「見て、ハルトだよ!」
「は?」
ナオの指の先を辿って見ると、明らかにケイたちに向かって大きく手を振っている一人の少年の姿があった。
いつの間にそこにいたのだろうか。少年は公園の隅っこにあるブランコに座っており、やたらと楽しそうにゆらゆら揺れている。
「何やってんだあいつ」
ケイは思わず半眼をして呟いた。
そうしている間に、ナオは嬉しそうに跳ねながら少年に駆け寄っていく。少年は揺れるブランコの勢いのまま前に飛ぶと、軽やかに着地して爽やかに笑った。
「やっほーナオ、ケイ! 二時間ぶりくらいだね!」
「ハルトー! やっほー」
「イエーイ!」
まばゆい太陽のような金色の髪と黄色の服、左耳につけているやたらと大きな金色のクロスのピアスがうるさく輝いている。遠目に見てもとにかく目立ついでたちの彼はナオとハイタッチをかわした。二人ともやたらと楽しそうだ。
不機嫌そうにノロノロと近付いてくるケイのことなど気にした様子もなく、ハルトはにやりと笑う。




