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2-11 敵意と気配



 ひとしきり町中を縦横無尽に走り回り、怪しい人影を追いかけた先にたどり着いたのは、開け放たれた荒野だった。


「ここは……?」


 言いつつ辺りを見渡すと、ケイはすぐに理解した。

 近くで見ると天にも届きそうなほど大きな風車。それも町で見かけたような洒落たものではなく、風を受けることに特化した無機質で大きな翼が、時折大きく唸りながら回っている。そして荒れた白い建物が少し離れた所に見える。明らかに手入れがされていない無人の施設であった。

 まさしくそこは、今回請け負った任務である怪奇現象が報告されているらしい旧風力発電所に間違いないだろう。

 しかし肝心の人影はここに降り立つ寸前、突如としてその姿を見失ってしまったのだ。辺りには人が一人隠れられるような場所はなく、気配も消えている。まるで本当に幽霊が煙と化して消えるかのように、忽然と。

 ケイは古びた建物を睨みつけるが、あの一瞬であそこまでたどり着き、かつ身を隠すとなると無理がある。生身の人間ならまだしも、ケイはスピリストだ。魔力によって強化された身体能力をそれほど上回る相手ならば、そもそも追いかけっこにすらならない。

 しかし逆に言うと、人影が人間であるならば(・・・・・・・・)間違いなく何かの能力者だということだ。ケイの知らない何かの能力を使っているとしたら、可能性がないわけではない。どちらにせよあの建物には入って調査をしなければならないが、果たして今乗り込んで良いものか。


「ケイ!」


 思案にくれていると、遅れてハルトとナオが駆けつけてくる。

 ケイと同様、二人ともすぐにこの場所について理解したらしい。ナオが短い悲鳴を上げたが、青い顔をしながらもぐっと堪えている。

 この辺り全体から、何か異様な気配を感じるのだ。先ほど人影と対峙した時とはまた別の、何かの存在を感じる気配。

 それが果たして幽霊とやらなのかは分からないが、辺りを探るべく神経を研ぎ澄ませていく。

 所々塗装の剥がれた風車が、絶えず大きく回る。くるくると。ぐるぐると。風を切る鈍い音が、彼らの鼓膜をふるわせた。


「ところでケイ、さっきの奴は? 見失ったのか?」

「見失ったというかほとんど消えたみたいだな。ここへ着いてすぐ一瞬でいなくなった」

「消えた? じゃあ何、追いかけっこだけしてこっちに攻撃してくるわけでもなく? すぐに?」

「ああ」


 ハルトのかみ砕くような問いかけに、ケイは思わず舌打ちをする。

 ハルトが言いたいことはおそらく自分と概ね同じだろう。だが、腑に落ちない。

 ハルトは携帯電話を取り出すと、小声で通話を始める。こうなってしまっては政府に指示を仰ぐほかない。

 ほとんど短い相打ちを返すだけで通話は終了した。ハルトは少し目を伏せると、肩をすくめてみせる。


「本来の任務を続行しろ、だと」

「ああ?」

「ここがオレらの目的の場所なんだし、見失ったのは仕方ないと。引き続き防戦以外禁止で深追いはしない。この件は別の人間を派遣しますと。ま、ついでにあの中調べて報告しろって意味も兼ねてるんじゃない?」

「なんだよそれ、わけわかんねぇし」

「これで例の関係者がスピリストだってことがほぼ確実だ、警戒するのは仕方ないよ。それにケイは指示も聞かず鉄砲玉みたいに追いかけただけだからあんまりなこと言えないよ」

「うぐっ」


 その通りである。

 ケイはばつが悪そうに顔をしかめると押し黙った。

 ハルトの視線が辺りを警戒しながらゆっくりと揺れる。金髪がふわりと靡き、彼の纏う魔力が強まった。

 町の大通りでもそうだったが、どうにもこの町に来てからというものの、気配をつかめそうでつかめない。何か自分たちよりも大きな、あるいは巧みな何かに踊らされているような、上手くはぐらかされているような、言い表せない違和感があってとても気持ち悪い。

 スピリストの持つ魔力や精霊の霊力といったものは、それぞれ特有の波動を有している。波動がぶつかったり混ざり合ったりしたとき、お互いがお互いの気配に触れることになるため、そういった力を持つもの同士はそれを感知しやすい。中でもハルトはケイやナオよりもこの感覚が優れているらしく、いつも一番早く異変に気づいている。


 何かがおかしい。何かがいる。そのはずなのに。


 ハルトは湧き上がる苛立ちに舌打ちをこぼす。落ち着けるために一度息を大きく吐くと、彼は静かに口を開いた。


「ま、ほんとなんだったんだろうねぇさっきの。目撃情報がない優秀な恐喝犯さんが、わざわざオレらの前にひょっこり現れて何もせず消えたと。それじゃまるで、目的は町を混乱させることでも誰かを襲うことでもなく、オレらをここに連れてきたかっただけみたい。ご親切にオレらの目的地にさ」

「ああ? 恐喝犯だかクロだか知らねぇけど、仮に俺たちの任務を知っててわざわざここへ誘導するなんて何の意味もねぇだろ。邪魔してくださいって言ってるようなもんじゃねぇか。そんなわけ……」

「――へぇ。お前らも任務でここに来たのか」


 その時、空気をまっぷたつに切るかのように、突如として別の声が割って入る。


「きゃっ!」


 わずかに遅れて響く短い悲鳴と同時に、ケイとハルトはそちらを勢いよく顧みた。

 時折僅かな潮の香りを纏う、生ぬるく怪しげな風に、さらさらとした黒髪が靡いている。

 その青い瞳が薄暗い中でやけに綺麗に映えて見える。それを大きな目をいっぱいに見開いて見上げているのはナオだった。いつの間にかすぐ後ろに現れた少年に片腕を掴まれている。


「ナオッ!?」

「あれー、あいつさっき駅で会った奴じゃん」


 ぎょっと目を見開くケイとは対照的に、ハルトは呑気に口を尖らせる。

 それはつい先刻も見た顔だった。線が細くどこか女性的な雰囲気を持つ、同じくらいの年格好の少年だ。


「あ、あの……?」


 ナオは目を白黒させながら体を強ばらせている。幼なじみであり長い付き合いのケイやハルトであっても驚く至近距離で、おまけに初対面の男の子に突然身体に触れられるとなると、やはり足がすくんでしまう。

 少年は駅で会ったときと同じように、ナオに対して穏やかに微笑むと、彼女をゆっくりと解放してやる。


「ああ、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだ。ねぇきみ、名前は?」

「えっ、ナ、ナオです……な、なんで」

「そっか、さっきも思ったけどナオちゃんすごく可愛いよね。俺もここに用があるんだ。良かったら一緒に行かないか?」

「ふえ?」


 さりげなくナオの手を取りながら、少年は首を傾げてみせる。

 男の子にしては長い睫毛を数回瞬かせると、青い宝石のような瞳を僅かに細める。たおやかな仕草は一つ一つが優雅で、彼の風貌によく似合っている。自分の魅せ方をよく知っている者の、自信に満ちた表情だった。


「い、行くって……」

「ここの調査さ。何でも怪現象が起こるらしくてね。確かに不気味な所だね」


 少年の示した先を見て、ナオはさっと青ざめる。そこはもちろん、目の前に見えている建物だ。

 荒れた壁や雑草がぼうぼうに生えた土地は、人の気配がないのは明らかだ。門は壊れており、その奥に見える入り口は、ぽっかりと暗い内部を覗かせている。いかにも何かが出そうな雰囲気だ。

 怪しさ満点の建物だが、任務のためには入らないわけにはいかない。だが。

 猫を前に縮み上がる鼠のように肩をいからせて、ごくりと唾を呑み込む。やはり無理だ。怖い。

 ナオが少年のありがたくないお誘いを拒絶しようとした所で、ケイの矢のような声が降り注いできた。


「いやいやちょっと待て! おかしいだろ、それ俺たちの任務じゃねぇかっ! 一体なんなんだ、まさかお前がさっきの……!」

「はぁ?」


 少年の不自然な上がり口調がケイを遮る。

 少年はナオに向けていた爽やかな笑顔から一転、嘲笑と睥睨を混ぜて二乗したかのような表情をみせた。


「なんかの間違いじゃねぇの? 俺も任務で来てるんだけど? ここの調査と、怪奇現象をなくすっての」


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