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2-10 黒い影


「――みんな気を付けろ! 何かが……っ!」


 振動。

 その瞬間、周囲の建物や店に散りばめられた電球が次々と破裂した。連鎖的に、まるでねずみ花火のように軌跡が蛇行し、激しい音と火花を散らせた。

 突然の出来事に、近くにいた人々はパニック状態に陥る。その間にも火花は舞い、切れた電線やコードがバチバチとショートする。


「なんだ……っ!」


 ケイは逃げまどう人々の波をなんとかかいくぐると周囲を見回す。

 感覚を研ぎ澄ませる。怪しい人間がどこかに潜んでいるのか。

 急に一体何が起きたのか。まさか自分たちを見て、誰か他のスピリストが攻撃を仕掛けてきたのか。

 そのとき、思案を駆けめぐらせていたケイの鼻先に、針で突き刺したかのような弱い刺激が走る。


「……?」


 静電気のような感覚だった。

 ケイは訝しげに空を仰ぐ。

 ほんの僅か、一瞬だったけれど、驚くほどはっきりと知覚した。先にハルトが言っていた気配というのはこれだったのだろうか。

 そうしている間に火花は収まり、逃げまどっていた人々も落ち着きを取り戻していく。妙な静寂が包み込んだ。


「怪我をした人はいないか!?」


 ハルトの甲高い声が辺りに響く。我に返った人々がざわめき出すのを一通り見渡すも、特に大きな傷を負った人はいないようだ。ケイはひとまず胸をなで下ろした。

 割れた電球の破片を踏むと、乾いた音があがる。訝しげな表情を見合わせるケイたち三人の耳朶を、今度は女性の悲鳴が叩いた。


「た、助けてっ!」


 驚いてそちらを顧みると、通りのわき道から一人の年輩の女性が躍り出てきた。

 そのまま道に倒れ込んだ女性は肩で大きく息をしており、目は恐怖に見開かれ、頭からは鮮やかな血が流れこめかみを伝っていた。怪我をしているようだ。ナオは駆け寄るとしゃがみこみ、彼女の震える肩を支えてやった。


「大丈夫ですか? 一体なにが……」


 ナオは女性の顔をのぞき込む。女性はびくりと肩を強ばらせると、ナオの腕を強くつかんだ。


「きょ、恐喝犯よ! 道を歩いていたら突然、後ろから襲われて……!」

「なんだって!?」


 ケイとハルトの声が綺麗に重なる。ケイは女性に詰め寄った。


「それで、どんな奴だ! 今そいつは!?」

「目だけを出して顔を隠した、全身黒ずくめの男だったわ……突然後ろから殴られて荷物を盗られそうになったんだけど、近くの看板から火花が上がって、それで……」

「逃げたのか? ならこの騒ぎは……」

「あ、あそこ! 誰かいるよ!」


 ナオが甲高い叫び声をあげる。弾かれたようにして顔を上げると、ナオの指さす先にひとつの人影が見える。大通りに近い大きなの建物の上で、黒づくめの人影が佇んでいた。

 空気が震えるような気配を感じる。かの人影からと言うよりも、辺り全体を妙な何かに包まれているかのような、ぞわぞわとした気配。おそらくはスピリストでないと分からないであろうそれに、ケイたち三人は身構える。


「あ、あの人よ! さっき私を殴った……」


 背後から先の女性の声が聞こえてきた。言われずとも怪しさ満点で一目瞭然である。

 女性が言っていたように、顔を隠した黒い布の隙間から、僅かに目が覗いている。逆光であまり見えないが、不思議とケイを真っ直ぐに睨みつけているように感じられた。

 黒い衣服をはためかせた人影が、青空の中でふわりと翻る。踵を返したのだ。


「待て!」


 ケイは反射的に駆けだした。

 人影は屋根や壁を伝って軽やかに飛び跳ね、凄まじい速さで遠ざかっていく。

 それは風のように速く、吸い寄せられるかのように、ただ一方向へまっすぐに。

 先ほどまで彼らが見据えていた、その先の方へと。

 そのあまりの行動の早さに、ナオはぎょっと目をむいた。


「ケ、ケイ待って! 追いかけるの!?」

「あらま……これまで目撃情報一切ナシの有能な犯人さんだとしたら、えらくあっさりお目見えだねぇ……」


 不敵にそうこぼすと、ハルトはポケットから携帯電話を取り出した。すでに人影とケイの姿は小さく遠ざかっていた。


「ハルト……ど、どうしよう!」

「――追えと。そして手を出すなと。ここは警察(ポリス)に任せてオレらはケイの気配を辿るぞ」


 いつの間に電話をかけていたのか、ハルトは携帯電話の画面を一度タップすると通話を終了する。さすがと言うべきか、手早く指示を仰いだらしい。携帯電話をポケットにねじ込むと、彼もケイの向かった先へと向かっていく。

 ふわりと踊る金髪がわずかに淡く光って見えた。彼の魔力の気配が一気に強まるのを感じる。


「あっ! 待ってよ二人とも!」


 ナオは慌てて立ち上がる。地面にへたり込んでいる壮年の女性を駆けつけてきた警察に託すと、ナオはきゅっと表情を引き締めた。


 追いかけなくては。


 頭の中で反芻される命令よりも、何故かそう直感する。

 町中を派手に駆けめぐっている人影を仰ぎ見て、人々はざわめき出す。これ以上の混乱を避けるためにも仕方がなかった。ナオは唇を噛みしめると、凛とした声をあげた。


「私たちはスピリストです。これより、任務を開始します!」


 ぐっと足に力を込める。つま先に電流のようなものが流れた感覚を覚えた直後、ナオは力強く駆け出した。


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