2-9 点滅
「精霊……」
「ナオ? どしたの?」
ぽつりと落とされた呟きに、ハルトはぴたりと足を止めて振り返った。
「それなら、さっきの男の子は何のためにここに来たのかな? 用事があるみたいだったし、この町で別の任務があったのかも? もしかしたら」
「さっきの黒髪の奴のこと? 何、お前気になるの?」
ナオの言葉を遮るように言いながら、ハルトは興味ありげに片目を細める。
「どうだろうねぇ。でももしそうなら、あっちはあっちでオレらに対して同じことを思っただろね。あの事務員の女の人が言ってた通り、こんな状況なんだから自分以外のスピリストは誰であっても要警戒さ。気が短い奴ならあの場で仕掛けてきたかもしれないね」
「うーん、そうかなぁ……そんなに悪い人には見えなかったんだけど。私を助けてくれたし」
「おりょ? お前どしたの、やけに肩入れするじゃん」
「ふえ? なんとなく」
「なんだそりゃ」
ハルトは苦笑を漏らした。それを見て、ナオは不思議そうにハルトを見上げているだけだ。
今度はくるりとケイの方を向く。相変わらず憮然としたままのケイを見て、ハルトは妙に上がり調子な声で言った。
「あれれ、ライバル登場かもー?」
「あ? なんか言ったか?」
「べっつにー」
不機嫌そうなケイにぴろぴろと手を振り軽くあしらうと、ハルトは知らん顔をして先頭を歩いていった。
「まぁそういうことだ、ナオもそろそろ切り替えろよ。何があったところでオレらは任務を完了させなきゃならな……」
普段よりわずかに眇められたハルトの目が、次いで今度ははっと見開いた。
そのままハルトは背後を振り返る。彼の後ろにいたケイとナオは突然のことに驚いたが、彼を追って後ろを向く。しかし、賑やかな町並みが視界に広がるだけで、特に変わった様子はない。
ハルトは元来た道の先をじっと見つめながら眉を潜めている。子猫のような明るい瞳を鋭く光らせた彼に、町ゆく人々も何事かと振り向いた。
「ハルト? どうしたんだよ」
「……今、なんか変な気配感じなかった?」
「気配?」
訝しげに首を傾けると、ケイも辺りを探ってみる。だが、何も感じない。ナオも同様のようだ。
「ないならいいけど、何か一瞬ピリッてしたんだよね。こう、ちくっと何かに刺されたような。首の後ろらへん、ちょっと痛かった」
ハルトは納得がいかないようだったが、自身も特に変わったことは見つけられず、再び前を向いて歩き始める。
少しの間滞った人の流れも元に戻る。ケイはナオと顔を見合わせるが、無言のままハルトに続いた。
しばらく歩を進めると、先刻も通った大通りに出る。目にする建物の所々が薄暗いのは変わらないが、人が多いのも相変わらずだ。
携帯電話の地図に従っていくと、支部から真っ直ぐに来た道を引き返した形になった。立ち並ぶ店や建物も見覚えがあるものばかりだ。
ナオはちらりと目線を動かす。するとテラス席がお洒落な飲食店が目に入ってきた。この町についての情報をくれた妙齢の女性たちが食事をしていた店だ。数十分しか経っていないが、彼女たちの姿はなかった。昼下がりのお茶会はもうお開きとなったようだ。彼女たちがいた席には今、一人の若い男性客が座ってメニューを見ていたところだった。
コーヒーのいい匂いが漂ってくるのを感じながら店の前過ぎ去ろうとする。ナオの視線を追ったケイは、女性たちの姿がないことに思わずホッとしてしまった。
その時、視界の隅からぱっと明るさが飛び込んできた。
「ふえ?」
ナオはどこか抜けた声を上げると、再び後ろを振り返る。
「ナオ?」
急に立ち止まってしまったナオを訝しみながら、追ってケイも振り返った。
見ると、確かについ先ほどまで薄暗かった飲食店の照明が煌々と輝いており、中がよく見通せるようになっていた。昼間とはいえ、一瞬で全ての照明が一気に付くとなるとさすがに目立つ。他の店や建物が全体的に薄暗いのもあり、多くの人がそちらを振り返っていた。
「なになに? ナオ、またあの店?」
まだ難しい顔をしていたハルトも足を止める。
「うん、今お店の電気が付いたからつい。節電はもういいのかな?」
「……いや見ろよ、そうでもないみたいだぜ」
「え?」
ハルトは眉を潜めて店を指さした。見ると、今度は店の電気が一斉に消える。かと思えば、数秒でまた付いた。それが何度か繰り返され、照明が点滅した形になるが、最後にまた煌々と輝く。明らかに様子がおかしい。数人いる店員も慌てふためいている様子だった。
「な、なんなんだいきなり! 悪いが早く電気を消してくれ」
「店長! それが何度スイッチを押しても消えないんです!」
「なんだ故障か? 参ったなぁもう……電話の近くに修理業者の電話番号控えてるはずだからちょっと探しておいてくれるか? お客様、お騒がせして申し訳ございません! 当店の機器に少々不具合が発生した様子でして……」
まだ若い男性の店長がため息を堪えたような表情をしながら、まばらになった客へ対応をしている。客たちは明るさに驚いてはいるようだが、不具合ならば仕方ないと愛想笑いを浮かべている。テラス席の男性客は謝罪に来た店員に対し、気にした様子もなく笑顔を向けてコーヒーを注文していた。
「どうしちゃったんだろ? 大変そうだね……」
ナオは眉を下げて呟く。しかし何もできることはないのだ。少しばかりもどかしさを覚えるが、仕方がないことである。隣に立つケイも無言で頷くだけだった。
返事がなかったのでちらりと背後を振り返る。目に映ったハルトの顔は、警戒心を露わにして店を凝視していた。
「ハルト?」
「……何かいる」
答えることもなく、ハルトはぽつりと口にする。
ナオはきょとんと首を傾け、ケイと顔を見合わせる。
その時、視界の隅でぱっと光が見えた。そちらを振り向くと、先の店の隣にあった雑貨店の照明の全てが、同じように煌々と光り輝いていた。
「ふえ!?」
ナオは思わずひっくり返った声をあげる。それを合図に、辺りの建物の照明という照明が一斉に付き始めた。
まるでドミノ倒しのようにして、明るさが次々と連鎖していく。その異様な光景に、町はざわめいた。
電球は次々と点滅し、夜を彩るはずのネオンは激しく自己主張をしている。昼間の明るさを邪魔しながら、まるで意思を持っているかのように。
まるで誰かが、人々をあざ笑うかのように。
「――っ!」
ハルトは今度こそ大きく目を見開く。
背筋に感じた嫌な気配とともに、彼は弾かれたように勢いよく大声をあげた。




