9-30 青い影と白い霧
「……マジか」
もはや絶望的な状況だった。一体相手でも苦労した土人形が、間を開けずに今度は二体だ。
「…………っ」
ケイは再び冷気を纏う。消耗は激しかったが、迎え撃たねば殺される。それほどまでに明らかな殺気が土人形たちから放たれていた。
「こいつら……まさか」
警戒を強めながら、スゥはふと気付く。土人形たちの姿には見覚えがあったのだ。
狂い咲きと火事のあった場所。そこで燃えて消えたという精霊たちだ。携帯電話を取り出して確認するほどの余裕はなかったが、おそらく間違いない。
「退くぞっ!」
スゥが叫ぶと同時に、三人は踵を返して走り出した。
あまりにも分が悪かった。この二体の土人形たちを撃破できたとしても、そこで終わるとは限らない。さらに別の人形が出てくる可能性も大いにあり得るのだ。そうなればもう待ち受けるのは死しかない。
町の方に逃げるわけにはいかない。この化け物を連れ帰ってしまえば人々に危険が及ぶ。
なるべく人里から離れたところへ。土人形たちを操っている大元の魔力、もしくは霊力が及ばないところまで距離を取るしか手段がない。
「うわっ」
スゥの足下を、突然生えた蔦が突き上げる。蔦とは思えないほど先端が鋭利なそれに、危うく貫かれそうになる。反射的に後退すると、道を阻むかのように蔦がうねうねと動いている。
「……誘導されているようだな」
スゥは舌打ちをした。相手もそうやすやすと獲物を逃す気はないらしい。
事実、蔦や木の根は時折行く道を阻むように襲いかかってきて、それをかわしているうちに彼らは今自分たちがいる位置がよく分からなくなってきていた。
地面の上にいる限り相手の土俵だ、地属性の恐ろしいところである。掌の上で踊る道化をいたぶり、少しずつ消耗させようとしているかのようだった。土人形も本気で襲いかかってくる様子はないものの、まるであざ笑っているかのようだ。
何度目か、彼らの足下から何かが突き上げる。今度は小振りな木だった。瞬く間に花を咲かせたそれは桜の木だ。まるで生きているかのように木が大きく揺れたかと思うと、突風とともに花弁が三人に襲いかかった。
「くっ」
それはただの花弁だったが、思わぬ目くらましを食らって怯んでしまう。
隙をついて、土人形の一体が尖った腕を振り上げる。それに気付いた時にはもう遅かった。土人形の狙いはハルトだ。
「くっ!」
すんでのところで致命傷は避けたものの、土人形の腕はハルトの左肩をかすめた。血が地面に滴り落ちると、不自然な速さで土に吸収される。
「ハルト!」
「バカ、ケイ後ろ!」
ハルトが目を見開いて叫ぶ。同時に、背後から凄まじい殺気を感じてケイは振り返った。
怪しく嗤いながら、一体の土人形が突っ込んで来ていた。反射的に横に跳ぼうとするも、ケイの足にはいつの間にか細い蔦が巻き付いており身動きがとれなかった。
ケイはその手に冷気を凝縮した。目の前に氷の盾を作り出す。防御に成り得るかは分からないが、全身から魔力を集めて盾に注ぐ。
「ケイ!」
今度はスゥの声が響いた。再び振り返ると、今度はもう一体の土人形が背後から迫ってきていた。挟み撃ちだ。
「しまった!」
間に合わない。前方の防御に集中しているせいで、後ろががら空きだった。
ケイには背後から迫る敵の動きがやたらとゆっくりに見えて、駆け寄ろうとしているスゥと目が合う。
——死の覚悟とはこういうものなのだろうか。
そう心の中で呟いて、ケイは無意識のうちに目を閉じる。『冷氷』のように、やけに冷静だった。
——もし自分が怪我をすれば、死んでしまえば、仲間たちは悲しむだろう。
ハルトもスゥも無事ではすまないかもしれない。ならば、一人置いてきた彼女はどう思うのだろうか。
傷ついた彼女を見てケイが抱いたのと同じ想いを、今度は彼女に背負わせてしまうかもしれない。
「……それは、嫌だな」
ケイは目を見開いた。氷の盾へ魔力を注ぐのをやめると足下へと冷気を放つ。足に絡みついた草が凍りついて砕けると、ようやく地面から離れた。
体勢を低くして、ケイは地を蹴った。足に魔力を込めて筋力を強化する。
防御を捨て、致命傷だけは避けようとする。深手を覚悟しながら、ケイは歯を食いしばる。
土人形たちと衝突する、その刹那。どこかから突如として水が吹き出した。
ケイが飛び散る水しぶきを視認したと同時に、水に阻まれて土人形たちが弾かれる。直後、ケイの冷気によって水しぶきが凍り付いた。
跳んだ勢いのまま、ケイは地面を転がる。そんな彼の前に、これまでになかった別の気配が降り立つ。
「何だ!?」
辺りは一面水浸しだった。襲い来るはずだった土人形たちの代わりに、空に溶けそうなほど透き通った青い影がケイに背を向けて佇んでいた。
青く長い髪と、ふわふわと柔らかそうな衣装が横に広がる。時折揺らぐ半透明の身体をした、小柄な女がそこにいた。
ケイだけでなくハルト、スゥも彼女を凝視している。三人の視線に気付いたのか、その女は振り向いた。
三人ともに既視感のあるその姿。彼女は。
「……お前は」
「あ、あのときの! リュウの屋敷の水の精霊!?」
ハルトは彼女を指さして言う。まるで是と答えるかのように、女は穏やかに笑った。
色違いの少年リュウが身を隠していた大きな屋敷。そこでケイたちをさんざん苦しめた幻覚攻撃の元凶が、目の前にいる女の姿をした精霊だった。
魔力石で捕らわれていた彼女を倒すことで幻覚を解くことができた。その際に瀕死の重傷を負わせた彼女が霊力を爆散させる寸前、アランドが魔力探知機で捕獲したのだ。その後はアランドとともに研究室に持ち帰られたはずだった。
「なんでここに!? それにまだ動けるはずが……」
スゥが目をいっぱいに見開いて言った。そんな彼にも、精霊はにこりと笑いかけるだけだった。
ふと、精霊はその華奢な両腕を胸の高さで掲げる。まるで祈るようにして手を組むと、彼女を中心としてひんやりとした空気が広がる。
二体の土人形が精霊に向かって飛びかかる。刹那、精霊から水が吹き出した。
土人形たちが水に押し流されたのを見た瞬間、ケイの視界は突如として真っ白に染まった。
これにも覚えがあった。ケイは思わず声をあげる。
「幻覚!?」
景色と一緒に、地属性の強い気配もかき消える。
しばらくすると、文字通り霧が晴れるようにして視界に色が戻ってきた。
代わり映えのない桜の木々の下に、彼らは三人揃って立ち尽くしていた。微妙に先ほどまでと景色が違う。そして土人形たちの姿は影も形もなかった。




