9-5 闇の中の道化師
***
「……この石。やはり魔力で作られたものだ」
薄暗い自室でひとり、アランドはそう呟く。
眉間に深い皺を刻みながら彼が見つめる先には、小さな箱に収納された透明のものがある。透き通った輝きを持つ水晶の欠片だ。それは見た目に反して恐ろしいほどの強度を誇り、傷ひとつつけることができない。
ナオとフレイアが中庭で襲われたとき、フレイアが手に握りしめていたのもまた水晶の欠片だった。
地面の至る所から突き出していた水晶の柱。今目の前にあるのはその一部を回収してきたものだ。
「あれから数時間は経っている。能力者はとっくに姿を消して気配もない。なのにまだこうしてここに残っているとは」
どこか忌々しげな声音だった。アランドは石の入った箱を指でこづく。
「もちろん属性による。火や水は魔力でできたものであっても術者の支配を離れるとただ自然に任せて暴走するだけの凶器となるが、それはもう魔力は帯びていない。だがこれは違う」
小さな水晶からは、未だに強い魔力の残滓が感じられた。
「……石を操る能力。地属性。知らないはずもない、『水晶』という珍しい能力を持つ凄腕のスピリスト。そして青髪の色違い、通称紫水晶……」
アランドは石にむかって右手を掲げた。途端、長袖の下で精霊石が淡く輝く。ナオの血で汚れてしまった白衣は今、身につけていない。暗い色の私服は、まるで彼ごと闇に溶けてしまいそうだった。
水晶を包むようなイメージで、己の魔力を強めていく。
しかしすぐに何かが弾けるような音とともに魔力は霧散した。
水晶がアランドの魔力を阻んだのだ。衝撃に押し返されたアランドは後ろに数歩よろめいた。壁に背を打ち付けたところで、アランドは舌打ちをする。
「……ちっ」
「おやおやぁ、だぁいじょーぶぅ?」
そのとき、どこからか妙な上がり調子の声が聞こえてきた。
「……クロネ。きみにはその石の主は探れないのか」
「無理だよぉ。とてもかなわないなぁ」
けたけたという不快な笑い声とともに、何もなかったはずの部屋の中心に霊力が凝縮する。
やがてそこには、奇抜な色を組合わせた服とメイクが不気味な、小さな道化師が現れた。
アランドは心底不快そうに顔を顰めるが、道化師は気にした様子はない。
「ボクじゃあその記憶は探れないねぇ。もっとキミの力が強くなればできるかもよぉ? ボクの主はキミなんだからさぁ。あはははは!」
「…………」
宙に浮いたまま、道化師はくるくると楽しげに回転して見せる。まるで人を楽しませるサーカスのように華麗な動きしてみせる道化師は、そいつを睨みつけて動かないアランドとは正反対だ。
道化師はぴたりと動きを止める。ゆっくりと振り向くと、その三日月型に歪んだ口元が耳まで大きく裂ける。
「こないだ探った長いピンク髪の子みたいにはいかないよぉ。その石の主の力、今のキミじゃあ及ばない。だからぁ、探れなぁい」
「……分かっている!」
煽るような道化師の高い声に、アランドは苛立ちを露わにした。
直後、アランドは己を諫める。
冷静さを欠いてはいけない。
アランドが得た『幻』は望んでいた攻撃力のある能力ではなかったけれど、使い方次第では非常に有用だ。このどうしようもなく弱い能力と同調していくことも、この研究室で築いた地位も、全ては目的にたどり着くため。ただそのためにしてきたことなのだから。
ただ淡々と。しかし着々と。
「……俺はもっと強くなる。俺が探している人を見つけるために」
「それってぇ、手がかりは“若い色違いの女”ってだけなんでしょぉ?」
「……ああ」
「がんばってぇー。ボクはキミを応援しているよぉ。ずぅっとそばにいるからねぇ」
じゃあねぇ、と気の抜けた声を残して、道化師の姿は再び闇に溶けた。
静まりかえった部屋の中に、そのねっとりとした笑い声が響いている気がして、アランドは拳を強く握りしめた。
「……言われなくても。必ず見つけてみせる」
石の入った箱ごと手に取ると、拳を乱暴に壁に打ち付ける。
その姿勢のまま一度大きく息を吐くと、アランドは顔を上げた。
「必ず見つけだして……この手で殺してやる」
虚ろな目だった。しかしその奥に業火のような揺らめきを秘めて、アランドはゆっくりと自室の扉を開ける。
そろそろナオが目を覚ますだろう。応急処置をして魔力石を持たせたのだから、命に別状はないはずだ。彼女の口から何か有益な情報が得られるかもしれない。
そう考えながら、アランドは廊下を歩いていこうとする。窓の少ない研究室はどこにいても薄暗い。
曲がり角に差し掛かったとき、不意に白い影が前方から現れた。
「やぁアランド。そんなに一生懸命調べてくれなくても、ナオちゃんを襲ったのは紫水晶で間違いないよ」
「うわっ」
危うくぶつかるところだった。
慌てて足を止めたアランドは、突然はち合わせた男を見て目を見開く。研究室室長、アランドの上司のユキヤだった。
直後、その見透かしたような漆黒の目に底知れぬ苛立ちを覚えた。
「……知ってたんですか」
「隠すつもりはないようだからね。そんなものも残していくくらいだし」
ユキヤはにっこりと笑ってアランドを指した。
手にしていた水晶の欠片は思わず後ろ手に隠していたが、無意味だったようだ。
ユキヤにもこの水晶の主にもあざ笑われているような気がして無性に腹が立ったアランドだった。早々に立ち去ろうとしたアランドに、ユキヤはどこか挑発的な声をかける。
「ユウナちゃんは違ったのかい?」
アランドが足を止める。彼が振り返る前にユキヤは続けた。
「きみ、例の屋敷の任務で彼女だけに接触するためにわざとケイくんたちと引き離しただろう。リュウとその母や組織の人間に見つかりそうになっても、きみなら彼ら全員を結界から守ることだってできたはずだ。結果として彼らを無駄に危険にさらした」
アランドは舌打ちした。振り返ると穏やかに笑っているユキヤと目が合う。相変わらず何を考えているか分からない男だ。
「全部お見通しってことですか……。それで? 俺を非難しにきたんですか? いったいどんな処罰を?」
「いいや問題ない。きみならそうすると思っていたよ。その上で彼らを守ってくれるとも」
「…………」
「だいじょうぶ。スピリストとして任務を遂行していれば必ずまた色違いと出会う。きみが探している人もきっと、いつか見つかるだろう」
アランドは押し黙ったままだ。ユキヤは変わらずそれを気にした様子もない。ただ自分が話したいから話しているだけという感じだった。
「きみは私の優秀な部下だ。きみの働きには期待しているよ」
「––室長。俺はこれでもあなたを尊敬しています」
「おや、ありがとう」
「ですが。俺は目的のためなら、あなたを利用することだって厭わない」
「かまわないよ。大いに利用するがいいさ」
ユキヤは笑う。
貼り付けていただけのような微笑が、ようやく感情を得たように見えた。なぜかそれがとても嬉しそうに見えて、アランドは怪訝そうに顔をしかめる。
「そうだ、早速だけどきみにも任務をお願いしたい。そこでまた一人の色違いに出会えるはずだ。スゥの仲間の最後の一人、緑髪の女の子にね」
よろしく頼むよ、と言い残して、ユキヤは颯爽と立ち去って行った。
アランドはユキヤの後ろ姿をじっと睨みつける。やがて廊下を曲がって消えたのを見届けると、アランドはため息を吐いた。
「……スゥの仲間ってことは今十三か十四か。そんな子供のはずがないだろ。あの女は五年も前に俺の父を、スピリストの力で殺したんだから」
それだけ言うと、アランドは踵を返した。
廊下の先にあった小さな窓を開けると、手にしていた水晶の欠片を投げ捨てる。
放物線を描いた水晶は地に落ちて転がる直前、まるで最初から存在しなかったかのように溶けて消え去った。




