9-1 怒りと後悔
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「……おとう、さん」
窓から差し込む光を瞼越しに感じて、ナオはゆっくりと目を覚ました。
まばたきを数回。見慣れない天井を視認したところで、ナオは思わず飛び起きようとする。
「痛っ……!」
しかしそれは容赦なく肩から駆けめぐった激痛に阻まれた。
「……〜〜っ」
呻く声は言葉にならない。一気に目が覚めたナオは、痛みを堪えながらゆっくりと半身を起こした。
寝ていたのはこれも見慣れないベッドだった。シーツやふとんはふわふわとして寝心地が良くて、ナオの体重を受けてゆっくりと沈む。布団をめくって全身を見ると、いつの間にか長袖の寝間着を着せられていた。
「…………」
左肩に痛みと違和感がある。
ナオはごくりとのどを鳴らすと、おそるおそる寝間着のボタンを外した。
「きゃっ……」
思わず小さな悲鳴が漏れた。
左肩から胸、左肘にかけて、包帯がぐるぐるに巻かれている。包帯の下を見る気にはなれなかった。おそらくかなりの深手を負ってしまっているだろう。痺れて満足に動かせない左腕がそれを物語っている。
「そうだ、私あの青い髪のひとに……」
蘇る恐怖。しかし部屋を見渡しても誰もいなかった。早鐘を打つ心臓をなだめるように胸に手を当てると、ナオは一度大きく息を吐いた。
ベッドの他にはテーブルと椅子が四つ置かれただけの簡素な部屋だ。隅っこにはナオの荷物がまとめて置いてあった。
「ここ……どこ?」
言いつつも、少しずつ落ち着きを取り戻してきたと同時に思い出した。
ここは研究室の、ナオとフレイアに与えられた自室だ。
研究室に連れてこられたときは何もなかった部屋だったが、アランドがベッドとテーブルを用意してくれたらしい。
「そうだ、フレイア、フレイアどこ!」
ナオはまた慌てて部屋中を見渡した。とたん、下手に動いてしまって痛みに呻く羽目になる。
いつもは翼が生えたかのように飛び回ることができる身体が、今は鉛のように重い。
魔力が尽きたわけではないのに、うまく発動ができない。
「……どうして」
動けないもどかしさに唇を噛みしめる。わずかに動く左手を握りしめようとしたとき、ふと指に何かの温もりを感じた。
左手の中指に、青い石の指輪がはまっている。
「これ……?」
「ナオ!」
「ぴゃっ」
突如、部屋の扉が乱暴に開け放たれ、ナオは驚いてひっくり返りそうになる。
部屋になだれ込んできたのはケイとハルトだ。どうやら近くにいたらしい。
どたどたと慌ただしい足音を響かせながら、二人はナオに駆け寄った。
「よかった、目が覚めたか……あ」
「ふえ?」
ほっと眦を下げたケイが突然動きを止めた。次いで赤面した彼を見て、ナオは首を傾ける。
そんなケイの少し後ろで、ハルトが申し訳なさそうに目をそらした。
「ナオ、服ちゃんと着て。ごめん、ノックして入ればよかった……」
「ひゃっ!」
はだけていた寝間着を忘れていて、ナオは慌てて片手でボタンをとめる。固まったままのケイの肩から、半目のフレイアがひょっこりと顔を出した。
「スケベ。ヘタレのくせに」
「う、うるせぇ! 悪かったよほんとに!」
「そのくせしっかり見てたわよねアンタ」
「フレイア、よかった無事だったんだね!」
フレイアを見た瞬間、ナオは身を乗り出した。直後、また痛みに呻く彼女に、フレイアは顔を顰める。
「……よくないわよ。アタシは何もできなかったもの」
「ううん、私はだいじょうぶ。キミが無事でいてくれたならよかったよ」
ナオは優しく微笑むと、フレイアの小さな手をそっと握った。フレイアはされるがままになりながら、ケイの肩の上で力なくうなだれている。
「でもなんか私、最近こんなのばっかりだね」
ナオは眉を下げると困ったように笑う。ごまかすように指で頬をかくが、ケイやハルト、フレイアは何も言わずにそれぞれ顔を曇らせただけだ。
「……フレイアだけじゃない、俺だって何もできなかった。あのときも、火山の任務のときも、いつもお前ばかり危険な目に遭わせてしまって」
「ケイ?」
「……ごめん」
「どうしたの? なんでキミが謝るの? キミは何も悪くないよ?」
「…………」
ケイは黙って首を横に振る。
彼の表情を見てナオは困惑した。確かにここ最近、ナオは重傷を負うことが多かったが、スピリストである以上仕方がないことだ。たまたまそういうことが彼女に重なってしまっただけで、ケイやハルトだっていつ危険な目に遭ってもおかしくはないのだ。
––でも。
「……たかったのに」
うつむいたまま、ケイは小さく唇をふるわせる。紡がれた小声はナオには聞き取れなかったが、聞き返すことはできなかった。
「…………」
しばらくの沈黙が流れる。
そのとき、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「入ってもいいかな? ナ……」
「入るぞ!」
落ち着いた男の声を遮るようにして別の鋭い声が響くと、ナオの返事を待たずに扉が開け放たれた。
スゥが大股で部屋に入ってくる。荒い足音をあげてベッドに詰め寄って来るさまは、先ほどのケイやハルトと寸分変わらない。
「スゥ。ごめんね心配かけて」
きょとんと目を丸くするナオをよそに、フレイアはまた半目をしてスゥを振り返る。
「ここにもいたわねスケベ。アンタたち幼なじみって似たもの同士なわけ?」
「反論できません」
ハルトが遠い目をして言う。
苛立ち露わなスゥの肩越しにぼさぼさの黒髪が見えて、ナオはあっと声をあげた。
「ユキヤさん!」
「こらこらスゥ、いきなり人の部屋に入るのはマナー違反だよ」
「そんな悠長なこと言ってられる状況ですか!」
どこか気の抜けた声とともにユキヤが部屋に入ってくる。彼を勢いよく振り返ったスゥは今にも火を噴きそうな勢いだ。
「おれの仲間を……ナオを襲った奴をおれは許さない。何者ですかそいつは!」
スゥの怒号に、ナオはびくりと肩を強ばらせた。
背中に冷たいものが伝うような感覚が走る。気付けばナオは胸の前でかたく手を握りしめていた。




