8-9 監視の目
「カリス」の町でハルトが出会った同い年の少女、リサはもとはスピリストではない普通の子供だった。
さまざまな事情で独りで生きるために力が必要だった彼女に付け入るようにして、ある日一人の女が近づき、精霊石を与えられたのだという。その結果、リサは政府の知らないところでスピリストとして目覚めた。政府にとっては驚異とも言うべき存在だった。
「そりゃあんな異端な経歴、研究室でも話題になってたから。俺は会ったことはないけどね。彼女にも監視がついているけど、任務をがんばっているそうだよ」
「やっぱりあの子に近づいたのも……」
「うん、例の組織の可能性が高いね」
ハルトの言葉をアランドが補う。
「政府は彼女のことは組織の実験台だったと推測している。たまたま目についただけなのか、理由があって選ばれたのか。ただの人間にいきなり精霊石を渡してどうなるか確かめたかったのかもしれない」
「なんだと?」
「もちろん憶測にすぎないがね。俺からすれば貴重な精霊石をひとつ消費してまで実験するものかと疑問だし。ただ、普通に考えれば餌を与えたからには何かしらの見返りを求めるだろう。だから政府は彼女への監視を解くことはない。それは同時に彼女を守るという意味でもある」
アランドは手のひらを上に向けると、そのままケイを指さす。
「きみたちも同じ。この町に来たからにはいずれ命に関わる任務だって任されるようになるだろう。巻き込まれたのは災難だけど、死にたくなければ強くなるしかない」
「強く……」
「もっと深く精霊石と同調しろ。そして己の魔力を引き出せ」
アランドは人差し指を下に動かす。示したのはケイの青い精霊石だ。
精霊石をじっと見つめるケイに、アランドは畳みかけるように続ける。
「色違いは最初からそれができるのさ。自分の命の他に生まれ持った魔力を精霊石に預けている。だから強い。あの子もそうだっただろう」
「え? ああ……」
一瞬理解できなかったケイだったが、すぐに察して頷いた。アランドが指しているのはユウナのことだ。内気な性格が邪魔をしていたが、精霊と互角以上に渡り合える戦闘能力をしっかりと持っていた。
何より、ユウナの持つ魔力は明らかにケイたちより大きかった。
「スピリストは能力を得てから時間が経つほどに魔力が高くなっていく。なぜだと思う?」
「……魔力に慣れていくから」
「そう。使うたびに少しずつ精霊石と同調していって、命を糧に魔力を得る。徐々に精霊に近づくかのようにね。それが『精霊人間』というものの宿命であり、代償なんだ」
アランドは己の右手首に触れた。彼の白衣に刻まれる皺を見ていたケイを、アランドは鋭い目で睨む。
「きみがあのとき結界を突破できたのは、紛れもなく室長のおかげだ」
ケイは思わず目を見開く。
アランドの言わんとすることを瞬時に理解して、悔しげに唇を噛んだ。
「……分かってるよ」
力不足。それは紛れもない事実だ。
こうして今ここにいられるのは、ただ運が良かっただけにすぎない。
「使い方はわかった。それで石に込める魔力はどこから調達するの?」
唐突に声をあげたのはハルトだった。何か考え込むようにじっと俯いていた彼は、アランドを非難めいた目で見る。
「スピリストが自分の魔力を込める、それもできるだろうけど、さっきの風は明らかに精霊の気配だった。まさか精霊の住処に行って霊力を分けてもらうって言うの?」
含みのある言い方だ。
それに気づくと、アランドは挑発的な笑みを浮かべる。
「ふふ、食えない奴だね。きっときみの予想は当たっていると思うよ」
続きを言外に促しているのだ。ハルトは思わず舌打ちしそうになったが、一度息を吐いて気持ちを落ち着ける。
「……あのとき。リュウの屋敷にいた水の精霊はどうした」
ハルトの低い声に、ケイは声を漏らした。
ずっと気になっていたことだった。
屋敷を包む幻惑の結界を作り上げることが出来、さらに強力な水の霊力も持っていた精霊。屋敷に縛られながらもリュウを守ろうとしていた、心根の優しい精霊だった。
「だからあれはサンプルだって言ったろう。あんな死にかけた精霊を放っておいたら屋敷が吹っ飛んでたよ」
「それはそうだけど。あれも魔力石を使って……」
「ああ、それは……」
アランドが何かを答えようとする。
そのとき、突如として衝撃音とともに建物が大きく揺れた。
「うわっ」
「ん?」
揺れはすぐに収まったが、本棚からばさばさと本がこぼれ落ちて床に散らばる。
驚くケイとハルトをよそに、アランドはさっさと本を拾いはじめた。まるでいつものことだと言わんばかりに平然としている。
本を元の位置に収納しながら、アランドはやれやれとため息をついた。
「地下からかな。また暴れ出したか」
「暴れ……?」
さっさと片づけを終えたアランドは、狼狽える二人を振り返る。
「すまない、急用ができた。続きは明日にでも話してあげるから、今日は部屋に戻って……」
「ちょ、待て。地下に何があるんだっ」
アランドを遮って、ケイは叫ぶ勢いで言った。
このまま『何か』を見に行かなければならない。そんな気がしたのだ。なぜなら。
「精霊の気配がする。それもかなり強い気配だ」
立ち上がると、ハルトは静かに言う。
二人は全く引く様子はない。アランドを攻撃してでも譲らないだろう。
「…………」
アランドは少しの間逡巡するも、やがて諦めたかのように一度瞑目した。
「……何を見ても冷静でいられるかい?」
「何をって……」
二人の返答を待たずに、アランドはさっさと書庫の入り口に向かって歩き始める。扉に手をかけると、もう一度振り返った。
「あと、スゥとはもう喧嘩しないこと。約束できるならついておいで」
「あ、ああ」
ケイとハルトは同時に頷いた。
アランドは不敵に笑うと扉を開ける。
そのまま三人は無言で廊下を歩いて行った。




