8-2 白い要塞
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間もなくして、ユキヤは足を止めるとにこやかに振り返った。
「着いたよー」
そう言った彼の目に映ったのは、揃って建物を見上げて呆ける子供たちと小さな精霊の姿だった。
「ほわぁ……」
「で、でか……」
「すげぇ……」
「そうでしょ? 普通は許可がなきゃ入れない場所なんだから貴重な体験だよー」
ユキヤはご満悦だった。まるで自分の家を自慢するかのようだ。
ユキヤは三人に向けて両手を広げてみせた。
「ようこそ政府の町、そして研究室へ。僕がこの研究室の長、ユキヤだ。改めてよろしく頼むよ」
高らかに言うユキヤはへらへらとした態度から一転、柔和な目元に鋭さを宿す。
所々汚れた白衣が風に揺れている。それはいかにも研究者然とした出で立ちで、ずっと異様だった彼の姿が急にしっくりと馴染んで見える。
研究室は見た目はシンプルな造りの建物だった。
遠くから見ても大きかったが、近くで見たら想像以上だ。門扉に囲まれた敷地の中に、白い要塞が鎮座している。
不気味に思ったのは、建物には異様に窓が少ないことだ。外からだと中の様子が全く分からない。機密事項が多い施設なのだから当然かもしれないが。
「……あれは」
物珍しそうに惚けていたケイはふと目に付いたものに眉をひそめる。
門や壁には、大小の石のような飾りがいくつも埋め込まれている。
色は赤と青の二種類。
丸いそれは白い壁を彩る装飾品ではないことが今なら分かる。気付けばケイはその名を口にしていた。
「あれ、魔力石か……」
「そう、結界を張っているんだよ。この町全部そうだけど、ここは特別強力なものをね」
「……だろうな」
実にあっさりと答えたユキヤに、ケイは短く返した。
この町に入った時からずっと異様な魔力を感じていた。それがこの建物に近づくたびにさらに強く、濃くなっていったのだ。
ケイは無意識に左手で自身の精霊石に触れる。精霊石は僅かに魔力を帯び、触れる指先に熱さを感じた。
フレイアはケイの頭上から飛び上がると翼を広げる。炎の翼が大きく燃え上がり、今にも弾けそうだ。周囲に渦巻く強い魔力を警戒しているのだろう。
臨戦態勢のフレイアに向かってナオはそっと手をのばす。炎の翼を指先でつまんで抱き寄せた。フレイアが炎の猛抗議をしているが、ナオはそれを無視してユキヤを見る。
「任務でも見ただろうけど。魔力石を使って人工的な結界を作る、これも我々の研究の成果なんだよ」
ユキヤは饒舌だった。文字通り燃え盛るフレイアの霊力を間近で感じているはずなのに、彼はそれを脅威ともしない。
「他にも魔力石を使った様々な開発品があってね、例えば個々の魔力の認証を行う……」
「え、それってこの町結界張りまくってるくせに賊に侵入されていろいろ盗まれたってこと? 間抜けすぎない?」
「あう。それは言わないでおいてくれるかい」
「あうってなんだよきめぇ」
「ひどっ」
ハルトとケイの容赦ない突っ込みを食らい、ユキヤは撃沈した。寂しそうに唇を尖らせていじけるのを、ナオは苦笑いをして見守っていた。
「まぁ、政府としても胡座をかいていたのは事実だね。例の組織の件があってからはかなり警備を強化しているのが現状だ。簡単に出入りできないようになっているし、迷ったら大変だから離れないでね」
気を取り直して言うと、ユキヤは建物に向かって掌を掲げた。白衣の下の精霊石が淡く輝く。
ユキヤの魔力に呼応するかのように、周囲を包む結界が撓んだのが分かった。見えない膜を無理やり捲ったような感じだ。
手を下ろすと、ユキヤは歩きはじめた。すぐにちらりと振り返る。ついてこいと促しているようだ。
門をくぐると間もなく建物の扉の前に着く。
赤と青の石がいくつも飾り付けられたその扉にユキヤが触れると、また彼の魔力を感じる。どうやら魔力を認証しているらしい。
がちゃりという音がする。扉のロックが外れた音だ。
扉を開ける前に再び振り返ると、ユキヤはケイたちに向き直る。そして再度笑顔で歓迎を示した。
「ようこそ研究室へ。ゆっくりしていってくれ……」
「――今すぐ帰れ、馬鹿野郎ども」
「へ?」
何者かに割って入られ、ユキヤは素っ頓狂な声をあげた。ケイたち三人が揃って目を見開いた直後、背後の扉が勢いよく開いた。
「ふごっ」
ユキヤは奇妙な悲鳴をあげると吹っ飛ばされた。そのまま地面に顔面から突っ込むと華麗な滑り込みを決める。
大きな弾丸と化したユキヤを反射的に避けたケイは、扉の向こうで仁王立ちになる少年と視線がかち合った。
少年の着ている少し長めの白衣が風に踊っている。
真っすぐな黒髪を靡かせた少年は、眼鏡の下の赤目を鋭くつり上げた。
「スゥ!」
ナオとハルトが同時に少年の名を呼んだ。顔を輝かせる二人と対照的に、スゥの顔はさらに歪んだようだった。
スゥの赤い瞳に、ちょこちょこと駆け寄ろうとするナオが映る。
「スゥ、よかった元気そうで……」
「いいわけあるか、この大馬鹿がっ!」
「ぴゃんっ!?」
目を潤ませるナオに、スゥは容赦ない雷を落とした。一気に涙が引っ込むと、ナオは肩を踊らせる。
スゥはナオに掴みかかりそうな勢いで身を乗り出す。ナオはすっかりすくみあがってしまった。
「ど、どしたの? なんでそんな怒って……」
「なんでだと? お前この野郎……」
「え、ナオは野郎じゃないじゃん」
「いちいちあげ足取るなっ!」
余計な突っ込みをしたのはハルトである。一気に矛先が彼に向くと、スゥは火を吹く勢いで言う。その勢いたるや、本家火を操るフレイアでさえ引いているほどだ。
「お前ら揃いも揃ってこんなとこまで来て何やってるんだ!」
「落ち着きなってー。女の子にいきなり怒鳴るなんてひどいよ」
ハルトは慣れた様子で片耳を塞いでいる。わなわなと震えるスゥは、ついにハルトの胸ぐらを掴んだ。
「お前ら……なんでスピリストになったんだっ! おれは一言も頼んでない……」
「は? 別にお前に頼まれたからじゃないよ。何うぬぼれてんの?」
ハルトの声が急に冷ややかになる。スゥは彼を見て血走る目を見開いた。
「お前……っ!」
「まぁまぁまぁ! 落ち着いて、こんなとこで騒がないでよきみらしくもないっ」
ようやく起き上がったユキヤが慌てて割って入ってきた。睨み合うハルトとスゥはまさに一触即発だった。
スゥはユキヤを思い切り睨みつけた。ますます火力が増していくスゥは、もはやその火の色の瞳よりも燃え盛っているようだ。
「室長は黙っていてください! これはおれとこいつらの問題で……」
「ひぇっ! いやでもね……」
「何騒いでんのスゥ。早く中に入れてあげなよ」
スゥの背後から大きな影が現れる。後ろを振り仰ぐと、こちらも白衣姿の男が怪訝な顔をして見下ろしている。
「アランドさん!」
甲高い声で言ったのはナオだった。そこにいたのは、つい先ほど別れたばかりのアランドだ。
ユキヤと違って背の高いアランドに背後から見下ろされると迫力がある。一瞬動きを止めた隙を見逃さず、アランドはスゥの肩に手を置いた。
「……ちっ」
スゥは乱暴にハルトの服を離すと顔を背けた。
その拗ねた横顔は幼い頃のままだ。
こっそりそう思ったハルトだったが、それを誤魔化すようにしてアランドに笑いかける。
「一体どこ行ったのかと思ったら。アランドさんも白衣着るんだね」
「そりゃ俺も研究員だからね。さ、入って」
アランドは踵を返すと手招きをした。さっさと建物の中に消えていく彼を、ハルトは躊躇いなく追いかける。
「あ、おいハルト……」
ハルトについて行こうとしたケイはそこでたたらを踏む。何故か建物に入ることを拒んだ自らの足に、ケイ自身も驚いた。
ここに踏み入れたら最後、二度と戻れないような気がしたのだ。
「ケイ、行こう?」
ナオがケイの肩を叩く。
「……ああ」
ケイは自身の中で反復する。
ーーここに来たのは命令だ。
ケイは頷くと、ナオとともに足を踏み出した。
「…………」
横を通り過ぎていく二人を、スゥが黙ったまま目で追っている。
不服そうに目を細める彼を優しげに見る男に気付くと、スゥは顔を上げた。
「……室長。まさかあなたが手を回したんじゃないでしょうね」
「まさか」
ユキヤは軽く答えた。本当か嘘か判然としない。そんな表情と物言いは彼の十八番だ。
「仮にそうだとしても悪いようにはしないさ。きみというかわいい部下の友達だし、彼らのことはこれでも、とても気に入っているんだよ」
――なにせ、僕の任務を請け負ってくれた恩人だからね。
穏やかな声でそう言ったユキヤに、スゥは一度ゆっくりと瞑目してみせる。これ以上探っても無駄だと判断したのだ。
「そうですか」
吐き捨てるように言うと、スゥは踵を返して建物の中に消えていった。そんな彼の背をしばらく見送っていたが、一人残されたユキヤは彼らの後を追いかける。
赤と青の石の装飾が施された扉を閉めると内側から触れる。白衣の下の精霊石が淡く輝いた。
施錠された音が響いたのを確認すると、ユキヤはゆっくりと廊下を歩いていった。




