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7-51 白と黒

**



「――リュウくん!」


 扉を乱暴に開け放つと、ユウナは部屋に飛び込んだ。

 息を弾ませながら、ユウナは忙しなく視線を彷徨わせる。主のいない部屋で、真っ黒な二台のグランドピアノが寂しそうに佇んでいた。


「……どこ?」


 譫言のように言うと、ユウナはふらつく足を踏み出した。

 蓋がしめられたグランドピアノに触れる。黒く冷たいピアノにさえ拒絶されているように思えて、ユウナはまた取り乱した。


「どこ? どこにいるの、リュウくん」

「おいユウナ! どうしたんだよっ」


 ようやく追いついてきたケイたちが部屋になだれ込んでくる。ゆっくりと振り向いたユウナはどこか怯えたような表情だ。


「ユウナ! しっかりしろ、一体何があったんだよっ」


 彷徨うような足取りのユウナの肩を、ハルトが両手で掴む。弾かれたように顔を上げると、ユウナは彼を見て目を見開いた。


「ハルト……」

「落ち着くんだ。何があったのか教えてくれる?」

「……リュウくんが。リュウくんが行ってしまったの」


 ユウナはハルトの袖を掴むと、絞り出すような声で言った。


「お母さんと一緒についていくって。だから私とは一緒にいけないって……『幻』のなかでそう、彼に言われたの」

「ついていくって、まさか……」

「アランドさんに教えてもらったわ、反政府の組織があるんだって。色違いの解放を掲げた組織にリュウくんを引き入れるよう洗脳することが、あの結界の目的だったの……」

「なんだって?」


 項垂れるユウナを見て、ハルトは目を剥いた。

 精霊との戦いの直後、ユウナは一瞬放心したかと思うと突然血相を変え、礼拝室を後にした。三階にあるというリュウの部屋を探して廊下を駆け、部屋という部屋を片っ端から開けて回ってようやくたどり着いたのだ。

 この部屋に訪れるのは二度目だった。

 しかしリュウの姿はもう、どこにもなかった。その意味を悟って、ケイは悔しげに唇を噛んだ。


「……一足遅かったってことか」


 最低限のものしか置いていなかった部屋はいっそう寂しげだった。変わらず綺麗に整頓されていたが、グランドピアノの上や周囲の床には手描きの楽譜が乱雑に放置されていた。

 争った形跡はない。気配ももうなかった。部屋の主は自らの意思で、屋敷から姿を消したのだろう。


「そんな……」


 ナオはかくりと膝を折った。目の前の現実が受け入れられなくて、涙に視界が潤む。


「それじゃ……ユウナの任務は」


 ナオがぽろぽろと泣きながら呟く。それにハルトは思わず舌打ちをした。項垂れたまま身体を震わせるユウナを見下ろすと、溢れだす焦りと怒りに心が掻き乱される。


「くそっ……」


 ユウナの肩を抱く手に、無意識に力を込める。

『色違い』である彼女が、大切な戦力候補であるリュウを取り逃してしまった。任務失敗だ。

 政府は何と言うだろうか。ユウナを罵るだろうか。もしかしたら政府に罰せられるかもしれない。そう思うだけで、腸が煮えくり返りそうになる。

 ユウナは顔を上げる。同時にハルトの表情を間近で見てしまい、思わず彼の手を払って目を逸らした。


「ちょ、ユウナ……?」

「…………」


 ユウナはふらふらとした足取りで、再びピアノに近づいた。

 行き場のない思いを整理するかのように、放り出されたいくつもの楽譜を拾い集めて揃える。

 楽譜を見ながら曲を口ずさむと、それが何か気付いて歌を止める。ユウナがリュウと弾いた即興演奏だ。あの一瞬で弾いた曲を記憶して、なおかつこの短時間で楽譜に仕上げてしまったリュウの技量に感嘆する。

 楽譜は順番に並び替えると、最後のページの端にユウナの名前が書かれていた。それを見た瞬間、ユウナは大粒の涙を零した。


「……リュウくん、守れなかった。ごめん、ごめんなさい……」


 胸元に楽譜を抱きしめて、ユウナはしゃくりあげて泣いた。

 くしゃくしゃになってしまった楽譜に涙で滲む。彼女の泣き声だけが、薄暗い室内にこだましていた。


「……予想外だね、これは」


 銘々に俯く子供たちに、アランドはぽつりと言った。


「あんな組織が出てくるんだ。俺にも、ましてやきみたちの手に負えるような任務じゃない、命令した方のミスだ。っていうかうちの室長、もしかしてワザとかあの野郎……」

「アランドさん……?」


 どこか苛立ちながら言うアランドに、ユウナはゆるゆると顔を向ける。アランドはユウナの傍に歩み寄った。


「政府への報告は俺が、いや俺の上司にさせる。聞きたいことがあるなら道中答えるから、みんな隣町の支部まで付き合ってくれるかい」


 呆けるケイたちやフレイアに順に目を向けると、アランドは切れ長の目をさらに吊り上げた。


「あんた一体何言ってんだ。上司って……」

「俺もれっきとした任務でここにいるんだよ。だけどあの組織が関わるならもっと別のスピリストが出てくるべきだったんだ。俺もきみたちも悪くない」


 不機嫌そうにそれだけ言うと、アランドは踵を返して部屋を出た。ケイは慌てて彼の背を追いかける。


「あ、おい……!」

「巻き込まれたのは災難だったけど、きみたちもしばらくは自由に動けないだろうね。スゥがあれほど心配していたというのに」

「スゥ……!? あいつがどうしたってんだ、ちょっと待てよ!」

「来るんだ。質問は道中答えると言っただろう。さっさとこの任務を終わらせよう」


 早口に言うと、アランドは廊下の奥に消えていく。ケイは小走りで彼を追った。

 そのさらに後をナオとハルトが続いていく。出遅れたユウナは部屋にぽつんと取り残されてしまった。


「…………」


 涙に濡れてくしゃくしゃの顔が、黒く光るピアノに映っている。仲間たちを追いかけようと思ったが足は棒のように動かなくて、もう一度ピアノに触れた。

 閉じられていた黒い蓋をそっと開ける。綺麗に並んだ白黒の鍵盤が、ユウナの瞳に映し出された。


「……組織」


 ぽつりと言うと、人差し指で鍵盤に触れた。高い音ががらんどうとした部屋に響く。

 白と、黒と。明確なコントラストを描くそれに交互に触れる。半音ずつ上がる音が、寂しく響いて消えた。


「誰が正しくて、何が正解なのか……。私にはもう、わからない……」


 音と一緒に溶けてしまいそうな声だった。

 俯くユウナの背に声がかけられる。ハルトが心配して引き返してきたらしい。

 ハルトに半ば引きずられる形で促されると、ユウナはようやく部屋を後にした。




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