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7-49 回収


 言うと、ユウナは精霊の背後を指さした。


「え……?」


 フレイアは驚きながらそちらを見る。精霊の背後には、真っ白なグランドピアノが置いてあった。

 教会を模した広い部屋の隅に、ひっそりと置かれた大きなピアノ。すでに戦いの舞台となった室内は至る所が無惨に破壊されているが、ピアノは綺麗なままそこにあった。

 ユウナは口元をそっと綻ばせた。


「あなたは音楽が好きなの? 私もそうよ。そしてきっと、このお屋敷の住人のあの子も」


 優しい歌声を紡ぐかのように、ユウナは言う。精霊はユウナを凝視したまま動けずにいた。


「私たちはスピリスト。だから私はあなたを殺さなければならない。それが私たちの仕事だから」


 ユウナは細い腕をもたげると、精霊に向かって差し出すように手のひらを向けた。

 彼女の周りに渦巻いていた水はいつの間にか消え、代わりに複数の泡の球が寄り添うように漂っている。

 大きなシャボン玉のようだった。光を乱反射しているそれはユウナを淡く照らしていて、彼女の姿が消えてしまいそうに儚く見える。

 その光景を、アランドは少し離れたところで見ていた。戦いの邪魔にならないように身を隠しながら、彼は驚愕に満ちた表情で呆然と呟く。


「あれは、攻撃の魔力じゃない……?」

「すぐに終わらせてみせるわ。ピアノだって傷つけない。だからお願い、もう動かないで」


 シャボン玉がゆらゆらと揺れる。

 精霊に差し出した手を上へと持ち上げると、シャボン玉はゆっくりと精霊に近づいていった。


「キャア……!」


 得体の知れないものにまとわりつかれ、精霊は混乱した様子で腕を振るうが、シャボン玉はそれをすりぬける。

 精霊が攻撃をしようとしたとき、辺りに高い歌声が響きわたった。


「――――ッ!?」


 精霊は勢いよく顔を上げる。

 歌っていたのはユウナだった。目を閉じ、胸に手を当て、伴奏もなしに美しい歌声を奏でている。


 ――神に捧げる歌だ。


 精霊は金縛りに遭ったかのように動きを止めた。

 ガラスのように美しい青い瞳を丸くして、精霊は歌い続けるユウナをじっと見つめる。

 時が止まったかのようだった。歌声だけが、部屋の中を包み込むように響きわたる。

 シャボン玉が次々と弾ける。

 精霊の頬に、ひとすじの滴が伝って床に落ちた。


「…………リュ、ゥ……」


 震える声でそう言ったのを最後に、精霊はその場に頽れた。


「…………」


 ユウナは歌を止める。そっと目を開けると、ぴくりとも動かない精霊をじっと見た。

 そんな彼女を、仲間たちが心配そうに見守っていた。


「ユウナ……?」

「――とどめよ」


 静かだがはっきりとした声だった。

 精霊石が強い光を放つと、ユウナは再び水を纏う。

 顔の高さに掲げた手に、水が収束して水球になる。ゆっくりと腕を振り下ろすと、それを放った。

 水球は精霊の横を通り過ぎる。直後、かくりと曲がって進路を変えると速度を上げる。

 部屋の壁際中心に佇む神を模した像。水球はその胸元に向かって一直線にたたき込まれた。

 水が弾ける音とともに、ガラスが割れるような音が響く。像の周りの空気が一度、大きく歪んだ気配がした。


「結界……!?」


 背後でハルトがあげた声を合図に、ユウナは掲げた手をぎゅっと握りしめた。

 像の胸元にあった赤い石がまばゆい光を放つ。ユウナの水がそれを包み込むと像は砕け散り、石は高い音をあげて二つに割れた。

 その時、倒れ伏す精霊の身体からいっそう強い霊力が迸った。


「みんな今よ! 相殺を!」


 ユウナは鋭い声をあげると、発動を最大限に強めて水を生み出す。

 それぞれユウナを見て立ち尽くしていた仲間たちはその声に我に返ると、銘々に魔力を纏う。

 精霊の器が壊れるとき、霊力が爆発する。周囲に被害が出ないようにそれを全て相殺し、打ち落とすまでがスピリストの仕事だ。


「おっと。それはちょっと待ってもらえる?」

「え?」


 それぞれが攻撃を放つ刹那、やけに暢気な男の声が響いた。

 驚愕するユウナの背後から淡い光が差し込んでくる。振り返ると、光る何かを手にしたアランドの姿があった。


「アランドさん!? ちょっと……」

「よくやってくれたよ。これなら回収(・・)できそうだ」


 アランドは素早く精霊に近づいた。ユウナが止める間もなく、彼はその手を精霊の額に押し当てる。

 床に倒れ伏していた精霊は、一度大きく痙攣するかのように身体を逸らせる。

 弾かれるように持ち上がったその顔は、明らかに苦痛に歪んでいる。大きく口が開くと、断末魔にも似た高い声が部屋中に響き渡った。

 精霊の身体が眩い光に包まれ、吹きだす霊力による突風が吹き荒れる。

 後ろでまとめた髪と服を大きくはためかせながら、アランドは一歩も動かず、精霊から目を逸らさない。

 やがて光も精霊の声も、膨大な霊力の気配さえも消え失せ、ユウナはゆっくりと目を開けた。

 あまりの眩しさに視界を奪われていた子供たちが、銘々に顔を上げる。精霊の姿は忽然と消え失せており、目に映ったのは彼らに背を向けたアランドの姿だけだった。

 突き刺さる視線に気付いたのか、アランドが振り返る。彼はにっこりと笑うと、握りしめていた手を開いてみせた。


「もうだいじょうぶだよ」

「えっ……?」


 茫然としていたユウナの口から、ようやく上擦った声が漏れる。

 どこか得意げに笑うアランドに促されるまま、彼の手の中へと視線を落とす。

 掌の上には、いまだ光る小さな石を入れたガラスの筒のようなものがある。中の石は赤と青、二種類のものが内部に固定されており、それぞれが点滅するように光っていた。


 ――それはまるで、生きているものの心臓のようだ。


「……それは、一体……」


 無意識のうちに、ごくりと喉が鳴った。

 問いつつも、ユウナは本能に近い感覚で悟った。アランドの穏やかな笑顔がひどく妖しく、恐ろしく見える。


「その、なかに……あの精霊がいるの?」

「そうだよ。気配で分からないかい?」

「そういう問題じゃ……あなた一体何をしたの!?」

「見て分からないか? 回収したんだよ、精霊を」


 両端に綺麗な装飾が施された小さな筒。それを見せびらかすように揺り動かすと、アランドは顔を傾けた。


「回収……!? そんな、精霊をものみたいに。そんなことができるはず……」

「できるんだよ。それにこれは元々、研究室のサンプルだった精霊なんだ。例の組織の襲撃の際、一緒に盗まれていた『波』と『幻』の精霊」

「サンプル……?」

「そう。今の政府には魔力石を応用した発明品がたくさん存在すると言っただろう。その最高傑作とも言えるものが、この精霊捕獲装置だ」


 絶句するユウナに、アランドは手にしていた筒を見せ付けた。繊細な装飾が施されたガラスは、まるで万華鏡のように美しい。


「俺がこの任務に飛ばされた理由はきっとこれだったんだ。室長が考えそうなことだね……ん?」


 一人で納得しかけていたアランドはふと、何かに気付いて手元を見る。筒の中にある二種類の魔力石の光が強くなったのだ。


「なんだ? 何か言いたいのかい?」


 アランドは眉をひそめて筒を傾ける。輝きを増す魔力石に、ユウナは思わず手をのばしていた。


「それ貸してっ! 精霊は……っ」

「あ、ちょっと何するんだっ! 手を離せっ」


 筒を奪い取ろうとするユウナを、アランドは振り払おうとする。揉み合ううちにバランスを崩したユウナの目に、筒の中の精霊石が映る。

 確かに感じた精霊の気配。溢れ出た光はユウナに手をのばすかのようにして、彼女の身体を包み込んだ。



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