2-3 ずっと昔から知ってる
「あの人、スピリスト……」
「ああ」
ぽつりと呟いたナオに、ケイも短く答える。
少年の左手首に密着した金色の太いブレスレットのようなもの。その上にはめ込まれていた丸い石は、ケイやナオ、ハルトとも色は違うが同じものだ。
精霊石、そう呼ばれるそれはスピリストの証。そして力の源であるとも言えるものだ。
政府から与えられる任務をこなしながら各地を放浪するスピリストはそれなりにいるので、他の能力者に出会う機会が少ないわけではない。各々が個人または若干名のグループで自由に行動することが認められているので、時々出くわすことがあるのだ。
その場合でも、お互いに会話をしないことがほとんどである。
社交的な者はまれにいるが、多くは無視されたり時には明らかな敵対心を向けられることさえある。
スピリストになる者の多くは、その心に様々な感情を抱いている。無碍に踏み込まないのが暗黙のルールだ。
先の少年もそんな能力者の一人なのだろうが、同じ年頃の子供に出会うのはこれが初めてだった。
十代から二十代の若年者がほとんどだが、ケイたちのように十五歳にも届かない幼い能力者は、特殊な者を除けばさほど多くないのだ。
ナオははぁ、と大きく息を吐いた。
「なんか、不思議な人だったね。助けてもらったけどちょっとびっくりしちゃった」
「おい」
「ふぇ?」
不機嫌そうな声が降ってくる。ナオは首を傾げてケイを見た。
「お前、本当に何ともないか?」
「うん、大丈夫! どこも怪我とかしてないよ!」
「ちげぇ。いやそれもあるけど……あのチャラい奴に何かされたりとか……」
「え、何かって? 突然手掴まれたときはびっくりしたけど助けてくれたわけだし、あ、ひょっとして髪にも何かついてたのかな?」
「……もういい。置いていって悪かった」
「ケイ?」
ケイは憮然として顔を背けてしまった。少年に触れられた左横の髪をいじっていたナオは、彼に向かって不思議そうに呼びかける。
ケイの横顔は、明らかに機嫌が悪そうだった。眉をつり上げ、ぶつぶつと口の中で何か言っていたが聞き取れない。
どうしたというのだろうか。ケイの横で手をぱたぱたと振ったりしてちょっかいをかけてみるが、彼は上の空だ。困惑し、再度首を傾げたナオの髪と赤いポンポンゴムがぴょこんと揺れる。
そもそもの話、何もケイが逐一ナオを迎えに来て手を引く義務などないのである。ナオ自身が無理をして人の波に突っ込まなければよかっただけのことであって、ケイは悪くない。
彼は昔から落ち込むと、しばらく無言で考え込んだり押し黙ったりすることがある。表に出さずともナオにはすぐにわかるのだ。
回想と思案に暮れていたナオは、心を決めたようにきゅっと顔を上げる。軽やかにケイの目の前まで回り込むと、彼を上目遣いに見上げた。
「ケイ!」
ケイの服をがっしと掴み、ナオは高い声をあげる。ようやく我に返ったケイは飛び上がらんばかりに驚いた。
まん丸の大きな瞳に、戸惑いと焦りを十二分に表しているケイの顔がはっきり映る。ずいと近づけられた顔にたじろいだが、ケイは目をそらすことができないでいた。
心臓がうるさいほどに早鐘を打つ。
その可愛らしい顔がこれでもかという至近距離まで迫ったとき、ナオは不意ににっこりと笑った。
「あのねケイ、謝るのは私の方だよ。キミは何も悪いことしてないもん! それなのに私のこと心配してくれて、すっごいうれしいんだっ。それってすてきなことだよねっ」
「え、俺は……」
「それにね、私はキミのこと、ずっとずっと昔から知ってるんだよ。キミは本当にいい人だって! だからありがとう!」
「え……ああ、そう……」
力強く言い切ったナオと対照的に、棒読みの情けない声がケイの口から漏れる。
全力で慰められてしまった。どうしてこうなった。
もはや後光が差し込んで見えるほどに眩しいナオの笑顔に、ケイはがっくりと脱力した。
「いいから行こうぜ」と、辛うじて返したケイの言葉に満足したのか、ナオはやっと手を離しケイを解放する。
手のひらにじっとりと滲んでいた汗を素早く服で拭う。鼓動が落ち着いた頃には、一体何に悩んでいたのか頭からきれいさっぱり抜け落ちていた。
上機嫌なナオのすぐ後ろをポテポテと歩いてついていく。女の子の後ろを気だるげに追いかけるなど情けないことこの上なかったが、何だかもう疲れてしまった。
また列車が来たら今度は大人しく人混みが過ぎるのを待てばいいだけだ。ため息をつきながらそんなことを考えていたケイの心を読んだかのように、近くに立っていた駅員によるアナウンスが流れた。
「本日、節電のため、ただいまの時間より間引き運転を実施しております。ご乗車の際は発車時刻をお確かめ頂きますよう、ご注意願います。ご迷惑をおかけしておりますことをお詫び申し上げます」
「あっそ」
どうやらしばらく列車は来ないようだった。
半目をしながら呟いたケイを、やや苦笑いを浮かべた駅員が見送っていた。
階段を降りながら、ナオは首を傾げてホームを振り返った。
「節電かぁ。あんなにたくさんの風車で発電してても、やっぱりたくさん電気がいるのかな」
「まぁそうじゃねぇか。けど、こんだけ人の出入りがある駅なんだから、別に動かしても十分需要はありそうだけどな」
ケイはさして気にしたそぶりもなく返した。先に行ったハルトを探しながら歩く。
まもなく改札を抜けると、視界に見慣れた金髪が飛び込んできた。
壁にもたれかかってあくびをかみ殺していたハルトは、二人に気づくとむっと唇をとがらせた。
「もー遅いよ二人ともー」
言いつつも、ハルトはぶんぶんと手を振る。ナオはばつが悪そうにへにゃんと眉を下げて謝罪した。
「ごめんねハルト。私のせいなんだ」
「え、さっきの黒髪の奴じゃなくて?」
「え?」
見透かしたかのような物言いだった。ナオは思わず素っ頓狂な声を上げてハルトを見上げる。
ハルトの明るい茶の瞳がわずかに細められる。明らかに何かを含んだ目だ。
こういった表情を作る時の彼には、言葉では言い表せない恐怖や圧力を十二分に与える力が備わっているのである。少なくともケイにとっては、脊髄反射のごとく瞬間的に警戒の構えを取らせるには十分だ。
「ふーん。で、どうしたんだ? ケイの顔、もしかしてお前がなんか揉めたのか?」
ケイは分かりやすく顔をひきつらせる。鋭い。
「べ、別に。大したことじゃねぇよ、もう関わることもねぇし」
それはただの願望である。
憮然とした様子で答えたケイに、ナオはまた苦笑いを浮かべてしまった。
「そっか、まぁいいや。あいつスピリストだったよね、この町で任務か何かかねぇ。さっさとどっか行っちゃったけど、歳近そうだったからお互い思わずガン見しちゃったよー。なんか女みたいな顔した奴だったね。まぁ任務に支障がなければいいんだけど」
「ああ? どういうことだよ」
「別になんでもないー。さ、こっからは寄り道せずに行こうぜ。そろそろお咎めの電話が来るかもよー。政府の人は気が短いからねぇ」
言って、ハルトはポケットから携帯を取り出した。シンプルなストラップをつまむと、ケイの目の前でぶらぶらと揺らしてみせる。
画面が示す時刻を見ると、午後一時をゆうに過ぎていた。
できれば早いうちに任務を片づけるつもりで朝から移動してきたのだ。確かに、これでは本末転倒である。
反論の余地はなかった。満場一致で三人は歩を進めた。




