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7-45 愛と憎しみ


「!?」


 そのとき、男の声が鼓膜をつんざいた。はっと我に返ると、視界が不自然に揺れている。

 驚く青い少女の顔が目に入った。

 少女の手にはまだ触れていない。彼女の他には誰もいないはずなのに、ユウナの肩は激しく揺さぶられていた。


「ユウナちゃん! しっかりしろっ」

「――――ッ!」


 張り上げられた声に、ユウナは勢いよく顔を上げた。真っ白だった視界はいつの間にか色が戻っていて、青い少女の姿はなかった。代わりに真正面にひざまずいている少年が、ユウナの肩を強く掴んでいた。

 心配そうに覗き込んでくる少年をじっと見る。


「あ、あれ……? アランドさん?」


 そこは元いた屋敷の中の教会だった。床にへたり込む姿勢で、ユウナはアランドと向かい合っていた。

 目を瞬かせるユウナに、アランドはほっとした様子で息を吐くと手を離した。彼の右手の精霊石は強く輝いている。


「俺の能力で幻惑に割り込んだ。きみはあの精霊に捕らわれかけていたんだ」

「じゃあ、今のは……」

「ああ。幻覚、そして幻惑だ。『組織』があの精霊に指示したこと」


 言って、アランドは上を見上げる。

 追ってそちらを見ると、彼らの頭上に青色の精霊が迫っていた。ユウナは思わず短い悲鳴をあげるが、すぐに精霊がそれ以上近づいて来ないことに気付く。精霊が水を放つが、何かに阻まれて散った。

 アランドのものではない魔力の気配を彼から感じて見ると、アランドの手に赤と青の魔力石が一つずつ握られていた。それぞれが淡い光と魔力を放っている。


「それ……」

「即席だが結界を張った。長くは持たない、すぐにまた奴と戦わないといけなくなる。身体から幻惑の残滓を追い出すからじっとしていて」


 早口に言うと、アランドはまたユウナの肩を片手で掴む。空いた手を彼女の額に当てると、ユウナの身体に温かな魔力が流れ込んできた。


「……まぼ、ろし」


 そう呟くと、無意識に溢れた涙で視界が揺れる。目尻に溜まった雫はぽたりと落ちてスカートを濡らした。


「そう、きみが見たものは全て幻だ。けれどおそらくそれはきみの心が作り出したもの。対象が恐れていることを見せるのが幻惑攻撃の基本だからね」


 アランドは頷くと、憐れむように目を細める。


「……ずっと譫言を言ってたよ、『ハルト、ハルト』って。好きなんだね、彼のこと」

「…………っ!」


 ユウナはこれ以上ないほど目を見開いた。手を強く握りしめ、肩を強張らせてアランドを見るが、やがて糸が切れたかのように再び俯く。


「……好きよ。小さい頃から今も、ずっと。おかしいな、もう諦めたはずだったのに」


 弱々しい声で答える。口元を自嘲的に綻ばせた彼女に、アランドは首を傾げた。


「諦めたの? なぜ?」

「なぜ、ですって……? 『色違い』だからよ、決まってるでしょう!」


 ユウナは勢いよく顔を上げるとアランドを睨みつけた。彼は心底不思議そうな顔をしていて、それがさらにユウナの心を逆撫でる。

 気付けばユウナは早口に叫んでいた。


「私がどれだけあの人を好きでも、色違いである限り結ばれない。だから伝える勇気なんてなかった……。十二才で別れることが分かっていて、つかの間の夢を見て満足するなんて、そんなのできないっ」


 とめどなく溢れる涙が散る。肩と額に触れるアランドを振り払おうとしたが、混乱する心では発動はままならず、それはできなかった。


「みんなに会えて嬉しかった。だけどすぐに会わなければよかったって思った。みんな私の背が伸びたと驚いていたけど、ケイやハルトだって声が変わって大人っぽくなって、私の記憶と全然違ったわ。そんなの、そんなのみんなの中に私がいない現実(こと)を思い知らされただけじゃない。特にナオのことは羨ましくて妬ましくて、憎らしくて仕方がないの!」

「憎い? 彼女はきみのことを本気で心配していると思うけど」

「だからよっ!」


 ひときわ大きな声をあげると、ユウナの周囲で水流が巻き起こった。アランドを濡らすが、彼は黙ったままユウナから目を離さない。

 荒れる感情で無意識に魔力を強めてしまった。ユウナは水を収めようとするが、うまく制御できずにそれは弾けた。アランドと二人、濡れ鼠になってしまう。それがとても情けなくて、また涙が溢れてくる。


「あの子にはケイが……自分のことを好きでいてくれる人がいつも隣にいる。もし彼の手を取ったなら、何の後ろめたさもなく幸せになれるじゃない。同じ歳の女の子が、私にないものをぜんぶ持ってるのよ! でも、私だってあの子の幸せは願ってる。嘘じゃないわ。だって友達だもの、仲間だもの、わかってるのに……」


 ユウナはまた俯いた。それに合わせてアランドは彼女の額に当てていた手を離した。流れ込んできていた彼の魔力が消えて、まるで見放されたようで悲しくなる。

 見放されて当然だと思った。水を被っても怒ることすらしない彼には、きっと気持ち悪いとさえ思われているだろう。それでも、一度言葉にした気持ちは止まらなかった。


「私も昔、リュウくんのように音楽をやっていたの。だけどここで強制終了、きっとそれも含めての才能よ。私や彼にはそれがなかった、選ばれなかったのよ。……どうして、私は私に生まれてきてしまったの。もっと強くて、違う誰かに生まれたかった。私は私が、世界で一番嫌いよ……」


 ユウナはついに顔を覆うとすすり泣いた。そうしている間にも、アランドの張った結界の上から精霊が休みなく攻撃を仕掛けてきている。


「…………」


 アランドは舌打ちを呑み込むと精霊を睨みつける。この場で唯一の戦力であるユウナがこの有様では、結界を破られたら対抗できない。

 ふと、アランドは精霊の後方に白い大きなものがあることに気付く。神に捧げる歌を奏でるためのグランドピアノだ。


「……なるほど」


 アランドは何かを思いついたように唇をつり上げた。


「そういうことか。室長(ユキヤさん)が俺をここに派遣(とば)した理由が何となく分かった気がする」


 そっと呟く。しゃくりあげながら泣いているユウナを見ると、彼女の肩に手を置いた。


「顔を上げろと言っただろう。泣いていても状況は変わらない」

「…………」


 ユウナは虚ろな目をアランドに向けた。彼の目もまた真っ直ぐにユウナに向けられており、至近距離で視線が絡み合う。

 溢れる涙に視界がぼやけても、彼から目を離すことができなかった。やがてアランドはゆっくりと口を開いた。


「――もしも、色違いが自由に生きられる世の中になるとしたら。きみはどうする?」



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