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7-38 迷子のフレイア

***


 ケイたち三人がまだ屋敷の一階を探索していた頃まで、時刻は戻る。

 火山の精霊フレイアは、苛立ちも露わな表情をして屋敷の中を飛び回っていた。

 あのツボミというメイドの纏う気配がまだ肌に触れているような気がして、フレイアはさらに速度を上げる。

 一見して、ツボミは普通の人間だった。だからこそ彼女の異端さが際立つ。彼女の持つ気配はひどく不快だった。


 ――ちがう。あの指輪だ。


 ツボミから離れたからか、フレイアは少しずつ冷静さを取り戻していた。ツボミが身につけていた二色の指輪が光るのを見た瞬間、彼女から怪しい気配が迸ったのだ。

 見た目は美しかった。何かの宝石なのだろうか。

 どこかで見たことがあるような気がしたが、フレイアの元いた『クレナ』の町は火山があるため、美しい天然石が名産品だ。似たような装身具など露店でいくらでも売っていた。


「あの石。見た目じゃない、もっと何かそれ以上に……わっ」


 飛翔しながら考えていたら、曲がり角への反応が遅れた。フレイアは慌てて翼を広げると急停止し、どうにか壁への激突を回避した。

 曲がり角の向こうを覗き込むと、また長い廊下が続いている。後ろを振り返っても似たような光景が広がっていた。


「ああんもう、なによここ! どこ飛んでるかさっぱりわかんないじゃないっ」


 フレイアは翼を激しく動かすと、甲高い声で喚いた。声はむなしく廊下に反響しただけで、やがて消え去っていく。


「……フン。これが結界とやらの力なのね」


 振り回していた拳を解くと、フレイアは舌打ちをする。

 実際のところ、フレイアは屋敷内を当てもなく飛んでいた。最初は精霊としての感覚でレンカたちの言う「侵入者」であるスピリストの魔力を追えないかとも思ったが、同じところをぐるぐると飛び回っているだけのようだ。

 今いるこの場所が何階なのかも分からない。今まで火山から離れたことがなかったフレイアは、結界を操る魔力に遭遇したのも初めてだ。そして彼女の想像以上に、相手にするには苦手だったらしい。

 ぱたぱたと翼を動かすと、フレイアはゆっくりと進み始める。ほどなくして階段を見つけて上に登ってみた。


「あっ、ここさっきも見た気がするんだけどっ! なによこれーっ」


 フレイアは本日何度目かも分からない癇癪を起こした。しかし人の姿はどこにもない。


「……ここ、あの女の他に使用人もいないのかしら。いや、結界とやらで鉢合わせにならないだけなのかしら」


 苛立ちを振り払うように首を振ると、フレイアはひとりごちる。

 フレイアの小さな手に火が生まれ、あっという間に炎を纏った。


「まどろっこしい。人がいないならそれでいいわ」


 フレイアの目が見開かれる。大きな瞳に赤い炎がゆらゆらと映った。

 炎が今にも放たれんばかりに膨れ上がる。


「…………」


 腕を一閃しようとして、フレイアは動きを止める。脳裏に悲しげな(ナオ)の顔が浮かんだからだ。フレイアはまた舌打ちをすると、心底不機嫌そうに顔を歪めた。

 この屋敷に来てからずっと、ナオもケイもハルトもとにかく守りに徹している。政府への報告とやらにしても、得体の知れない女たちに対しても。

 彼らには「ユウナを守る」という枷があるからだ。フレイアもそれは十分に理解しているつもりだった。

 フレイアはすっと目を伏せた。


「……でもね。得体の知れない相手に対して、守っているだけじゃ勝てないのよっ」


 再び目を大きく開けると、炎を八方に放った。

 フレイアの霊力で生み出された炎は彼女の支配下にある。五感や気配を感じること以上に広範囲に辺りを探ることができるはずだ。

 もし結界に触れたなら、さっさと壊してしまえばいい。


「いけ!」


 そう叫ぶと、フレイアから吹き出す炎が勢いを増す。狭い廊下を炎の大蛇が駆けめぐった。

 渦を巻きながら、炎が上に登っていく感覚が伝わる。天井を突き抜け、さらに高いところに近づいているようだ。まだ上の階があるのかと思ったが、今フレイアがいるところが最上階だったようだ。


「ん?」


 フレイアは顔を上げる。炎が動きを止めた。いや、正確には何かに阻まれたのだ。何かにぶつかったような手応えがあった。


 ――これが結界とやらだろうか?


 視界には変わらず天井が映っているが、炎はその先へと届いている。フレイアは唇をつり上げた。

 手を上に掲げる。開いた指先に力を込めると、ゆっくりと握りしめようとする。何かを押し上げていく感覚が指先に伝わった。

 霊力を強めようとしたそのときだった。手のひらが粘性のある液体に包み込まれたように感じた。


「うえっ!? きもちわるぅっ」


 フレイアは全身の毛を逆立てた。

 思わず炎の支配を解く。ぶんぶんと手を振り回しているうちに、炎は消えてしまった。


「んもーなによこれーっ! 水に直接触られたみたいで気色悪い!」


 翼を高速で動かしながら、フレイアは三度喚いた。

 ひとしきり一人で暴れると、肩を弾ませてようやく落ち着く。

 結界を壊そうとしたら何かに阻まれたのだ。それも、フレイアの嫌いな気配を感じた。

 もう一度試してみようと炎を生み出してすぐに消す。何か本能的な警戒心を抱いて、フレイアは天井を睨みつける。


「……フン。そう簡単にはいかないわね」


 強がった口調でそうこぼしたが、フレイアは唇を噛む。

 力技では対処が難しい。そう悟ってしまったからだ。

 だからと言って今からナオの元に舞い戻るのは嫌だったし、そもそもどこにいるのか分からない。



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