7-37 同志を迎えに
「……スピリストか。なんであの女を逃がすんだ」
「…………」
男は答えない。代わりに纏う魔力を強めると、黒いローブが大きくはためいた。
立ちはだかる男に、三人もまた身構える。
ハルトは剣を持っていない左手を掲げると、周囲に次々と短剣が出現して彼の周りに浮遊する。
「……どけよ、おっさん」
「それはできない」
「そうかよっ!」
即答した男に、ハルトは短剣を放った。
男は跳躍するとそれを避けた。すかさず彼の目の前に炎が迫る。ナオの炎だ。
身動きの取れない空中を的確に狙い、炎は男を包み込もうとする。そう思ったナオだったが、突如として炎は弾けた。
「えっ!?」
ナオの甲高い声と同時に、男は数回身体を捻ると着地する。ナオは怯まず追撃の火球を放った。男はそれも素早く反応し跳躍しようとしたが、身体が動かなかった。
「!」
男の足は、廊下に氷で縫い付けられていた。ナオの火球は容赦なく数弾男に叩き込まれた。
「ナオ!」
「わかってる!」
ケイの鋭い声を受け、爆炎が立ち上る場所に向かってさらに炎を打ち込んだ。
ナオはのばした手をゆっくりと握りしめる。すると舞い踊る炎が凝縮されて、男をさらに追い込んでいく。
「…………っ!」
肉の焼ける臭いが鼻孔をつき、ナオは思わず手の力を緩めた。男はその隙を逃さない。
「きゃあっ」
突風とともに炎が弾ける。火は掻き消され、火の粉混じりの熱波となってナオに返ってきた。
吹き飛ばされつつも、ナオは壁を伝って着地する。
ナオは顔を上げる。男はその先で片膝をついていた。
男の周りを守るように木の葉が舞っている。彼の身体はいまだ、小さな炎を纏っていた。わずかにむき出しになった肌には火傷が刻まれている。
黒いローブが焼け焦げ、木の葉に混じって踊る。男はゆっくりと立ち上がると、ぼろぼろのローブを投げ捨てた。
「……強い」
ケイは氷の槍を構えると、低い声で言った。
「あれはたぶん『草木』だね、植物系の能力だ。でもナオの火を受けてあの程度で済むなんて」
続いたハルトの言葉に、ナオは僅かに肩を踊らせる。
「…………」
「ナオ?」
「……今、本気でおれを殺そうとしなかったな。甘いことだ、レンカの言う通り」
男はナオを見ると静かに言う。目を見開くナオに向かって、男は何かを放った。
「きゃあっ!」
「ナオ!」
反応が遅れたナオの目の前にケイの冷気が放たれる。高速で飛んできた何かはそれに阻まれると、ナオの足元に落ちて転がった。
氷に包まれたそれは、鋭く尖った緑色の葉だ。
炎が小さくなり熱波が掻き消えると、今度は冷たい空気が辺りを包む。
男の足元が、固い音をあげて凍り付く。男は顔色を変えることなく、ケイを睨みつけた。
「てめぇ、あの女の仲間か」
「仲間ではない、同志だ。そこの女も同じ」
「何?」
男の視線が滑る。それを追うと、廊下の隅でメイドが一人倒れ伏していた。
「あ、あいつ……」
ツボミだ。レンカは彼女を置いて行ったのか。ケイがそう思った時、投げ出されていたツボミの手がぴくりと動いた。
「…………」
ツボミはゆっくりと顔を上げた。
「……代表」
辛うじて息があるようだった。掠れた声が、青く変色した唇から漏れる。
「私たちの想いを、必ず実現してください」
震える両手をもたげ、近づけていく。そのそれぞれの指には、赤と青の魔力石の指輪が嵌められたままだ。
あの強大な結界を操っていた魔力石だ。もう一度二つの石が触れ合えば、彼女の命はもちろんこの屋敷ですらどうなるか分からない。
「やめろっ!」
ケイはツボミに向かって駆け出した。彼女の身体を氷に閉じ込めてでもそれは阻止しなければならないと思ったのだ。しかしケイより早く、男が彼の横を通り抜けた。
「あっ……!」
男は軽々とツボミを担ぎ上げるとそのまま跳んだ。ケイの放った冷気が、ツボミのいた床に氷を張った。
男は数度跳躍すると、廊下の先に着地する。そこには、背の高い女が佇んでいた。
「あ、あの女……!」
それは立ち去ったと思っていたレンカだった。男の肩の上で弛緩するツボミの手を乱暴に掴むと、彼女は邪悪に笑う。
「だい、ひょ……」
「あなたの仕事はまだ終わっていない」
レンカの赤い唇が吊り上げられる。同時に、ツボミは大きく目を見開くと身体を仰け反らせた。
「きゃあああ!」
ツボミのものと思われる鋭い悲鳴が響き渡るとともに、彼らを眩い光が包み込んだ。
――強い魔力の光だ。
目を開けていられなかった。ケイは腕で顔を隠すと、その場から動けずにいた。
やがて光が収まる。そこにはもう、レンカや男の姿はなかった。
「あいつら……!?」
「――時間は十分稼いだわ。きっと彼らは私たちを選ぶはず。早く迎えに行きましょう」
長い回廊の果てから響くような声がケイたちの耳に届いた。レンカの声だ。
「どういうことだ! どこにいるっ!?」
ケイは当てもなく叫ぶ。
先ほどまで渦巻いていた男の強い魔力も忽然と消えている。ただ狼狽えるケイをあざ笑うような声だけがまた聞こえて来る。
「ケイくん、今日のところはお別れよ」
小さな笑い声が混ざる。どこか楽しげで、それがさらにケイを逆撫でする。
「きっとまた会えるわ。だからほら、あなたも仲間を迎えに行ってあげなさい。きっとあなたを待っているから」
それだけ言うと、声は遠ざかっていく。小さな笑い声だけを残して、やがて何も聞こえなくなった。
「くそっ、待て!」
「やめろ! 無駄だ、もう気配がない」
飛び出そうとしたケイをハルトが阻む。ケイは悔しそうに唇を噛んだ。
「なんだったんだ……あいつら。なんで」
だらりと下げた指先を、ケイは力いっぱい握りしめる。行き場のない想いが掌に食い込んだ。
そのとき、かしゃんと音をたてて何かが転がり落ちた。
「あ、これ……」
落ちたものはユキヤの指輪だった。背中の鞄を見ると、鋭い刃物で斬られたかのようにぱっくりと裂けている。
指輪はもう光ってはいなかった。石に込められた魔力が尽きたのだろうか、ケイには分からない。
ケイは指輪を拾うと、それを握りしめる。
この指輪のことだけではない。分からないことが多すぎて、混乱を隠せない。
「……ケイ、ハルト……」
彼らの後姿を見つめると、ナオは俯く。彼女の両手は小さく震えていた。
「私……私は」
「おい、結界が消えかけてる。それに何か違う気配がする。今までになかった魔力だっ」
ナオが何かを言いかけたが、ハルトの甲高い声が遮る。
ケイとナオは顔を上げる。能力を発動すると、確かにまた違った魔力を感じられた。それもあの黒づくめの男にも劣らないほど強い魔力だ。
「まさか、これはあの人たちが言っていたお屋敷にいるスピリストなの……?」
「その可能性が高いと思う。それに微かだけど、ユウナの気配も感じる!」
言うが早いか、ハルトは駆け出した。ケイとナオもそれに続く。
「行ってみよう、ユウナもいるかもしれない!」
三人の足取りは迷いがなかった。ピンク色の髪を靡かせた幼なじみの姿を思い描いて、力いっぱい床を蹴った。




