7-36 お礼の品
「な……?」
気付けば周囲の景色が一変していた。
見覚えのある暗い廊下の真ん中で、ケイはしりもちをついた姿勢で呆けていた。
「あっ……ナオ、ハルト!?」
振り返ると、ナオとハルトがそれぞれ床に倒れていた。二人ともすぐに目を開けると身体を起こし、ケイは胸を撫で下ろした。
「ここは……よかった、元の場所か。お前らも元のままだな」
ふらつく頭を抑えながらハルトが言う。心底ほっとした表情を見るに、二人も同じように昔の姿を見せられていたのだろうか。
ナオは何かを探すようにきょろきょろとしている。やがてケイの顔をじっと見つめると、彼女は不安げに瞳を揺らした。
「さっきここにユウナがいたような……ケイ?」
「あ、ああ……」
ケイは弱々しく頷く。ゆるゆると空に向かって手をのばすナオに、どう答えるべきかわからなかった。
彼女は戸惑った様子のケイをまじまじと見ると、何かに気付いたように目を見開いた。
「ねぇケイ……それ、何?」
「え?」
ナオが指さす先を辿る。彼女が示していたのはケイが背中にかけていた鞄だ。
「な……なんだこれ?」
振り返ると、ケイは慌てて鞄を手に取る。
布製の鞄の中で何かが光っていた。青みがかった不思議な光だ。
ケイは鞄を開いた。三人で鞄の中をのぞき込むと、揃って目を丸くする。
荷物に紛れ鞄の底に埋もれていたのは、丸い青色の石がはめ込まれた指輪だった。
石はキラキラと光を放っている。恐る恐る指輪をつまむと怪しげな光が顔を照らして、ケイは息を呑んだ。
「これ……」
「あ、これ。あの白衣のおっさんがくれた指輪じゃ」
戸惑うケイに、ハルトが声をあげる。
ケイはすっかり存在を忘れていたが、それは湖での任務で会った『幻』のスピリスト、ユキヤが別れ際にケイに渡してくれたものだ。使い道もなく放置していたら、いつの間にか鞄の奥に押しやっていたらしい。
確かユキヤは「任務のお礼」と言っていたが、それがなぜこんなに光り輝いているのだろうか。
「それは魔力石! どうしてっ……!?」
女の金切声が割って入ってくる。
声の主はレンカだった。壁を背にして蹲っている彼女は、忌々し気に歯を食いしばってケイを睨みつけている。先ほどまでと違い、彼女もひどく消耗しているように見える。
荒い息遣いを繰り返す彼女のすぐそばには、メイドのツボミが倒れていた。ぴくりとも動かない彼女は、息があるのか分からない。
「魔力石……これが!?」
ケイは手の中の指輪を見て驚愕する。応えるように青い石がきらきらと輝いたと思うと、急に熱を帯びて感じた。
その熱に覚えがあって、ケイは指輪を握りしめる。少し熱いが、優しい温かさだった。
「もしかして……さっき背中が熱かったのはこれだったのか」
ケイは小さな声で呟く。
幻の中の故郷で、確かに何かが身体を包み込んでくれたように感じたのだ。掌の上に転がる小さな石が、あの幻惑の結界からケイを救い出してくれたのだと直感した。
「……そう。青の魔力石は魔力を増幅する。それがあなたの魔力を底上げしたのね。そうでなければ簡単に破られる結界じゃなかったもの」
低く、地の底から響くような声でそう言うと、レンカはゆらりと立ち上がる。その手にはまだ青い魔力石を握りしめたままだ。危なげな足は数度ふらふらと身体を揺らし、長髪の隙間から覗く目でケイを睨みつけた。
「……やっぱり、さっきのはお前の結界か」
ケイの精霊石が強く輝く。
氷の槍を構えると、肌を突き刺すように強力な冷気を纏った。
ナオとハルトもそれぞれ構えると、じりじりと距離をつめていく。三人で油断なくレンカを取り囲んだ。
――この女は、今ここで捕えなければならない。
そんな直感が、三人を突き動かしていた。
「いまいましい。政府も戦力を簡単には渡さないということか」
レンカは舌打ちすると踵を返す。そのまま三人の隙間を抜けようとした彼女に、ケイは飛び出した。
「逃がすか!」
のばした手が、靡くレンカの長髪をとらえようとする。その刹那、彼らの間に大きな影が躍り出た。
「っな!?」
ケイは反射的に足を止める。突如現れた影に衝突しそうになるのをどうにか回避すると一歩跳び退る。直後、ケイの立っていた場所を何かが通り抜ける音がした。
強い魔力の気配が充満する。
ケイの前に立ちはだかったのは、黒いローブに身を包んだ大きな男だった。フードの下から覗く眼光は鋭くケイを見下ろしている。ローブの隙間からは筋骨隆々とした身体と黒づくめの服が見えていた。
「誰だ!?」
ケイは冷気を強めて男と対峙する。
気圧されてしまいそうなほど強力な魔力を感じた。突如として現れた男は、ちらりと背後を振り返る。
「――行け」
「ええ」
男の姿に隠れていたレンカが短く答える。
悠々とした彼女の足音が廊下に響きわたった。
「あ、くそ! 待てこの女っ!」
ハルトは彼女を追いかけようと駆け出そうとする。それを阻むように、彼の足下に何かが叩きつけられた。
「うわっ」
ハルトは驚きつつも後ろに飛んだ。見ると、彼が立っていた場所の廊下に何かが突き刺さっている。
「葉っぱ?」
油断なく剣を構えながら、ハルトは下を見て呟く。堅い廊下に刺さっているのは、数枚の木の葉だった。
男の右手がハルトに向けられている。長袖に黒い手袋をしていたので精霊石は見えないが、袖の隙間から魔力の光が漏れていた。




