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7-35 自らの意思


「っ!?」


 耳の中を這うように不快で、よく響く声だった。

 周囲にはケイと子供たち以外の姿は見あたらない。しかし声だけは幾重にも重なるように反響し、ケイは反射的に耳を塞いだ。

 幼いユウナたちが狼狽える様子はない。彼らには聞こえていないようだ。


「ハルトたち、行っちゃったわね」


 ユウナが眉を下げ、ぽつりと言った。奇抜な色の髪がさらさらと風に遊ぶ。


「あとどのくらいの間ここにいられるのかしら。ハルトたちとは違って、私は……私たちは」


 ユウナの声が震える。緑髪の女の子が彼女の肩にそっと手を置いた。


「――――」


 彼らはまだ何か話していたが、吹き抜けた風の音が声を掻き消した。

 強い風だった。思わずケイは目を瞑り、腕で顔を庇う。

 草木が大きく揺れる音がする。それに紛れて、遠くの方で鐘のような音が聞こえてきた。


「…………?」


 風はやみ、ケイはゆっくりと目を開ける。辺りの景色はいつの間にか町中のものに変わっていた。

またしても見覚えのある景色に、ケイは息が詰まるような心地がした。目の前に建つ建物は、ケイが十二歳まで過ごした故郷の初等学校(アカデミー)だ。吸い寄せられるかのように、ケイはふらふらと校舎に向かって歩いていった。

 幾人かの子供たちが校庭で走り回っている。そんな彼らに向かって、窓から若い女性教師が声を張り上げていた。

 先ほど聞こえたのは初等学校(アカデミー)の鐘の音だ。時間帯はよく分からなかったが、おそらく礼拝の時間を告げているのだろう。


 故郷の町は人口があまり多くなかったため、教会と同じ敷地に小さな校舎があった。

 今、ケイが本当に訪れているはずの『アウロラ』の町とは比べものにならないほどこじんまりとした教会だった。故郷のような小さな町でも、子供たちは皆日々の神への祈りは欠かさない。物心つくころからずっと、そう教えて来られたのだから。


 ――たとえそれがいつか、自らの意思で裏切る神であったとしても。


 ケイは足を止め、力なく下げていた手をかたく握りしめた。裏切り者の象徴である手首の精霊石が静かに光っていた。


「置いていかないでほしかったのに。せめて今だけは」

「えっ!?」


 俯くケイの後ろから、またユウナの声が聞こえてきた。驚いて振り返ると、いつの間にか幼い姿のユウナが目の前に立っていた。

 彼女はじっとケイを見つめている。ケイと目が合うと、無表情だった彼女は涙を浮かべて顔を歪めた。


「……離れたくなかった。あのまま一緒に過ごしたかった。なのにどうして……? どうしてなの、ケイ?」

「それ、は……」


 泣き出すユウナに、ケイは口籠る。うまく言葉が紡げなかった。

『色違い』としての理不尽な役割が、世間からの非情な扱いが。ただどうしようもなく憎らしい。

 ケイの頭の中で、何かが激しく渦巻くようだった。


「うあっ……」


 突然、ケイは頭が割れそうなほど強烈な頭痛に見舞われ、呻き声をあげて頭を抱えた。直後、今度は背中に小さな熱を感じる。


「…………?」


 背中から伝わる温もりに癒されるかのように、脈打つような頭の痛みは少しずつやわらいでいく。くずおれそうな足に力を込めるとゆっくりと顔を上げる。目の前にいるユウナは不思議そうに首を傾げた。


「ユウナッ!」


 そのとき、別の高い声が響いた。そちらを見ると、ユウナに向かって駆け寄ろうとする少女の姿がある。


「ナオ!?」


 幼いユウナの前で足を止めたのはナオだった。それもよく見知った十三歳の姿のナオだ。

 縋るような目でナオを見上げるユウナの前でひざまずくと、ナオは優しく微笑んで見せた。茫然とするケイには気付いていないのだろうか、ナオは見向きもしない。

 なぜか金縛りに遭ったかのように身体が動かなくなった。声すらも出せず、ケイはその場に立ったまま彼女らを見つめていた。


「だいじょうぶ。もうだいじょうぶだよ、ユウナ……」


 優しい声だった。ユウナは目じりに涙を溜めたまま、ゆっくりと顔を綻ばせる。

 ユウナはナオに向かって両手を広げてみせた。まるでユウナの方がナオを包み込もうとしているかのように穏やかな表情だ。


「ともに政府と戦いましょう。私たちは、あなたのような純粋な戦力を必要としているの」


 小さく動いたユウナの唇から、彼女に不釣り合いな低い声が漏れる。

 ケイの全身に悪寒が走った。直後、靡いていたユウナの髪が不自然に揺れる。彼女の姿が、まるで絵具をかき混ぜたかのように一度大きく歪んだのだ。

 ケイ自身も無意識のうちに足が動く。

 ユウナの白い手が、ナオを抱きしめようとのばされる。その刹那、ケイは二人の間に割り込むと、その手を弾き返した。


「――触るな」


 ケイは氷の槍を構えると、低い声で言う。その先端はユウナの額に突きつけられていた。


「……どうしたの、ケイ」

「俺はさっきあんたに言っただろう。こいつに……ナオに手を出したらぶっ飛ばすと。触んじゃねぇよ!」


 ユウナの眉がぴくりと跳ね上がる。これまでに見たこともないほど冷徹な表情だった。


「なぜ? あなたは政府を許せるの? この子(・・・)をあなたから奪ったのは政府なのよ」

「許せるかっ! 俺が政府を憎んでいるのは事実だ!」


 ケイが声を荒げると、彼の全身から強い冷気が迸る。背後にいるナオは凍り付いたように動かずにいた。


「それならなぜ? 私たちには力がある。ともにこの子のようにかわいそうな色違いたちを救い出しましょう?」

「断るっ!」


 再び小さな手を差し出したユウナに、ケイは迷わず答える。


「スピリストの力を手に入れたことも、その代償に政府の駒になったことも。それで誰かに疎まれたとしても、全部納得した上でのこと。全部が俺の、俺たちの意志だ! なめんじゃねぇ!」


 言うと、ケイは氷の槍を一閃した。冷気が竜巻のように巻き上がると、ユウナは――レンカはたまらず悲鳴をあげて後ずさった。

 ぱぁん、と何かが弾けたような高い音が響く。

 直後、辺りの景色は崩したパズルのように砕け散った。



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