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7-31 見えない襲撃

***


 ケイたち三人は薄暗い廊下を慎重に歩いていた。

 降り注ぐ水滴はやがて濃い霧に変わり、辺りがよく見えない。進むたびに周囲の温度が下がっていくような気がして、ナオは自身の肩を抱いた。


「さむ……」

「だいじょうぶ?」


 見かねたハルトはナオの腕に触れたが、とても冷たかった。ナオは震えながらも頷いた。


「だいじょうぶ。もう火は出さないから」


 ナオは奥歯を噛みしめる。

 暖を取るために出していた火は、すぐに消さざるを得なかった。この暗さの中では明るく目立ってしまうため、無暗に使うわけにはいかなかったからだ。

 水滴で濡れ、身体に貼りついた服がさらに体温を奪う。それでも気丈に廊下の先を睨みつけるナオの横顔を見て、ハルトは何も言えなかった。

 ハルトとて寒さを感じないわけではなかった。立ち込める魔力の気配は確実に強くなっている。辺りの霧が肌に纏わりつくような気がして、叩くように腕を撫でた。


「ケイ、お前はだいじょうぶか?」

「ああ」


 一番前を歩いていたケイは振り返ると頷く。彼はナオと違って顔色ひとつ変えずに辺りへの警戒を続けている。

 震えているナオを見て焦る素振りを見せたもののすぐに前を向くと、ケイは発動を強める。

 この三階の廊下の先に、必ず何かある。

 隠す気もなく強まる魔力と冷気が、彼らを捕えるように包み込んでいるのだから。


「おい。この先は何がある? リュウの部屋か?」


 少し遅れてついて来ていたツボミに、ケイは低い声を投げかける。ツボミは足を止めると、静かに首を横に振った。


「いいえ。リュウさんの部屋は真逆です。ここから先は奥様の部屋と、大部屋が一室あります」

「大部屋?」

「はい」


 ツボミは頷く。廊下の先へと目線をやると、腹の前で両手を組む。淡く光っているふたつの指輪がぶつかり、かちりと音をたてた。

 指輪の光が強くなる。目を見張るケイを遮るようにして、ツボミは続けた。


「この屋敷の所有者は教会関係者です。その部屋は……」


 ツボミが言い終わる前に、突如として轟音が降り注いだ。


「うわっ!?」


 音から一瞬遅れて屋敷全体が揺れた。同時に周囲の空気が不自然にかき混ぜられたような気配がして、ケイは身体を強ばらせた。


「なんだ……結界が……!?」


 ケイは頭上を振り仰ぐ。

 屋敷を包む結界が大きく歪み、魔力が荒れていた。屋敷への衝撃も魔力の波もこれまでの比ではない。まるで結界の上で何かが暴れているかのようだった。


「二人とも気を付けろ、何かおかしい……」


 追い打ちをかけるようにして、今度は天井から突風が降り注いできた。


「きゃっ!」


 周りの冷気を巻き込んだのか、冷たい風が顔に叩きつけられる。ナオは思わず腕で顔を庇った。しかしそのおかげか立ちこめていた霧は風にさらわれ、次第に寒さは和らいでいった。


「ふえ?」


 震えて縮こまっていたナオは気の抜けた声をあげると、再び上を見上げる。ようやく思うように身体を動かせそうだった。

 周囲を包んでいた魔力が高速で巻き上げられていく。それを注意深く観察していたナオは大きな目を見開いた。


「なに? 魔力が上に……結界に向かって吸い寄せられてるような……?」

「きゃああっ!」

「ぴゃっ!?」


 ナオの声を遮り、金切り声が廊下に響きわたる。驚いて飛び上がったナオはそちらを振り返るとさらに驚愕した。

 声の主はツボミだった。肩を強ばらせて己を掻き抱き、額には大粒の汗がにじんでいる。黒いスカートが風に翻ると、彼女はその場に膝をついた。


「おい、どうした!?」


 ただならぬ様子に、ケイたちは彼女に駆け寄る。ツボミは彼らを上目遣いに睨んだが、すぐに弱々しく目を伏せた。

 浅く早い呼吸のたび、肩が跳ね上がる。先ほどまで平然と佇んでいた彼女が突如、目に見えて消耗していた。


「ちょ、だいじょうぶか!? いきなりどうし……」


 ハルトはツボミに手をのばすが、彼女はそれを叩いて拒絶する。


「はぁ……はぁ……」


 荒い呼吸に合わせ、ひゅーひゅーと息が漏れる音がする。それでも彼女はハルトを鋭く睨みつけた。


「触らないで……!」


 頑なに拒む彼女に、ハルトは思わず手を引っ込める。戸惑う彼の視界の隅に、小さな光がちらついた。


「……その指輪」


 下を見ると、床についたツボミの手の上で指輪が輝きを増していた。

 両手に嵌められたふたつの魔力石が、まるで人を魅了するかのようにぎらぎらと怪しく輝いている。それを見て、三人は本能的な恐怖を覚えた。

 ツボミの上半身がぐらりと揺れる。

 床に倒れそうになった彼女に向かって、ハルトはまた手をのばした。


「やめてっ!」


 ツボミはまた拒絶しようとしたが、今度はそれを無視した。しかしハルトがツボミの肩を掴もうとしたそのとき、ひときわ強い風が頭上から彼らに向かって叩きつけられた。


「うあっ!」

「きゃああっ」


 それは強い魔力を帯びた風だった。巨大な竜巻のように渦巻く魔力の塊が、天井から降り注いできたかのようだった。

 彼らの悲鳴をかき消す勢いで、ごうごうと風が吹き荒れる音が響く。

 支え損ねたツボミの身体は、どさりと音をたてて倒れ伏す。みしみしと骨が軋む嫌な音が聞こえてきて、ハルトは焦る。


「ケイ、メイド(そいつ)とナオを頼むっ」


 言うと、ハルトは立ち上がり前に躍り出た。彼の精霊石が鋭く輝くと、掲げた手の上に巨大な剣が具現化される。

 四人の姿を隠せそうなほどに大きな剣は不自然に刀身が太く、即席の盾となる。しかし四方を防ぐ結界にはほど遠い防御壁だった。


「ぐっ……!」


 容赦なく叩きつける上方からの圧力に、ハルトが呻き声を上げる。

『剣』は元々防御を得意とする能力ではない。どこからか吹き荒れてくる魔力から皆を守るには限界があった。

 四人の服や髪が大きくはためく。周囲に強い魔力が吹き荒れ、思わず足がすくんだ。

 これまで感じていた結界の気配とは違う、全く別の魔力だった。あまりに強大なそれは風となり、屋敷中に一気に浸潤する。

 必死に発動を強めるハルトの後ろで、ケイとナオは体勢を低くして突風に耐えていた。

 ハルトの剣の影から、吹き荒れる風の合間をぬって顔を上げると天井を睨みつける。風が強く吹くたびに、上の方で何かがぶつかるような音がしているのだ。

 幾度めかの衝撃音が響いたとき、天井付近で一瞬火花のようなものが散ったように見えた。

 三人は同時に目を見張った。



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