7-30 ひとり
「足跡……?」
「そのようだね。たぶんきみの仲間たちだろう」
「それじゃ、これを追っていけば……!」
ユウナは顔を上げる。飛び出しそうになる彼女を、アランドは冷たい声で遮った。
「駄目だ、そんな時間はない。きみの目的は任務を達成することであって、仲間に会うことじゃないだろう」
ユウナは凍り付いたように動きを止めた。
振り向くと、立ち上がったアランドはまたブローチを掲げて風を起こそうとしているところだった。
ここにくるまでにもたくさんの部屋があったが、アランドは一つも確認しようとしなかった。的確に進む方向を決め、迷う様子はない。ユウナはただ子鴨のように彼について行っただけだ。
己の無力さに悔しさが溢れた。気付けばユウナは、どこか投げやりに口を開いていた。
「それだけの力があれば、あなた一人でも……」
「甘えるな。これはきみの任務だ」
即座に鋭い声が返ってくる。
ユウナは口元を手で覆う。失言に青ざめたがもう遅い。顔を上げると、心底不快そうに顔を歪めたアランドが見下ろしてきていた。
「ご、ごめんなさ……」
「きみね、いちいちそんな顔しないでくれる? はっきり言って目障りだ」
アランドの声の苛立ちが増す。ユウナはびくりと縮こまると、堪え切れずに目を逸らした。
「私は傷つきました、辛い想いをして生きてきました。そんな風に悲観して自分を守ろうとする人間は、俺は嫌いだ。か弱さをアピールして誰かの同情を誘おうとでも?」
容赦のないアランドの言葉が、ユウナの心を深く抉る。
目をぎゅっと瞑り、首を小さく横に動かしたことだけが、精一杯の反抗だった。
「そんなこと……」
「きみはひとりだ。そして俺も、きみの仲間たちも。誰かの背中を追いかけて、誰かの顔色を窺っているだけじゃ強くはなれない」
「分かってる……分かってるわよ」
「分かってないよ。結局のところきみは誰かの助けがなければ何もできないだけだろう」
「…………っ」
ついに言葉を失うと、代わりに目からぽろぽろと雫が零れた。能力を発動しているわけではないのに溢れる水は、ユウナの意思では止まってくれない。
肩を震わせるユウナを見て、アランドは我に返ったようだった。気まずそうに眉根を寄せると、少しだけ口調をやわらげた。
「だけどきみは色違い。しかも優秀な攻撃能力を持っているはずだよ。憎らしいくらいにね」
「……私は好きでこんなこと……」
「わざわざ世間の多くを敵に回してまで能力を手に入れたスピリストに、好き好んで戦っている奴がどれだけいると思ってる。その迷いがある限り、きみはいつまで経っても弱いままだ。誰かがいつも助けてくれるわけじゃない」
もはやぐうの音も出なかった。これまでに経験したことがないほどの悔しさと情けなさに、心が張り裂けそうになる。
アランドの言うことは正しい。そう認めざるを得なかった。
色違いのスピリストは、基本的にケイたちのようなグループ行動は認められていない。そうしなくても各々の能力が優れているからだ。今までもこれからも、戦う時は一人きりなのだろう。
「――顔を上げろ」
アランドの低い声が頭上から降り注ぐ。その言葉に、ユウナは反射的に顔を上げた。目じりに溜まっていた涙が散って床にぱたりと落ちる。
「迷うな。特に幻惑系の能力相手には少しの迷いが命取りになる。今この場所にスピリストとして立っているならば立ち向かえ。俺ができるのはきみを誘うことだけだよ」
瞳を潤ませるユウナに、アランドはそれだけ言うと背を向けた。
ブローチを握ると、途端に彼の周囲に風が渦巻く。鋭く空気を切る音が二、三度響くと、彼は右手を一閃した。
ユウナは手で涙を拭う。溢れてくる涙を懸命に振り払った。
鈍い衝撃音とともに、今度は屋敷も少し揺れたようだった。転げないように体勢を低く構えると、ユウナも辺りの気配を探ろうとする。
結界の魔力が激しく流れているのが分かる。回数を重ねるごとに分かり易くなっていたが、それはつまり結界が綻び始めているということなのだろう。
さらに数発、アランドは風を放つ。今度はあまり魔力の揺れは感じない。あえて標的を外しているように思えて、ユウナは眉をひそめた。
「牽制……?」
「そ。闇雲に攻撃するだけじゃ芸がないだろ」
ユウナの呟きに、今度は穏やかな声音が返ってきた。
「魔力石に込められた魔力はいずれ底をつくはずだ。ま、それは俺のにも言えることだけど」
光を収めたブローチを手の中に隠して、アランドは言う。
これまでと同じように辺りの気配を探る。ユウナと同時に二手に分かれた廊下の一方を指差した時だった。
不意に、屋敷を包む魔力が強まったのを感じた。
「これは……!?」
二人は天井を振り仰いだ。
これまでは魔力が濃い方から薄い方へと流れていただけで、魔力の強さは一定だった。それが今、確かに変わったのだ。
吹き抜けた風に煽られ、ゆらゆら揺れる照明をじっと見つめながら、アランドは唇をつり上げた。
「――よし。しっぽを出した」
アランドはブローチをポケットに仕舞う。
「え? 一体なにを……」
「特殊系の能力者の最大の弱点は、術者本人の位置を相手に悟られること。無防備な中攻撃されたらひとたまりもないから」
狼狽えるユウナに向かって、アランドは手を振る。下がっていろ、と言いたいようだ。
ユウナが数歩後退したのを確認すると、アランドは何も持っていない右手を掲げた。
右手首の白い精霊石が鋭く輝く。『幻』の能力の発動を強めたのだ。
アランドの手の中に目に見えて魔力が凝縮されていき、光の球をかたどる。
彼とユウナの周囲を守っていた魔力が膨張する。あまりの圧力に、ユウナは思わず足がすくんだ。
「さあ、勝負だ。この俺との力比べ、ぞんぶんに楽しませてくれよ」
不敵に言うと、アランドは上方に光の球を放った。
直後、轟音とともに屋敷は揺れ、何かに亀裂が入ったような高い音が響きわたった。




