7-29 干渉
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隠す気もない大きな足音が二重になって廊下に響き渡る。
アランドとユウナは今、一階を早足で歩き回っていた。体格が大きいぶん歩くのが速いアランドに必死についていくユウナは、もはや小走りだ。
地下から一階に上がっても、屋敷の中は薄暗かった。意識を失っている間にかなり時間が経っていたのかと青ざめたが、携帯電話の時計を確認するとまだ昼下がりの時間帯だ。
そうしている間に、また前を歩くアランドと距離が広がっている。「いざという時は頼む」などと言っておきながら、彼の中ではユウナのことは意識の外にあるようだ。
「ま、待って!」
思わずユウナは声を張り上げた。それに気付いたからなのか、アランドはぴたりと足を止める。
アランドはユウナを振り返ることなく、不意に目線を上に向ける。握ったままの右手を掲げると、周囲に渦巻くような風が巻き起こる。
「きゃっ」
アランドの背後にまで追いついたユウナは、風をもろに受けて髪を大きく靡かせた。
「静かにしてくれる?」
冷たい声が飛んでくる。顔を上げると、アランドにぷいと目を逸らされた。
彼は天井を見ながら、忙しなく目線を動かしている。まるで何かを探しているかのようだ。
「こっちだ」
しばらくして、何かに気付いたらしいアランドは親指で一方の通路を差した。ユウナはそこで初めて、目の前にあるのが分かれ道だったことに気付く。
先ほどからずっと、アランドは突然立ち止まっては風を起こして気配を読む、ということを繰り返していた。彼の手の中には、風の精霊の力が込められているという魔力石のブローチが握られていた。
「魔力石。その風の力で結界を攻撃しているの?」
「当たり。賢いじゃないか、さすがスゥの友達」
再び歩き出したアランドの後を追いながら、ユウナは怪訝そうに顔を顰める。
アランドが風を使うたび、周囲の魔力が不自然に歪んでいることが分かった。理屈は分かるが、目にも見えず気配の出所も分からない結界に向かって簡単に攻撃をしてみせる目の前の男が心底恐ろしく感じた。
結界が撓んでいる。攻撃の回数を重ねるたび、損傷された箇所に向かって魔力が流れ込んでいくのがはっきりと分かるようになった。アランドは魔力の強い方を選んで進んでいるらしい。
「でもこうしていたら、この結界の主にも私たちの位置が分かってしまうんじゃ……」
「そりゃそうさ。だってこのままじゃ埒があかないだろう」
足を止めて振り返ると、アランドはあっさりと肯定する。驚愕するユウナに対し、何を今更と言わんばかりの表情だ。
「『水』と違って決定打に欠ける特殊系能力は長期戦になりやすいんだ。どっちもが隠れてどうするんだよ。勝つためには攻めなくちゃ」
アランドは手の中の魔力石を指で掴む。綺麗な赤いブローチの石に、不敵に笑った彼の顔が映った。
「この俺に幻惑だなんて片腹痛い。すぐに炙り出してやるさ」
アランドはそれだけ言うと、再びユウナを置いて歩き始めた。
アランドの低い声に、ユウナはぞくりと背筋を凍らせる。
『水』は攻撃力に優れた能力だ。その上色違いであるためか、ユウナの持つ魔力は人よりも多いと政府に評されたこともある。おそらく人並み以上の戦闘力は持っていると自負していた。しかしアランドの言う通り、彼とは戦い方がまるで違うのだろう。
それはつまり、アランドに対してもこれまでの戦い方が通用しないかもしれないということだ。ユウナを助けに来たという彼のことも、反政府組織とやらのことも、嘘でないとは言い切れない。幼なじみであるスゥの名前を語ることくらい、事前に調査していれば不可能ではないはずだ。
疑ってかかればきりがない。
ユウナは唇を噛む。
罠かもしれない可能性に、飛び込む勇気が揺らいでしまう。それを必死で奮い立たせて、ユウナはまた足を踏み出してアランドを追う。
リュウを見つけるためにも、この結界を何とかしなければならない。早くしなければ逃げられてしまう可能性もあるのだ。
「結界があるということはまだ『色違い』は屋敷にいる可能性が高い。きみはもう政府にある程度の報告をしているはずだから、外からの干渉の時間稼ぎという意味でね。きみの仲間をあっさり招き入れた理由は分からないけどまぁ、たぶん『色違い』の洗脳が完了するまで下手に手を出されないように足止めしているのかな」
「でも、すでにあなたは干渉しているわ」
「そうだね。そりゃ本当に予定外だったと思うよ、結界の主にとってはね」
アランドは含み笑いでそう言った。任務は不服そうだが、相手の嫌なところを突くのは嫌いではないらしい。
しばらく道なりに進むと広い場所に出る。玄関だった。そこを挟んで、さらに向こう側二方向に廊下が伸びている。また分かれ道だ。
アランドは足を止めて右手を握る。また風で結界を攻撃するのだろうか。
しかしアランドは目の前の廊下を交互に見ると、今度は視線を落とす。しゃがみこむ彼を目で追うと、ユウナは廊下に真新しい汚れがあることに気付いた。




