7-28 雨
「うわっ」
ケイは思わず腕で目を覆う。
その光はただ綺麗な宝石が放つものではない。ケイの右手首にある精霊石と同じ、魔力を帯びた光だ。
「……その指輪、一体何なんだ。明らかに魔力を感じる。あんたは本当にスピリストじゃないのか?」
警戒に満ちた声だった。ツボミは不快そうに眉を跳ね上げるとそっと目を開ける。
「……違いますよ。あなたこそ、スピリストの身で魔力石をご存じないのですか?」
気だるげに答えると、ツボミは呆れたような目をケイに向けた。
組んだ手を解くと、指輪の光は少しずつ弱くなっていく。やがて淡い光を纏うだけになった。
時々脈打つように光を強くするそれは、生き物のようで不気味だ。
ケイの視線に気付くと、ツボミは右手の指輪をそっと撫でた。
「魔力石とはその名の通り、魔力を帯びた特殊な石です。簡易的な魔力の膜、つまり結界を作り出すことで、石の魔力が尽きるまでは私たちを守ってくれます」
「なに……?」
ケイは瞠目した。スピリストではない彼女にそんな芸当が可能なのか、にわかには信じられなかった。
ツボミの周囲を注意深く観察すると、確かに指輪を中心とし、薄い魔力が広がっている。階段の上の方にも通じているのをみると、先に行ったハルトやナオもまだ魔力の範囲内にいるということだろう。
ツボミの魔力はハルトでも気付かないほど薄い。作り出す結界も、さほど範囲は広くないことは想像できた。
だからツボミは、屋敷に入るときに「私から離れるな」と言ったのだ。
魔力を帯びた石。その存在はケイにとっては突拍子もないもので、恐ろしささえ感じる。
驚愕も恐怖も押し込めると、ケイは頬を伝った汗を手で拭った。
「そんなもの……なんであんたが持ってるんだ。あんたは政府の人間じゃないんだろう」
「私のものではありません、少しの間預からせて頂いているだけです。そしてあなたの質問に答えることは、取引のうちに入っておりません。それよりもほら、私から離れないうちにお二人を追いかけないといけませんよ」
ツボミは早口で言うと、ケイの反応を待つことなく階段へと向かう。
早足でケイの横を通り抜ける。睨みつけてくるケイを見ることなく、スカートを翻した。
こつこつと階段を登る足音が響いてくる。
遅れて、レンカもケイの横を通り過ぎる。思わず彼女の腕を掴みそうになるが、それを抑えて拳を握りしめた。
魔力石についてレンカを問いつめたところで、どうせ答えは返って来ないだろう。
それにツボミの言う通り、今はあまりハルトやナオと離れるべきではない。
顔を上げると、ケイは小走りで彼女らを追いかけ、三階に上がった。
階段から廊下に出てすぐ、ケイを待ち構えていたらしいハルトが振り返った。
「やっと来た。何してたんだよ?」
「いや……」
ケイは小さく首を横に振る。
ハルトが訝しげな顔をしていたが、ケイはそれをひとまず無視して目を逸らす。ツボミの魔力石のことは気になるが、今は後回しだ。
「ねぇ二人とも。なんかここ寒くない?」
ナオのわずかに震えた声が聞こえてきた。
そちらを見ると、ナオが自身の肩を抱いている。ぶるりと震え上がると、彼女は手元に小さな火を出現させた。暖を取るためらしい。
見るからに寒そうにしている彼女を見て、ケイは首を傾ける。全く寒いとは思わない。能力の違いだろうか。
「そうか? 俺は別に……。ハルト、お前は?」
「んー、言われてみれば確かに下より寒いかも?」
ハルトも曖昧な返答だった。考えることは彼も同じようだ。
平然としている二人にナオは戸惑う。その間にも、冷たい手で包み込まれるような寒さを確かに感じて縮こまる。
「あれ?」
ふと、むき出しの肩に何か冷たいものが当たったように感じて、ナオは顔を上げた。
肩から冷たいものが伝う。見ると、肩から透明な雫が二の腕を伝い、廊下を濡らした。
「雨……?」
「え?」
ナオの言葉に、三人は揃って訝しげな顔を上げた。
最上階である三階の天井はこれまでより高い位置にある。じっと目を凝らすと、天井にいくつもの水滴がついているようだった。
「なんだあれ、雨漏りか?」
「そんな、最近雨なんて降ったっけ? でもあれ、水が漏れてるわけじゃなさそうだけど……どっちかというとお風呂で曇るみたいな」
言うと、ナオは周囲を調べようと足を踏み出す。途端、着地しようとした足が前へと滑った。
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
ナオは反射的に隣にいたケイの服を掴んだ。まだ上を向いたままだったケイはひっくり返った声とともに仰け反るが、どうにか二人して床に転げるのは免れる。
「ちょ、何すんだよっ」
「ご、ごめん! なんか床も濡れて……え!?」
ケイに腕を掴まれたまま、ナオは固まった。
目の前に続く廊下を見ると、ところどころに小さな水たまりがある。
三階に着いたつい数分前には、確かに何もなかった。天井から次々に滴る水滴がぽたぽたと音をあげ、まるで音楽を奏でるように重なる。
「な、何これ!?」
ナオは炎を纏う。発動を強めた途端、ぞわぞわと身体を這うような奇妙な感覚に襲われ短い悲鳴をあげた。
「なんだろう、ここ。何か結界とはまた違う気配を感じる……」
ハルトの構えた剣の刀身に雫が落ちて跳ねる。
いつの間にか明らかに周囲の温度が下がっている。廊下の先から不自然に吹き抜けてきた風は、ひどく冷たかった。
「……何かいる」
廊下の先は、薄暗い中に靄がかかって見えた。
降り注ぐ水滴はさらに増えてきて、三人の身体を濡らしていく。顔に貼りつく髪を振り払うと、ハルトは背後を振り返った。
「行ってみるしかないね。何があるかわからないし、あんたらも十分気を付けろよ」
「承知しました」
ツボミは静かに答えると頷いた。
彼女も水滴を浴びて濡れていたが、僅かでも慌てる様子のないのは冷静を通り越して不気味だった。
「代表、どうか私にお任せくださいませ」
それだけ言うと、ツボミは両の手を祈るように組む。すぐに手を解くと、返事を待たずに先に駆け出した三人を追いかけた。
廊下の真ん中で、レンカはただ一人佇み、四人の足音が遠ざかっていくのを聞いていた。
小さくなっていく少年の背中に向かって、うっそりと目を細める。
「さあ。怪しい能力者は今どこにいるのかしら。頼んだわよ、ケイくん」




