7-27 上へ
三人は階段を注意深くのぞき込んだ。上下それぞれに続いているようだったが、そこでふと気付く。今いるのは一階ではなかっただろうか。
三人は顔を見合わせた。直後、ハルトは後ろに控えていたツボミをまた振り返る。
「ねぇ、この屋敷って広いよね。一体何階あるの」
「三階と地下一階です。リュウさんのお部屋は三階ですよ」
ツボミは平然と答える。
外から見ているだけでは、地下まで部屋があるとは分からなかった。
「へー、地下なんてあるの? さっきの隠し通路といいすごいところだねここ。ほんとに誰かの別荘なの?」
「さぁ。私もここで使用人として働いているだけですから。詳しいことは」
「働いてるねぇ、潜入って言うんじゃないのそれ」
「…………」
またしても飛び出すハルトの挑発に、ツボミの眉がわずかに跳ね上がる。しかし、それ以上は言葉を返すことなく目を伏せた。
両手を体の前で組んで佇むさまは、まるで本物の使用人然としている。
ハルトは舌打ちしそうになるのを隠しながら、再び階段の方を見る。地下は気になるが、やはり今進むなら上だろう。
黙ったまま、ケイは上へと進み始める。それを見てハルトも続こうとするが、ナオはその場に佇んだまま動こうとしない。ケイやハルトとは反対に、彼女はずっと下を見つめていた。
「地下……何があるんだろう」
「ナオ? 置いてくよ」
「ぴゃっ!? あ、待って!」
ハルトの声に、ナオは髪を踊らせて驚く。そのまま跳ねるようにして彼を追いかけた。
階段を上りきると、二階の廊下に出た。真っ直ぐのびる廊下は屋敷の広さを十二分に物語っている。構造は一階とよく似ているようだが、見えている扉の数が多い。
「うわ、一階より部屋があるな……」
ケイがぼやきかけたそのときだった。
またしても鈍い衝撃音とともに、屋敷が小さく揺れたのだ。
「まただ」
ケイは上を振り仰ぐと呟く。
屋敷を覆う魔力が、水の波紋が広がるかのように撓んでいる。
ケイの精霊石が輝きを増す。魔力の膜の揺れが先ほどよりもはっきりと分かった。わずかだが魔力が濃い場所がある。そしてそれは、ずっと動いていない。
天井を睨みつけたまま、ケイは目を細めた。
「……まだ上だな。ってことは三階か」
「ああ」
答えるが早いか、ハルトは廊下から階段へと逆戻りをした。しかしそこでようやく顔を覗かせたナオとぶつかりそうになる。
「わっ、ハルト?」
「ナオ、上行くぞ」
また飛び上がりそうになったナオの肩を持って反転させる。
「ふゅえ? ちょっとハルト、二階は?」
肩越しに振り返り戸惑うナオに、ハルトは眉をひそめる。彼女もずっと能力を発動しているはずだが、魔力の気配が分からないのだろうか。
「三階が怪しいからに決まってるだろ。どうしたんだよお前」
「気配……?」
「マジで? ちょっとほんとしっかりしてよ」
ナオは心ここにあらずといった様子だった。ハルトは再びナオの肩を掴んで自分の方に向かせると、両頬に手をかけてぐにぐにと弄ぶ。
「ふゅっ!?」
「いいか、今から油断せず気を引き締めろよ。オレらの中で一番火力あるのお前なんだからね」
「わはった、いひゃいからはにゃしてっ」
涙を浮かべながら両手をばたつかせる。容赦のないハルトの顔がどこか楽しそうに歪んだように見え、恐怖を覚えたナオだった。
満足したのか、ハルトはようやくナオの頬を解放する。そのまま二人は一緒に階段を上って行った。
「…………」
彼らを半眼で見ていたケイは後に続こうとする。
ナオの様子がやはりおかしい。
この屋敷を包む結界が本当に幻覚、幻惑系の能力者のものだとしたら、いざという時に対抗できるのはナオだけだ。ハルトもそう考えているからこそ、彼女の傍を離れないように行動しようとしているのだろう。
『火』はナオのように多量の魔力と引き替えに強大な攻撃力を誇る者が多い。能力ばかりは生まれ持った魔力で決まるものでどうしようもない。
だからもしナオが暴走したフレイアを追いかけようとしたとしても、ケイは止めるつもりでいた。文字通り火力の高いフレイアがこの場にいないことが悔やまれる今、ナオまでも失うわけにはいかない。同時に、彼女らに頼るしかない自身に苛立ちを覚えていた。
「くそっ」
吐き捨てると、足を踏み出そうとしたところでふと動きを止める。
振り返ると、レンカがじっとこちらを見つめて佇んでいた。
この屋敷に入ってからと言うものの、彼女はほとんど口を開かず、いつも一番後ろからついてくるだけだった。屋敷の案内役ならばツボミだけで十分だろうに、なぜ彼女はわざわざこの危険な屋敷についてきたのだろうか。しかも彼女らが言う『組織』とやらの『代表』と呼ばれるほどの女が、たった一人のメイドを従えただけで姿を現すのも不自然だ。
蛇のように鋭く光るその目に射抜かれ、言いようのない恐怖が背中を撫でているかのようだった。極力無視を貫こうとしたケイだったが、振り払うように首を振ると低い声で言った。
「なんだよ? 俺に何か用か」
心底不快そうな口調だった。それにレンカは目を丸くしてみせる。ケイが話しかけてくるとは思っていなかったらしい。
レンカは首を傾ける。答えに迷う素振りを見せた彼女に、ケイは無意識に拳を握りしめていた。
「あなたは今大丈夫?」
「は? どういう意味だよ」
ケイの周りで氷の粒が弾ける音がする。
漏れだす冷気に周囲の空気が冷え、レンカは思わず腕をさすっていた。これまでの不敵な表情を消し去ると、わざとらしく髪を梳く。
「いいえ。あなたがまだ正気ならそれでいいわ」
言うと、レンカは背後に立っていたツボミを振り返る。その横顔は少し苛立っているように見えて、ケイは訝しげに眉をひそめた。
「ツボミ。あまり長く結界の中にいるべきではないわ、案内を急ぎなさい」
「かしこまりました」
機械のように淡々とした声で応えると、ツボミは目を伏せ、両手を胸の前で組もうと持ち上げる。
左右の中指には丸く小さな石があしらわれた指輪が光る。右が赤色で、左が青色だ。
ケイはふと、違和感を覚えて彼女の指輪を凝視する。
ほどなくしてその理由に気付く。
二階に上がる前は、彼女は指輪を右手の人差指と薬指に嵌めていた。いつの間にか左手に嵌めなおしたのだろうか。
ケイがそれを指摘するより早く、ツボミの細い指が絡み合う。
両手の人差指同士が触れあった瞬間、石は眩い光を放った。




