7-26 魔力の歪み
ツボミは次の部屋の扉を開ける。一階はこの部屋で最後らしい。またしてもがらんどうとしていて、床には分厚い埃が溜まっている。
――掃除は行き届いていないのだろうか。
そう思ったところで、ハルトはツボミに問いかけた。
「っていうか、こんな広い家で使用人ってあんただけなの?」
「私の他にもう数人いますが。仕事はさほど多くありませんから」
「その割には一階の部屋あんまり綺麗じゃないけど」
「奥様も身を隠しているだけですからね。使用人の私たちが使わない部屋を無暗に触るわけにはいかないでしょう」
「まぁ確かに」
ツボミの返答はそっけない。ハルトの方をちらりと見ただけで目を逸らすと、いまだ光るふたつの指輪を嵌めた右手で自身の頬に触れる。何かに想いを馳せるように、暗い天井を見上げた。
「ああでも、こんな屋敷の中ですから確かに心配ですね。今頃みなさんきちんと奥様とリュウさんの身の周りのお世話をできているかしら」
「白々しい。他の使用人もあんたらの仲間なんじゃねぇのか?」
そう言ったのはケイだった。一歩遅れて部屋に入ってきた彼を見て、ツボミは心外だと首を横に振る。
「そんなに何人もここにはいませんよ、組織はそこまで暇ではありませんから。ただ私も仕事仲間を危険な結界の中に放っておくのは心配なのです。彼らはこの屋敷の所有者からリュウさんを任されただけの者たち。私たちのことで巻き込んでしまいましたから。それに奥様やリュウさんのことも、私は嫌いではありません。だからこそ、供に手を取り合いたいと思っています」
ツボミの指輪が、抗議をするようにきらきらとまたたく。
油断すれば囚われてしまいそうな怪しい輝きだった。ケイの後ろに隠れる位置に立ちながら、ナオはふたつの指輪から目を離せないでいた。
そんな彼女を、ケイは振り返ってじっと見つめる。自身に突き刺さる視線にも、彼女は気付く様子はない。
「……お前、大丈夫か?」
「ふぇっ!?」
ナオは文字通り飛び上がって驚いた。
彼女の視線は危なげで、一瞬ふらふらと彷徨った後ケイの目を見る。ぱちくりとまばたきを繰り返す彼女に、ケイは眉根を寄せた。
どうにも、ナオの様子がおかしいのだ。
屋敷に入ってからずっと、気付けばどこかぼうっとした様子で声をかけるとすぐに我に返る、ということの繰り返しだった。
ハルトに関しても不自然に口数が少ない。辺りを探るのに集中しているだけかもしれないが、時折垣間見る彼の横顔もまた、どこか違和感があるように思うケイだった。
「なんかこのお屋敷の中、時々足元がふわって浮くような不思議な感じがするような気がして……」
ナオは眠気を誤魔化すように、両手で頬をぺちぺちと叩いている。
「って、お前それやばいやつじゃ……」
結界の中で聞くには物騒なことを言いだすナオに、ケイが焦りを覚えたときだった。
天井から何かを叩きつけられるような、鈍い音が鳴り響いた。
「なんだっ!?」
一斉に振り仰ぐ。
次いで、足元から弱い振動を感じる。建物全体が少し揺れたようだ。
「今の、地震か?」
三人は狼狽えるが、振動はすぐに収まる。
先日、『クレナ』の町でさんざん強い地震に見舞われた経験からか、揺れには敏感になっていた。
天井からぶら下がる照明の飾りが小刻みに揺れている。それをじっと見つめながら、ハルトは訝しげに首をひねった。
「うーん、地震と言うよりも何かがぶつかってきた感じ?」
「も、もしかしてフレイアがどこかで暴れてるのかな? どこにいるか分かるかな?」
驚いて体を強ばらせながらも、ナオは祈りを込めた声で言った。
それに一度動きを止めたが、ハルトは素っ気なくナオを見やる。
「そうとは限らないよ」
「……そうだといいなって思っただけだよ」
ナオはしょぼんと目を伏せた。
フレイアの気配は分からない。最初に危惧していた通り、この屋敷の中では気配や魔力の波動が全く読めないのだ。主従関係にあるナオでさえ分からないのだから、ケイやハルトに期待するだけ無駄だろう。
短気な性格のフレイアだ。ナオの言う通りどこかで力任せに暴れているかもしれないが、先ほどの揺れが彼女と必ずしも結びつくわけではない。
「中からと言うより、屋敷の上に何か落ちてきたって感じじゃねぇか?」
ケイはじっと天井を見つめながら静かに言う。ハルトはすぐに頷いた。
「オレも同感、屋敷と言うより結界の上。それになんか、さっきまで一定だった魔力が少し波打ってるような感じがする」
「攻撃っつったって……一体どうやって」
「それはわかんない」
考え込む素振りを見せるケイに、ハルトはぷいと背を向けた。
屋敷の中であれこれと考えても答えは出ない。それよりも、このほんの少しの歪みを見逃すべきではない。
「でも今のでちょっとだけ分かった。魔力の濃いのはたぶんあっちだ。動く気配が全くないのが気持ち悪いけど、もしかしたら能力者もそこにいるのかも」
言うと、ハルトは再び天井を見上げた。どうやら上の階に目星をつけたらしい。
「じゃあメイドさ……あれ、どしたの?」
ツボミを振り返ったところで、ハルトは目を丸くした。
三人の少し後方に控えていたツボミの額に雫が光っている。照明の光を反射して、真珠の粒のような汗がひとつ流れた。
相変わらず本音を隠したままの表情の中に、ほんの少しだけ疲労の色が滲んでいるようだった。
訝しげな三人の視線に気付くと、彼女はすっと背筋を伸ばした。その顔はもう、いつも通りだ。
「いえ、何でもありません。それよりも何か分かったのですか?」
何事もなかったように、ツボミはハルトに微笑を向けた。
「…………」
ハルトはそんな彼女を探るように睨みつける。
彼女の行動が怪しいのは最初からだ。彼女を問い詰めるよりも、今は屋敷を調べることを優先するべきだろう。
「ああ。上の方に行ってみたい」
「承知致しました、こちらです」
言うが早いか、ツボミは背を向けて歩き始めた。まるでその言葉を待っていたかのようだ。
廊下をしばらく進むと、やがて突き当たりに階段が見えてくる。
廊下よりもさらに薄暗い階段だった。たどり着いた時にはもう、辺りを包む魔力が撓む様子はなく、一定に戻っていた。




