7-25 潜入と捜索
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使用人のツボミに連れられ通路を抜けた先にたどり着いたのは、屋敷の厨房らしい場所だった。
綺麗に片付けられた厨房は誰もいない。そろそろ夕食の準備をする時刻かと思われたが、料理人はいないのだろうか。
反響する足音を響かせ、ツボミは厨房を真っ直ぐに横切る。反対側の壁には大きな扉があった。調理したものを運びやすくするためか、ずいぶんと横に広い。
ツボミは扉に両手をかけるとすぐに開け放つ。先に見えた廊下に躊躇なく足を踏み出すと、彼女はきょろきょろと辺りを確認した。
「皆さん、こちらへどうぞ」
振り返ると、ツボミはにこりと微笑んで促す。
厨房内に立ったままだったケイたちは顔を見合わせると、慎重に歩き出す。三人の少し後ろを塞ぐようにしてレンカが続くといった形だった。
彼らが追い付いたのを確認すると、ツボミは踵を返した。廊下をこつこつと踏みしめながらケイたちを先導する。
「ここは一階です。玄関、応接室、いくつかの空き部屋とここ厨房がありますね。食材を保管しておく倉庫もありますが、今は使われていません。何せ、今住んでおられるのは奥様とリュウさんだけですから」
滑らかに言うツボミに続いて、ケイも厨房の扉をくぐる。上を見上げると、繊細なつくりの照明が辺りを淡く照らしていた。
ずいぶんと古びている印象だった。広く長い廊下の先には、いくつかの部屋へと続く扉が見えた。
「さぁ、どこから参りましょうか。お仲間や怪しい能力者について、何か分かりましたか?」
「……さっきのリュウの部屋。そこにユウナがまだいるという可能性は?」
少し迷って、ケイはそうツボミに聞いてみる。もしかしたら彼女がまだ何か知っているかもしれないと思ったからだ。
「私にはあなたより先にお仲間の姿が消えたように見えましたが。あの後も、私は彼女を見てはいません」
「…………」
ツボミは淡々とした口調で答えた。何か知っていたとしても答える気はなさそうだ。ケイは心中で舌打ちをした。
右手首の精霊石が淡く光る。注意深く辺りを探るが、変わらず妙な魔力に包まれているように感じるだけだった。
「お前らは何か分かったか?」
「いや」
「ううん、何も分からない」
ハルトとナオは揃って首を横に振る。
この屋敷を包み込んでいる結界の主であるスピリストがいて、その人物とユウナが接触したのなら。彼女は今もその人物と供に屋敷のどこかにいるのだろうか。
フレイアが危惧していた通り、ツボミとレンカ、『革命軍』とやらの二人が言うことの真偽は定かではない。しかし、今この屋敷に未知の魔力が満ちていることだけは間違いない。そうなれば、結界を何とかしない限りユウナへはたどり着けないだろう。
「先にあんたにリュウの部屋に案内してもらって、リュウを捕まえてから結界をどうにかするのは?」
ハルトはわざとらしく笑って言う。それにツボミは首を傾けただけだ。
「御冗談を。それでは私たちが損をするだけで、取引になりませんよ」
「だよねぇ」
静かだが怒りを含んだ声音だった。ハルトは肩をすくめると、何事もなかったかのようにツボミから顔を逸らした。
「……承知しました。ひとまず一階の部屋を一通りご案内いたしますね」
言うと、ツボミは早足で歩き始める。これ以上ハルトの挑発を聞くつもりはないようだ。
一階は玄関があるためか、部屋の数はあまりない。手始めに開けた扉の部屋は何も置いておらず平坦な床が広がっていた。
その後も順番に一つ一つの扉を開けていく。しかし、どこも空き部屋になっているか埃が蓄積された倉庫になっているかで、人が潜んでいそうな様子はない。
「……怪しい気配は感じないね」
いくつめかの部屋で痺れを切らしたのか、ハルトが押し殺した声でそう漏らした。
三人とも周囲の魔力の揺れがあれば感知できるよう、できるだけ発動を強めているつもりだった。しかし、不自然なほど波動が一定なのだ。
これが『結界』の力なのだろうか。
正直なところ、三人とも特殊系能力を相手にするのは苦手だった。今までの任務でも『幻』や『甘美』といった能力にはさんざん手こずらされてきたのだ。
スピリストの能力は基本的に対象を破壊する力である。少なくとも今の三人には現状を打破する術がない。
ナオの力業で結界を打ち破ってしまうことも考えたが、相手の力量が分からない上、リュウをはじめ屋敷の中には生身の人間も存在する。彼らに危害を加えるわけにはいかない。
「くそ。どうすりゃいいんだよ」
焦る気持ちをごまかすように、ケイは頭を掻く。
ナオはそんな彼を困った顔で見やると、やるせなさに唇を噛む。
左手の手首を強く握りしめた。赤い精霊石がナオの小さな手に隠れる。
――肝心な時に、この力は無力だ。
「こういうときこそさ、こないだのドリームランドのときみたいに政府の秘密道具を貸してほしいよね」
「秘密道具? あ、あの魔力探知機?」
ハルトがぽつりと言ったことに、ナオはぴょこんと髪を踊らせて振り向いた。
ハルトの言う秘密道具とは、『カリス』の町で連続窃盗事件を追ったとき、犯人たるリサを探すのに使われたものだ。
その時に任務を仕切っていた『雷』のスピリスト、シュウが貸してくれたものは、見た目は手鏡のような二つ折りの機械だった。内側に画面と青い石のような飾りが埋め込まれただけのシンプルな作りに見えたが、周囲に存在する特定の魔力の波動を検知することができるという優れものだった。それでリサの魔力も追うことができたのだ。
聞けば、それは政府が開発したものらしい。その性能に素直に感嘆したものの、同時に政府に対して大きな恐怖も感じていた。
「そうそう。まぁ、あれすら結界とやらに惑わされるなら役に立たないけどさ」
そっけなく言うと、ハルトは再び辺りに目を向けた。今この場にあるはずのないものに期待をしている暇はないのだ。
「……やはり、だめですか」
二人の様子を見て、ツボミがぽつりとひとりごちた。
至極残念そうな口調だった。憐れむように眉を下げる彼女に、ケイは思わず苛立った声を返す。
「結界は魔力の膜だ。誰かが作り出しているのなら魔力は一定じゃない、必ずどこかにムラがあるはずだ」
「あらそう。期待してるわよ坊や」
くすくすと笑いながら答えたのは、ツボミではなくレンカだった。
「…………」
ケイはレンカを睨みつつも無視をする。信用できないからだけでなく、彼女とは関わってはいけない気がしてならなかったからだ。
「……なんでついてくるんだよ」
「あら、何か言ったかしら」
「…………」
楽しそうに言うレンカに盛大な舌打ちを返すと、ケイはハルトの方へと顔を向けた。




