7-24 政府の魔術具
「相手はおそらくスピリストじゃない。それならどこかに結界の『核』にしている場所があるはずだから、そこを探ろう」
「核? スピリストでないって何故そう言えるの?」
極力足を忍ばせながらも駆け上がる。上の階へと続く廊下の明かりが見えると、アランドは急に足を止めてユウナを制した。
壁沿いに隠れ、慎重に覗き込む。相変わらず嫌な気配が立ち込めているが、誰もいないらしい。
アランドはようやく振り返ると、ユウナを手で促した。
「俺みたいな能力者の手で作っているとしたら、多少なりと魔力のブレがあるもんだ。人には意思ってものがあるからね。それが全くないんだよこの結界。均一すぎて、綺麗すぎて気持ち悪いくらいに」
「そんな。それじゃどうやって結界なんて」
「道具を使うんだよ」
混乱するユウナを遮ると、アランドはズボンのポケットから何かを取り出した。
ユウナの前に差し出された掌の上には、小さな赤い石があしらわれたブローチが乗っている。シンプルなデザインは男性でもおしゃれに身につけられそうなものだったが、ただの綺麗なアクセサリーにしか見えない。
顔を顰めるユウナの目の前で、アランドはブローチを指で弄ぶ。彼の目が怪し気に光ると、声を落として言う。
「政府が組織に襲撃されたとき、精霊石と一緒に盗まれたものがもう一つある。それがこの『魔術具』だそうだ」
「魔術……具?」
ユウナは目を見開いた。アランドの指の動きに合わせて、赤い石の表面で光が揺れる。
食い入るようにブローチを見つめるユウナに、アランドは何かを指差してみせる。それを追うと、ユウナの左手首の青い石がある。
「精霊石、スピリストの能力の要。人間の魔力を引き出す不思議な石は、何もこの世に一種類だけではないんだよ。魔力石と呼ばれるものが他に二種類ある」
「魔力石……」
茫然と反復するユウナに、アランドはさらにポケットから何かを取り出す。
今度は青い石のペンダントだった。ブローチの赤い石と同じくやや濁った透明で、不思議な輝きを放っている。
「魔力石は赤いものと青いものがあってね。赤い方は魔力を吸収し蓄えることができ、青い方は魔力を増幅することができる。これらの特性を応用して作られた道具を魔術具と呼んでいるんだけど、きみもスピリストなら見たことくらいはあるんじゃない?」
「え……あっ」
石の吸い込まれそうな輝きに目を奪われていたユウナは、この美しさが既知のものだと言うことに気付く。言われると、政府は色々なところでこの石があしらわれた道具を使っていた。
例えば、魔力認証の装置。小さな箱型の機械の一部に青い魔力石がはめ込まれている。
弱い発動をして機械に魔力を読み込ませることで、予め登録された魔力と照合し本人確認を行う。任務の報酬を受け取る時などによく使われるものだ。青い石に魔力を認識させていたのだろう。
その他にも、特定の属性の魔力を探すことができる探知機を見たことがある。こちらも青い石が飾られており、微弱な魔力を増幅し照合していたのだ。
政府の持つ技術の多くは、この石の特性を利用して作られたものだ。ユウナがまだ知らない道具も多く存在するのだろう。
「…………」
何という技術だろう。
絶句するユウナに追い打ちをかけるように、アランドはふたつのアクセサリーをユウナの目の前に突き出した。
「ここで問題です。この赤い魔力石に『俺と似た魔力』を吸収させ、さらに青い魔力石を使って一定の範囲内で増幅し続けました。するとどんなことが起こるでしょう?」
ペンダントのチェーンを振り子のように動かす。ユウナはすぐに何かに気付くと、勢いよく天井を見上げた。
「……まさか。『幻』の能力の……結界と同じ効果が得られる?」
「大正解、政府ってすごいだろ。ま、普段こういう研究をしてるのは研究員なんだけどね」
得意げな顔をして、アランドはわざとらしい拍手を送る。驚くユウナの表情を見て満足そうに笑った。
青い石のペンダントを握りしめると、またポケットへ仕舞う。
アランドは顔から笑みを消した。ブローチを指でつまむと、顔の高さに掲げた。
「それでね。魔力石の特性を生かすことができるのは霊力、つまり精霊に対しても同じなんだよ。例えばこんな使い方も」
言うと、アランドはブローチの石を空いた手の爪で軽く弾いた。
途端、空気を切り裂くような高い音とともにブローチの周囲に風が渦巻いた。
「きゃあっ!」
大きく靡く髪やスカートをおさえると、ユウナは思わず目を瞑る。
しばらくすると風は消え、恐る恐る目を開けて辺りを見る。不敵に笑うアランド以外の人影は見られないが、周囲に纏わりつくような何かの気配を感じて狼狽えた。
「な、何? これは精霊の気配……!?」
この辺りに住む精霊がいるのだろうか。焦るユウナに合わせて、彼女の周りに水流が生まれる。
気を抜けば膨れ上がりそうな魔力を抑えると、水は弾けて床をぬらした。
気配の出所を懸命に探っていく。ほどなくして、ユウナは佇んだままのアランドへとたどり着いた。
「まさか、今のはあなたが……」
驚愕に満ちた声をあげると、ユウナは彼のブローチと手首を交互に見つめる。今の彼からは、これまでの『幻』とは異なる魔力の気配が感じられた。
ユウナを見下ろすと、アランドは意地悪げな笑みを浮かべた。
「――そう。この魔力石にはあらかじめ風属性の精霊の力を閉じ込めてある。これを使えばスピリストでなくても魔力や霊力を扱うことができるっていうとんでもない代物さ。霊力だからもちろん気配はあるけど、例えばここに別の幻惑系の霊力を込めた魔術具を併用したとしたら、気配すら隠せちゃったりするんだ。当然使役する難易度は上がるけど、不可能ではない」
「つまりスピリストでなくても、そしてあなたのような特殊系の能力でも十分な攻撃能力を持てるってことね……」
「そういうこと。俺も数えるほどしかこれを使ったことはないけど、さっききみの仲間を屋敷から放り出すには役に立ったよ。こう、まとめてゴォーッっとね」
含み笑いに言うと、アランドはブローチを持つ手を扇ぐように一閃する。
さっきというのはリュウの部屋で母親に見つかった時のことだろう。地下室に連れて来られたユウナ以外は、あの部屋から風を使って叩き出したらしい。
「そんな……」
眉間に深い皺を刻むと、ユウナは怒りを込めて小さく唸る。
リュウの部屋はそこそこの高さがあった。確かにスピリストなら死にはしないだろうが、いささか乱暴である。ケイたちは大丈夫だろうか。
非難の目を向けてくるユウナを無視すると、アランドはブローチもポケットへと押し込む。
しばらくの間どこか空を見つめ、彼は意識を集中させる。やがて何かに気付いたように顔を上げた。
「――今ので結界が撓んだところがある。要となる魔力石から近いほど魔力が濃くなるはずだ。おそらくあっちだね」
早口で言うと、アランドはまた歩きはじめる。ユウナは小走りでついていった。
アランドは早足で廊下を迷う様子もなく突き進む。肩越しにユウナを振り返ると、彼は低い声で言った。
「俺は攻撃力に劣る。いざってときは頼んだよ」
「……わかったわ」
ユウナは頷くと、胸の前で左手を握りしめる。
青い精霊石が淡く光る。発動の準備を整えると、ユウナは唇をぐっと引き結んだ。




