7-23 隠した報告
「気配から今この屋敷には『色違い』母子の他に俺ときみ、きみの仲間の四人、そして正体不明の人間が複数人存在している。そして今、この屋敷を包む結界と俺の能力がせめぎ合っている状態だね。特殊系の能力は皆それぞれ個性があるから、俺が簡単に塗り替えられるほど単純じゃない。従ってきみも俺の傍を離れれば、相手の能力に取り込まれる可能性がある」
ユウナは迷う様子を見せたものの、眉をつり上げると足を踏み出した。
ゆっくりと床を踏みしめると、ユウナは自らアランドの背後に歩み寄る。
「相手の結界は母子を中心に包み込んでいる。彼らに近づくのは、きみには困難だろう」
「つまり、私はあなたの側を離れられないということね」
それはわずかに震えていたが、落ち着いた声音だった。アランドは振り返ると、ユウナを見下ろして満足そうに笑みを浮かべた。
「俺にとっても任務である以上、終わらせないと帰れないんでね。俺を疑う気持ちもあるだろうが、協力してもらうよ」
返事を待つことなく、アランドは扉を開く。
促されるまま地下室を出ようとしたところで、ユウナはふと、古びた楽譜と本を手にしたままだということに気付く。
アランドはもう廊下へと一歩踏み出している。今更元の場所に戻す気にもなれずに、ユウナはそれを自身の荷物に入れた。
「リュウくん……」
無意識に彼の名がこぼれ落ちた。ユウナ自身も驚くほど弱々しい声音だった。
口元に歪な弧を描くと、ユウナはまた心中で反復する。
余計な感情移入をしてはいけない。それはいつか足元を掬われる。
予定は少し狂ったが、目的は変わらないのだ。
――大切そうなこの本と楽譜だけは、最後に彼に手渡そう。
そう心の中で呟くと、一歩部屋の外に出る。途端、異様な気配を感じてすくみ上った。
「ひっ……!?」
短い悲鳴とともに、ユウナは思わず能力を発動をした。途端、全身に水のヴェールを纏い、身を守ろうとする。
「だからきみの魔力を誤魔化すのも大変だって言ってるだろ。落ち着いて」
アランドの呆れた声が飛んでくる。
ユウナは慌てて左手首を掴むと、目を閉じて心を落ち着けようとする。精霊石の光が徐々に小さくなり、水は霧と化して消えた。
細いため息をつくユウナを、アランドは肩越しに見やる。すぐに前を向くと、目の前の廊下を注意深く見渡した。
部屋の扉は廊下の端の位置にある。反対側を見るとこちらもほど近いところが壁になっており、そこから上へつながる階段があった。地下はこの部屋以外は存在しないようだ。
「さてと、『色違い』はどこにいるかな。少しなら発動していい、今は何か感じたりはする?」
アランドは階段へと足を向ける。ユウナは慌てて彼を追うと、今度は集中して発動をした。精霊石がわずかな光を帯びる。しかし、妙な気配にかき消されて何も分からない。
「……いいえ。音も聞こえない……」
「音? ああ、ピアノのこと?」
ユウナは頷く。
「ええ。もし彼がまだ私と一緒に来てくれるつもりなら、また音で知らせてくれるかと思ったけど」
「またとは? この距離で彼の音が聞こえるなら、俺や彼の母親にも丸聞こえだと思うけど」
「あ……」
怪訝な顔をして振り返ったアランドに、ユウナはしまったと口元を押さえる。
リュウがすでに自身の魔力を認識し、ユウナを屋敷に導いたように不思議な音を操ることができるということ。政府が知ったら大騒ぎになることは必至だ。そう考えて彼のことはまだ報告していなかった。
「…………」
しばらく逡巡するも、任務を遂行するにはアランドの協力が必要だ。意を決すると、ユウナはこれまでの経緯を彼に話した。
「……なるほど」
アランドは口元に手を当てて唸る。
「俺は任務を受け、きみたちより少し遅れて町に入ったんだ。きみがあの屋敷について報告を入れたからここに来たわけだけど。やけにあっさりと『色違い』を見つけたことを確かに不思議に思ったよ。何者だろうね、彼は」
ぶつぶつとそう言うと、アランドは天井を見上げる。この上のどこかにいるリュウを射抜くように鋭く目を眇める。
彼の横顔が目に見えて好奇心にきらめいた。未知のことへの探求心は、研究員であるが故だろうか。
「あの、報告は……」
胸の前で拳を握りしめると、ユウナはアランドをおずおずと見上げる。
アランドはまた呆れた表情をみせたものの、片手をひらつかせてユウナを制した。
「本来はすぐにすべきだと思うけど、確かに俺ももうちょっと様子を見てみたい。うちの上司が知ったら目を輝かせそうだ」
ユウナは思わず安堵のため息をつく。次いで自嘲の念を抱いてから、彼女はふと顔を上げた。
「そういえば、あなたは誰に命令されたの? あの政府がわざわざ色違いの手助けを命じるなんて」
「あー、政府とはちょっと違うよ。俺やスゥの上司が政府上層部の娘と話したら流れで任務を手伝うことになったとか言っててね。そのくせ何故か『僕は忙しいからあとは頼むね』つって俺がすっ飛ばされてきたってわけだ」
アランドの声音が低くなる。その顔は不機嫌そうに歪められていた。
余計なことを言ったかと顔をひきつらせたユウナだったが、政府研究室について知っていることを思い出してみる。幼なじみが所属しているところだ、接点はなかったが気になっていた場所のひとつだった。
「スゥの上司ってことは……研究室室長の、えっと……」
「ユキヤって人さ。本部ではわりと有名だから、名前くらいは知っているだろ」
ユウナは迷わず頷く。
政府は本部の近くに、巨大な研究施設を構えている。色々な道具の開発や精霊、魔力についてなど、政府のために様々な研究をしている機関だと記憶している。
研究員たちの長であり責任者が室長だ。長年年嵩の研究者が務めていたらしいが、彼の引退後は若い男性研究員がその任を引き継いだという。それだけでも政府の中でかなりの権力を有する人物だと想像できる。
――そんな人物が、なぜ自分のことを?
ユウナの中で渦巻く警戒心がさらに強くなる。
部下の知人だからだろうか。
仮にそれだけなのだとしても、他人の任務に対して気軽に手を出すことができるとは到底思えないのだ。
「……何か。例えば上の人たちにしか知り得ない何かの事情があるとでも?」
「とりあえず『色違い』の居場所が分からないなら仕方ない、先に結界の方を何とかしよう」
独り言ちるユウナに、アランドが痺れを切らしたような早口で言う。顔を上げると、背を向けたアランドが階段を登って行こうとしていたところだった。ユウナは慌てて彼の後を追う。




