7-20 協力者
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薄暗い部屋の中で、ひとりの少年が佇んでいた。
少年は右手の平を真っ直ぐに突き出すように掲げており、じっと瞑目している。
長袖の隙間から淡い光が覗き、鳶色の髪をゆらゆらと魔力が煽っている。男にしては長めのそれは、後ろでひとつに纏められていた。
ふと、彼の眉がぴくりと動く。
目をそっと開けると、彼は低い声で呟いた。
「……誰かが屋敷に侵入したか」
利発そうな切れ長の目を細める。魔力の光がさらに強められると、彼は眉間に深い皺を刻んで舌打ちした。
「けっこうな大所帯だな。あの子の仲間の子たちにしたら数が多い」
言うと、彼は部屋の隅へと視線を向ける。
そこには古びたベッドが置いてある。その上に、ひとりの少女がぐったりと横たわっていた。
少女のピンク色の長髪が、皺だらけのシーツに広がっている。色違いであり、生まれついての才能と強力な『水』の能力にも恵まれたスピリスト。ユウナだ。
彼女と面識はない。しかし、彼女のことは一方的に知っていた。いつかこうして接触する機会があればと思っていたのだから、少年にとってまたとない好機である。
硬い足音をゆっくりと響かせながら、少年は彼女に近づいた。
自身と比べるとかなり小柄な少女を、少年はじっと見下ろす。
その瞳はとても冷たく、しかし燃えるような何かが絶えず揺らめいていた。
「面倒だな。とりあえずさっさと俺の用事を済ませないと」
忌々し気な口調だった。少年はいまだ光る精霊石を持つ右手を、ユウナの額に当てる。
「う……」
ユウナの身体が、少年の魔力の光に包まれる。ユウナが短い唸り声をあげたが、少年は構わない。何かに集中するかのように目を閉じる。
「……外れか。まぁさすがにこんな子供のはずがないか。俺の探している人とは違ったし、もう用はない」
少年はため息をつくと目を開けた。同時に手を離すと、ユウナの身体の光は消える。
踵を返すと、彼はユウナに背を向けて元いた位置に戻っていく。
彼が立っていたのは、この部屋の扉の前。『外』の様子を注意深く探りながら、興味なさげにユウナを見やった。
「さてどうしようか。正直この任務、なんか面倒くさそうなことになりそうな気がするんだけど」
人使いが荒いなぁ、などと文句をこぼしながら、少年はポケットから携帯電話を取り出した。手早く画面をタップしてメールを打ちはじめる。ひとまずは現状を上司に報告だ。
「うん……」
それよりも早く、衣擦れの音とともに高い声が聞こえてきた。
少年は顔を上げる。ベッドの上の少女がもぞもぞと動いたかと思うと、ゆっくりと目を開けたのだ。
携帯電話の操作を中断するとポケットに押し込む。半身を起こしたユウナに向かって、努めて柔らかい口調で話しかけた。
「ああおはよう。気分はどう?」
「え……?」
穏やかな表情の少年とは逆に、ユウナはみるみる大きく目を見開くと、狭い室内と少年の顔を交互に見やる。
見覚えのない部屋と見知らぬ男。そして、ともにいたはずの仲間の姿はどこにもない。
「だ、誰!? ハルト、ケイ、ナオ……?」
ユウナは目に見えて狼狽えていた。肩を強張らせて震えていたが、すぐに目を吊り上げると左手を掲げる。手首の青い精霊石が強い光を放つと、彼女の周りに水が渦巻いた。
ユウナは跳ね起きると、埃だらけの床を踏みしめる。
ベッドが軋んだ音とともに、強い魔力が迸った。少年は思わず舌打ちをしそうになったがそれを堪えると、両手を上げて彼女を制止する。
「ちょっとそんなに警戒しないでくれる? ってムリもないか……。ごめん、きみには指一本触れないし、俺はここから動かないから」
少年は手と首を振って、敵意がないことを必死でアピールする。しかし重力によって下がった袖から露わになった右手首には、いまだ光る白い精霊石と金輪がある。
少年はスピリストだ。それも今能力を発動し続けている。
ユウナはさらに警戒を強めた。それに合わせ、纏う水流が今にも飛び出しそうに激しい飛沫をあげる。
「ごめんって、きみに危害を加えるために発動してるわけじゃないんだよ。っていうかまともにぶつかっても俺はきみには勝てないってば。頼むから発動を抑えてくれ、それだけの魔力を誤魔化すのも大変なんだからっ」
少年はもはや跪きそうな勢いで懇願する。
「誤魔化すって……あなたは誰?」
水流を収めることなく、ユウナは静かに尋ねる。ひとまず話をする姿勢を見せた彼女に、少年は心底胸を撫で下ろした。
「――はじめましてユウナちゃん、俺はアランドという。政府本部、研究室に所属する『幻』のスピリストだ。きみの仲間のスゥは俺の後輩だよ」
「スゥの……?」
彼の口から出た名を、ユウナは思わず反復した。
故郷の町の初等学校を卒業し、ともに政府に召集された同い年の幼なじみの一人だ。同じ政府所属であるが、彼とは滅多に顔を合わせることはない。
長い睫毛を伏せ、遠き日の仲間の顔を脳裏に描くと、ユウナの纏う水流が弱まる。
「ああ、心配しなくてもスゥは元気だよ。まあ俺が任務できみに会ったなんて言えば、きっとあの子は『何でおれに言わなかったんだ』って怒るんだろうけど」
「任務……?」
顔を上げると、本当に一歩も動かずに佇んだままアランドが目に入る。穏やかな表情はいくらでも裏がありそうで、恐ろしささえ感じる。
スゥは聡明な少年だ。このアランドという人物の言う通り、政府本部にある研究室に配属されたと聞いている。多くの先輩と上司がいると彼が言っていたが、目の前の男もそのうちの一人なのだろう。
離れたところから見ても背の高い男だ。しかしまだ幼さの残る顔立ちは、ユウナよりいくつか年上なだけかと思われた。
黙ったまま睨みつけてくるユウナに向かって、アランドは頷いてみせた。
「そうだ。俺は上からの命令を受けてここへ、きみに協力しに来た。説明はちゃんとする。さっきは思ったより緊急事態だったからきみだけを結界から守るので精一杯だったんだよ」




