7-18 屋敷への通路
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『色違い』リュウが身を隠す屋敷は、とても広大だ。
一端敷地から出て建物から離れると、塀の外側に沿って歩く。しばらくして目立たないように作られた小さな門に辿り着くと、再び敷地へと踏み入れた。
「――この屋敷はもともと、初等学校の教師である奥様のお知り合いの方の別宅でして」
そこまで来て、この屋敷の使用人であるツボミがようやく沈黙を破る。
無言を貫いていたケイは彼女のすぐ背後で目を見開いたが、ツボミは構わず続けた。
「昔は教会関係の施設だったところを買い取ったそうですが、あまり訪れることがないまま放置されていたそうです。町の人間でさえ認知度が低いこの場所なら、身を隠すのに良いと判断したのでしょう」
全員が門をくぐったのを確認すると、ツボミは再び背を向けて歩き始めた。
「リュウさんは幼い頃から神童と呼ばれるほどのピアノ奏者でした。そんな彼を政府の手から守るために、彼を支持する教会の者たちが母子を支援し今日まで暮らしてきたのです」
ぽつぽつと、まるで独り言を言っているかのようだった。
少し迷いつつも、ケイは彼女に短く言葉を返す。
「……父親は?」
「いらっしゃいません。リュウさんがお生まれになる前に別れられたと聞いています。奥様のお兄様、つまりリュウさんの叔父様がお二人を支えてこられましたが、彼もまた数年前に亡くなられたそうです」
そこまで答えて、ツボミは足を止めて振り返る。
遅れて立ち止まったケイたちそれぞれに目をやると、何事もなかったかのようにまた踵を返した。
「奥様にしてみれば、唯一無二のご家族であり自慢のご子息でしょう。それが突然、リュウさんが色違いであると分かり奪われそうになった。スピリストであるあなた方はただ、憎悪の対象でしかありません」
「…………」
当然の感情だ。
ケイとてユウナをはじめとする同郷の色違いたちを奪われることは、耐えがたい苦痛だったのだから。
「疑心暗鬼になっておられるのですよ。実際、これまではリュウさんを賞賛していた教会の者たちまでもが、内部では揉めているそうです。リュウさんを何としても守るべきとする者もいれば、政府に差し出すべきとする者もいる。使用人も含めて、リュウさんに近づくものは皆信用ならないのでしょうね。先ほどの奥様のことも、どうかお許しくださいませ」
「…………」
ケイは答えない。聞かないふりをしたままだ。
どれほど事情を知ったところで、リュウを逃すわけにはいかないのだから。
そんな彼の後姿を、ナオの肩に座り込んでいたフレイアは無言で睨みつけている。
「……フン」
至極不機嫌そうに目を眇めると、フレイアは顔を背ける。するとナオや隣を歩くハルトのさらに後ろからついてくる女性と目が合って、大きな舌打ちを漏らした。
メイドのツボミが『代表』と呼ぶ女だ。フレイアはことさら彼女のことが信用ならなかった。レンカという名さえ、本当かどうか分からない。
すぐに前を向いてしまったフレイアを見て、レンカはそっと唇を吊り上げた。
「着きましたよ」
そう言って足を止めると、ツボミが振り返った。
見ると、こじんまりとした納屋のような建物の前で、ツボミは得意げな顔をして佇んでいる。
彼女が差しているのはその建物の扉で間違いないようだが、一同は思わず目を瞬かせた。屋敷はまだ建物の奥に見えている。どう見ても違う建物だ。
「って、これ倉庫じゃ……え?」
前のめりになってそう言いかけたところで、ハルトは何かに気付いて動きを止める。
屋敷に近づいてみると顕著に分かる。強い魔力の気配を感じるのだ。
「なんだ……なんかいる」
発動を強めると、慎重に辺りを探る。
ツボミが示した屋敷から少し離れた位置にある倉庫。じっと見つめていると、ちょうどその奥あたりで何かが不自然に揺らめいた。
「ハルト、あれ……!」
ナオがそちらを指さしながら甲高い声をあげる。ハルトは頷いた。
「ああ、明らかにさっきとは雰囲気が違う。何か強い魔力が建物全体を包んでいるような……」
「あら、そっちの坊やは敏感なのね」
別の意外そうな声が飛んでくる。ハルトとナオはそちらを振り返ると、レンカが目を丸くしてハルトを見ていた。
これまでケイしか眼中になかった彼女が、ようやくハルトに興味を示したように見える。しかしハルトは分かりやすく顔を歪めた。
「…………」
「あら、怖い顔」
答えることもせず睨みつけてくるハルトに、レンカはくすくすと笑ってみせた。
「代表、お戯れはそのくらいで」
痺れを切らしたのか、ツボミが割って入ってきた。再び全員の目が向けられたのを確認すると、ツボミは目の前の倉庫越しに屋敷を見上げる。
「彼の言う通り、魔力の結界が張られているようです。正面からでも屋内に入ることはできますが、元凶である何者かには永遠にたどり着けないでしょう。この中では皆騙されてしまいますから」
言うと、ツボミは倉庫の扉を開く。
彼女に促されるまま建物に入る。外観の印象よりも広いが、がらくたが散乱していて埃っぽい。せき込む子供たちをよそに、ツボミは慣れた様子で口元を覆うと、まっすぐに奥へと進んで行った。
壁に追いやられるように積みあがっていたがらくたをいくつか動かす。するとその奥からぽっかりとした穴が現れて、ケイは目を見開いた。
「隠し通路か?」
「はい。ここなら屋敷の結界にぎりぎり入るか入らないかの場所。ここが一番入り口に適しているはずです」
舞い散る埃を手ではたきながら、ツボミは答える。
奈落の入り口のように暗く見える隠し通路に、ケイは思わず言葉を失って立ち尽くしていた。ただ居住を目的とした建物ではなさそうだ。まるでおとぎ話にでも出てきそうな悪の根城である。
「魔力の結界、騙される……それってあの時と同じ?」
「え?」
ふと、背後から聞こえてきたハルトの声に、ケイは我に返った。
振り返ると、同じように隠し通路をじっと見つめながらハルトが考え込むようなしぐさをしている。
「あの時って?」
「ほら、あの湖の任務あったろ、スゥの上司の。ユキヤって人が連れてた指輪の精霊と同じじゃない? 『幻』の能力は自分の魔力で標的を包み込んで、五感を騙すものだって」
ハルトの答えに、尋ねたナオもまた大きく目を見開く。
以前湖畔近くの町に立ち寄ったとき、任務のなかで突如として幻惑系の力を持つ精霊の結界に取り込まれたことがある。
今回の状況は、依頼主として現れた『幻』の能力を持つスピリスト、ユキヤが言っていたことに酷似していた。




