1-17 偽るもの
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太陽が今日も別れを告げ、空が白んでいく。
ますます暗く静まり返った森の中を、一人で歩いている男の姿があった。
やや小柄な壮年の男だ。ろくな道もない森に来るには不釣り合いな、ぴしりとしたスーツにハットで上品に身なりを整えている。
落ち着いた色合いは闇に溶けてしまいそうだが、「彼」にはよく似合っているものだ。
男はそうほくそ笑むと視線を下へと向けた。
踏み荒らされた柔らかい土。ずいぶんと大所帯でこんなところに乗り込んだものだ。
普通は人が精霊に対し認識と常識を持っているように、スピリストは一般人を任務に進んで関わらせるようなことはしない。同じ人であっても違う存在なのだ。彼らもそのあたりのことはきちんと分かっているように見えたのだが、そうではなかったのか押し切られたのか。いずれにせよ、任務は果たせたらしい今になって言及したところで意味をなさない。
それにしても、ずいぶんと甘い話だ。
彼らはまだ幼いとはいえ、皆を救うなどと豪語するとは片腹痛い。そのような綺麗事が崩れ去り、いつか絶望に染まった顔を見るのもいいかもしれない。
人も、精霊も、そしてスピリストも。この理不尽で狂った世界に生きているのなら、いずれその時は来るのだろう。
過去は変えられない。そこから進み始めた道ならば、もう後戻りはできないのだから。なりふり構わず生き残るためにがむしゃらに道を切り開く方がよほど利口だと言える。
しかし、ひとまず今回のことでは中立者かつ傍観者の立場を崩すつもりは全くない。目の前でただ、決まっていた出来事が過ぎていったというだけのことだ。
いや、多少ちょっかいを出して彼らやあの町の人たちを煽ってみたから、完全な傍観者ではないか。
だがこの町には、もう留まる必要はない。
もう目的は達成した。彼とてそれほど長い時間が自由になる立場ではないし、さっさと戻らなければならない。
男はハットを手に取る。白髪まじりの髪が風に揺れた。
「それにしても、あの子たちが……。確かにあの歳にしてはすごい能力者だね」
「そーだねぇ。でも別に珍しくなんてないでしょぉ? 所詮あの程度なんだものぉ」
そっと呟くと、すぐにどこからかそれに答える声が聞こえてきた。男はにやりと唇を吊り上げる。辺りには男の他に誰かがいるようには見えないし、そんな気配もない。しかし男は特に驚いた様子は見せなかった。
「ねーねー、キミ的にはどーだったぁ? もしかしたらあの子がそうなのかもしれないんでしょぉ?」
「そうだね」
投げかけられた質問に曖昧な返答を返す。底の知れない笑みを浮かべて、彼はハットをひらひらとして誤魔化した。
すると声も、不気味な笑い声をあげはじめる。妙に上がり調子な口調だが、ねっとりとした低い笑い声は、直接背筋を舐めまわすようなおぞましさを感じさせ、その場にいるものを畏怖させる。
「ところでさぁ、キミもいつまでそんなオジーサンになりきっちゃってんのぉ? もうさぁ、あんなしょぼい町の町長になんてならなくていいんだからぁ、さっさと元に戻りなよぉ」
男は――あの町の町長であった彼は、ふふっと小さく鼻を鳴らした。
全くそうだ。しかし案外、少しだけの町長体験はなかなかに面白いものがあった。
彼はどこか納得したように一度瞑目する。直後、彼の体は眩い光に包まれ、辺りを照らし出した。
その光が消えた頃には、小柄な紳士の姿はもうない。代わりに十代後半くらいの長身の少年がそこに佇んでいた。
意を悟らせないその口元に貼りついた笑みだけが、町長の面影を映し出していた。
「ところでさぁー、そのオジーサンって一体どーしたのぉ?」
「ん? ああ、あの家の一室に気絶させて転がしてあるよ。心配しなくても今頃たぶん家族に発見されてるよ」
「あらやだぁ。町長さんかぁわいそぉー」
声はケタケタと楽しげに笑い出す。
「それにさぁ、キミもひどいよねぇ。キミの目的のためにさぁ、こんな大きな森ひとつ消しちゃうんだもぉん」
「おや、人聞きが悪いね。別にただ、俺は消えつつあったこの森の未来をちょっと早めただけだよ」
少年は飄々とうそぶく。化かし合いをするかのような会話だった。
声音まですっかり少年の若々しいものに変わっている。
彼は口元に手を当て、少々考え込む仕草を見せた。
「ふぅん……まぁいいや。とりあえず俺は政府に戻る。そして少し調べさせてもらうことにしようかな。行こうか?」
「おっけー」
刻まれた足跡が途切れている。目の前に広がるのは戦いの場となった、十数メートルほどの開け放たれた場所だ。
積み上がる残骸や大きく抉られた地面を見、どこか満足そうに笑ってその場に佇む。
しばらくして少年は再び歩きはじめ、暗い森の奥へと消えていった。
1章はこれで終了です。
2章へ続きます。ここまでお読み頂き、ありがとうございました。今後も宜しくお願い致します。




