7-12 政府の犬
「リュウ!」
金切声をあげると、女性は部屋に飛び込んだ。
一目散にリュウに駆け寄ると、女性は彼を抱きしめる。
リュウにとても良く似て整った顔を怒りに歪めると、女性は一番近くにいたナオを思い切り突き飛ばした。
「きゃあっ!」
「この悪党が! 政府の犬め、私の息子になにするのよっ」
なすすべなくよろめいたナオに、女性は血走った目を向ける。リュウを掻き抱く細腕に力を込めると、リュウが苦しそうに呻いていた。
「ナオ!」
ケイはナオに駆け寄るとその肩を支える。女性が今にも噛みついて来そうな猛獣のように睨みつけてくるが、今の彼らにはリュウや女性を気にする余裕はなかった。
「ユウ……」
ナオが茫然とユウナの名を口にしようとするが、途中でそれを呑み込む。女性を通り越し、部屋中にきょろきょろと視線を動かすが、ユウナの姿はどこにも見当たらない。
女性はさらに目を吊り上げると、リュウを背中に隠して平手を振り上げる。ナオを殴ろうとしているのを見て、ケイは思わず魔力を迸らせる。
「ナオ、ケイ!」
ハルトの声が遮る。女性は振り下ろそうとした腕を止めると、今度はハルトを睨みつけた。
「スピリストが三人も寄ってたかって! うちの息子を攫いに来たのね!」
「奥様、どうされましたか?」
ふと、騒ぎを聞きつけたのか忙しない足音とともに別の女性が部屋に飛び込んでくる。
若い女性だ。メイドのような服装を見ると、どうやら使用人のようだった。
「この三人がいつの間にかリュウの部屋に! どういうことなの、ここは安全じゃなかったの!? 早く追い出して!」
女性の口調は勢いを増し、ものすごい剣幕でメイドをまくし立てる。
対照的にメイドは驚いた顔はしていたものの、どこか他人事のような表情で「まぁ」などと呟くだけだった。
少なくともスピリストには見えないメイドには、ケイたち三人を力ずくでどうにかすることなど到底不可能だろう。それを示すようにして、彼女は胸の前で祈るように両手を組んだ。
「このっ……! 役立たずっ」
苛立ちが頂点に達したのか、女性は手近にあった花瓶を掴む。
華奢な身体をめいっぱいにひねり、ナオに向かって投げつけようと振りかぶった。
「出て行け! この人でなし、二度と来るなっ!」
「きゃっ……!」
「母さん!」
思わず怯んだナオだったが、女性に必死に手をのばしたリュウと目が合う。直後、ナオの精霊石が強い光を放った。
一般人に攻撃することはできない。仕方なく、ナオは背後にいたケイとともに退避しようと床を踏みしめる。
柔らかいカーペットを、魔力によって底上げされた脚力で強く蹴る、はずだった。
「ぴゃっ!?」
突然、カーペットが沈み込む。泥水に足を突っ込んだかのような嫌な感触が伝わって、ナオは声と一緒にその場にひっくり返った。
「ナオ!? うわっ……」
ケイは反射的にナオの手首を掴んだ。彼女を支えるつもりが、想像以上の力で下に引っ張られてバランスを崩してしまった。
「ナオ、ケイ! どうした……っ」
様子がおかしい二人のもとに、ハルトが剣を持ったまま彼らのもとへ駆け寄る。
三人が一か所に集まったその時、部屋の中の空気が一気に張り詰めたのを感じた。
「へっ……?」
不思議に思う間もなく、カーペットの感覚が突如として消え去る。
直後、かくんと不自然に体が動いてようやく下を向く。
確かに室内にいたはずだった。それなのに突然、足元には闇が広がっている。床が消え去っていたのだ。
ケイたちはなすすべなく、まっさかさまに落ちていく。
「え、ちょっ……うわああっ!?」
部屋のシンプルな壁や二台のピアノ。そして何もない場所に立ち尽くす母子が目を丸くしたのを見たのを最後に、三人もまたその場から掻き消えた。
「あ、あれ……!? 消えた? ど、どうして……何だったの?」
女性は花瓶を手に持ったまま、茫然と呟いた。
目の前にいたはずの憎い敵が、何もないところで急にひっくり返ったかと思うと突然消えたのだ。
女性にとって、いやスピリストにとってもおおよそあり得ないことに、女性は狼狽えるばかりだった。
「か、母さん……?」
「リュウ! けがはない? だいじょうぶ?」
背後で青い顔をしていた息子を、女性は掻き抱いた。リュウの頬を両手で包み込むと、女性はようやく安堵の表情を見せる。
そんな二人に、一人の女性がとことこと近づく。衣擦れの音に気付いてそちらを振り向くと、年若いメイドがにっこりと笑って佇んでいた。
「どうされました奥様、顔色がお悪いですわ。リュウさんも少しお休みになってはいかがでしょう」
わざとらしい口調だった。
それに苛立ちを覚えた女性がメイドを振り仰ぐ。目が全く笑っていないメイドは、それでも不気味な弧を口元に貼りつけていた。
女性は本能的な恐怖を感じて喉を鳴らした。リュウを抱きしめる腕に力を込めると、リュウがまた短い呻き声をあげる。
心外だと言わんばかりに、メイドは首を傾ける。
「まぁ、そんなに恐れなくてもだいじょうぶですよ。我々組織が必ずあなたとリュウさんをお守りしますから」
高く軽やかな声でそう言うと、メイドは母子に向かって手を差し出す。
メイドの仕事をするには不釣り合いな、小さな石がついた指輪が二つはめられている。
それがとても怪しく光ったように思えて、リュウは何も言えずに頷いただけだった。




