7-10 光の神話
「ちょ、フレイア!」
「今さらなによ、アタシもう隠れてなくていいでしょ。いつまで経っても話が進まないじゃない」
ナオは慌てていたが、フレイアは苛立った様子で鞄から飛び出した。炎の翼を数度はためかせると、彼女はリュウの目線の高さに浮かぶ。
フレイアはリュウをきっと睨みつける。対して、リュウは突如現れた異形の少女に目を丸くすると、前のめりに彼女を見つめる。恐れる様子はなく、むしろ興味津々といった表情だ。
「確かにこの人たちの他にも誰かいる気はしてたけど……もしかして精霊? 初めて見た」
「フン、アタシが精霊で悪いっての? アンタのせいでさんざんよ」
じろじろと無遠慮に見られているからか、フレイアはさらに不機嫌そうに顔を歪めた。
言っていることは八つ当たりに近い。フレイアの気持ちも分からなくはないが、ナオは手をのばして飛んでいるフレイアの翼をつまむと、自分の方に引き寄せた。
「きゃ! ちょっとナオ何するのよ!」
「スピリストが相手じゃないんだから、そんな怖い顔して迫っちゃだめだよ」
「だからって翼を掴むな飛べないでしょっ! っていうかこの子は間違いなくヒイロと同じよ、確かに魔力を感じるわっ」
じたばたと暴れながら、フレイアはリュウを指さす。
その言葉に、ナオは動きを止める。指の力が弱くなった隙を逃さずに、フレイアはナオの手から逃げた。
「そう、なんだ。やっぱり精霊にはそういうのがわかるんだね」
ナオは顔を曇らせると、じっとリュウの顔を見る。
リュウは特に気にした様子もなく、口元に弧を描いたままナオを見つめ返した。
「……そうか。教会の弾き手になろうとしていたって聞いておかしいと思ってたけど、その容姿なら」
ナオのすぐ後ろに立っていたハルトがようやく口を開いた。彼もまたリュウをまじまじと見ながら、発動はいまだ解いていない。
部屋に飛び込んでからずっと、ハルトは警戒を緩めることなくリュウの様子を探り続けていた。
「オレには今もお前の持っているではずの魔力が分からない。それに金髪碧眼なんて、ちょっと珍しいけどふつうに存在する色だもんな。お前、もしかして政府に言われるまで」
「うん。自分が色違いだということを知らなかった。もちろん、母も教会の人たちも」
リュウは悲しげに眉を寄せると、静かに頷いた。
ユウナとはまた違った、儚い雰囲気を持つ金髪の少年。透き通るような青い瞳や整った面差しも、すれ違う人の目を引くだろう。
しかし、リュウはひと目で色違いだと分かるユウナとは違っていた。
ハルトも金色の髪を持っているし、青い瞳は希だが色違いでなくとも存在する。
色違いの定義は、生まれながら魔力を持つ人間のこと。
色違いとしては少数だが、容姿が珍しくないからと言って魔力がないとは限らない。逆に言えば容姿が珍しかったとしても、魔力を持たなければ色違いではないのだ。
魔力がなければ政府が召集する意味はない。戦力として特化するほどの価値がないからだ。
「少し前にあなたたちより少し上くらいの歳の、色違いの女の人がこの町に来たんだ。そのときから僕は政府に追われる身になったというわけさ」
リュウの抑揚のない声が、広い部屋に浸透する。
さすがのフレイアも何も言えずにただその場で浮遊していた。
赤色の髪と目を持っていたヒイロの場合は、彼女自身もいずれ政府へ行くことを理解していた。それでいてとても悲しい想いをしていた。
しかしリュウは違う。彼は初等学校を卒業したばかりで、突然将来を覆されたのだ。
神に捧げる歌を奏でる、教会の弾き手という輝かしい未来を。一瞬で。
「……アンタは」
無意識のうちに、フレイアは口を開いていた。
彼女の大きな瞳に、首を傾けたリュウの姿が映る。
「アンタはその、神様というもののためにその楽器を弾いてるの? アンタにとってはそれは大切なことだったの? だからここにいるって言うの?」
「弾いてた、だけどね。確かに大切なことだけど、ぼくはもう弾けないよ」
「なんでよ、さっきも上手いこと弾いてたじゃない」
「技術の問題じゃないよ。教会では祈りを捧げるために皆で歌う歌があって、それを完璧に演奏するのが弾き手の仕事だ。だいたいが神に感謝を捧げたり、神話を唄っていたりする」
「神? 神話? なんなのよ、それ。わけがわからないわ。人間なんて」
フレイアは戸惑う。たどたどしく言いながら、見透かされるようなリュウの瞳から目を逸らす。
心配そうな顔をしたナオと目が合う。何かを言いたげなその表情は、つい先ほど見たものだ。
同じ表情で、彼女はこう言った。
『人がどうして精霊やスピリストを嫌うかは知ってる?』
と。
「精霊が事情を知らなくても仕方ないよ。けど、この神話と言うのはきみたち精霊にも関わりがあるものだよ」
ナオの代わりと言わんばかりに、リュウの声が聞こえてきた。
びくりと肩を震わせると、フレイアは再び彼を顧みる。
淡々とした口調が、いっそ残酷に聞こえる。
それでも、フレイアは眉をひそめながらも言葉を返した。
「……ねぇ。それ、どういうこと?」
「今、広く信仰されているのは光を司る偉大な神様だ。この世に存在する生き物はみんな神様が創ったと言われている。人も、動物も、もちろん精霊もね。ただ、精霊だけは光の神ではなく、彼と対になる別の神様が創ったらしいんだけど」
その言葉を待っていたように、リュウは滑らかに話しはじめる。
彼の手が小刻みに動いている。見えないピアノに触れているかのようだ。
あの極彩色の教会がリュウの瞳の中に映った気がして、フレイアは息を呑む。
「この世界で生き物を創れるのは神様だけ。創造主として二人の神様は崇められた。けれどある日、精霊を創った方の神が光の神を裏切り、彼を殺そうとした。しかし力及ばず、長い戦いの末光の神と彼の七人の従者に返り討ちにされ、遠く、暗いところに幽閉されたんだって。そして再びこの世には平和が訪れた。人々は光の神に感謝し、敬い、以後ずっと彼を厚く信仰している」
「…………!」
フレイアは目を見開いた。
リュウの言わんとすることを察したらしい彼女を見て、ナオは悲しげに眉を寄せた。
「このどこかありがちな話が光の神話と呼ばれていて、知らない人間はほとんどいない。初等学校でも習うからね」
「つまり、人間がアタシたち精霊を嫌うのは……その裏切った方の神様とやらから生まれたから、ということなのね」
「そうだよ、頭がいいんだねきみは。精霊だけじゃなく精霊の生まれ変わりとも言われる色違いも、精霊と似た力を扱うというスピリストも同じ理由だね。でもぼくは確かに人間のはずなんだけどなぁ」
フレイアは果然といった顔だった。それを茶化すように笑いながら言ったリュウの口調は変わらず抑揚がなくて、静かな室内に悲しく響く。
神に背き裏切った咎人の生み出した存在。
この宗教の町ではとりわけ、精霊や色違いは受け入れられない。
政府支部の存在が許されないのも、大部分の町の住人がスピリストの滞在を認めないからだ。
「……そんなほんとか嘘かも分からないことで。くだらないわ」
「客観視したら確かにくだらないことだよね。でも、この町では特に皆熱心な光の信徒。物心つくころからの刷り込みはそう払拭できるものじゃないよ。だから」
――僕はもう、弾き手ではいられない。
リュウの言葉を最後に、静寂が彼らを包み込んだ。
皆何も言えずに、彼を取り囲むようにして立ち尽くしている。
フレイアの唇が数度動くが、音を紡ぐことはなかった。
それを口に出すまでに多くの悲しみや、葛藤や、憎しみがあったことだろう。
たとえそれらを察するに余りあっても、彼に対してかける言葉を見出すことはできなかった。




