7-7 色違いと協力者
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無言で足を運ぶ四人がたどり着いたのは、住宅地からは遠く離れた場所だった。
もはや木々が生い茂り、薄暗い森のようになっているさまは不気味だった。怖がりのナオが顔をひきつらせていたが、声をあげるのは我慢しているようだ。
知らない間に町から出てしまったのかとも思ったが、携帯電話の位置情報は未だ町中を示していた。
ついに最北端にまでたどり着いたとき、彼らは驚いて足を止める。
木々に隠れ、遠目には全く視認できなかったその場所に、大きな建物がぽつんと建っていたのだ。
四人は揃って口を中途半端に開いたまま立ち尽くし、建物を見上げる。
「ほ、ほわぁ……」
ナオが気の抜けた声をあげる。
「大きなお屋敷ね。ここは誰かの家かしら」
それに対し、答えたのはユウナだった。ここまでの道中、黙っているか何か独り言を言っていただけの彼女がようやく会話に応じて、ナオは一度目を瞬かせた。
ユウナは首を傾げながらも、目の前の建物を見据える瞳は鋭い。そんな彼女の横顔を見て、ナオは思わず彼女の服を引いた。
「ユウナ、もうだいじょうぶ? 様子がおかしかったけど……」
振り返ると、ユウナもまた目を丸くした。直後、少し顔を赤く染めると首を横に振った。
「ご、ごめんね心配かけて。ちゃんと皆の声は聞こえていたわ。でも気を抜くと音が聞こえなくなりそうだったから私つい……」
「その音ってどんな? オレらには全く何も聞こえなかったんだけど」
「え、えっと……」
割り込んだのはハルトだった。突然話しかけられて戸惑うユウナだったが、ハルトの方へ振り向く。
呼吸をひとつ整えると、ユウナは揃って怪訝そうな顔をした三人を順に見渡した。
彼女の細長い両手の指が痙攣するように細かく動く。その動きはまるで、何か見えない楽器に触れるかのように繊細だ。
「綺麗なピアノの音だった。最初は和音……いくつかの音を同時に鳴らしただけだったわ。だけど、だんだんひとつの曲になっていった。聞いたことはなかったけれど、あれはたぶん教会で弾くものだと思ったから……」
「教会? ってことは……」
ケイとハルトの声が重なる。何かを察した仲間たちに向かって、ユウナは宙を彷徨っていた手を降ろすと、唇を引き結んで頷いた。
「ええ。弾き手をしていたという『色違い』の彼と無関係ではない気がしたの」
ユウナの声がわずかに低くなる。言うと、彼女は再び目の前の建物を見上げる。
その優しい瞳の中に、強い光が宿った。
注意深く建物を観察している彼女を見て、ハルトは建物を指差す。
「それじゃ、音はここから聞こえたってこと?」
「ええ。さっき止んでしまったけど、ここで間違いないと思う」
ユウナは迷わず頷く。それに対し、ハルトは気付かれないように目を細める。
ケイとナオもまた顔を見合わせると、無言のまま眉を下げる。
結局三人は一度も、ユウナの言う「音」というものを認識できていない。
微動だにしないユウナの後ろ姿は、故郷の町にいた頃とは同じようで違うものだった。
今の彼女はスピリストだ。そして今は任務の最中だ。それはケイたちも同じはずなのに、隔たりがあるようで。
取り戻したいはずの彼女がどんどん遠くに行ってしまうような気がして、三人はどこか悲しさを覚えていた。
「ほえ?」
ふと、手にしていた鞄がひとりでに動いて、ナオは我に返った。
「ふぐぐー! ぬぐーっ!」
「あ、フレイアごめん!」
言いたいことを十二分に表現しながら暴れる鞄を、ナオは慌てて解放する。
鞄を突き破る勢いで飛び出したフレイアは、怒りに顔を真っ赤にして飛び回った。まるで口の開いた風船である。
「忘れてんじゃないわよぉっ! 揺れるし狭いし苦しいしっ」
「ご、ごめん……っていうか大きな声出しちゃだめっ」
「ぐえっ」
ナオはナオで甲高い声をあげながら、飛んでいるフレイアを器用に捕まえると胸元に抱き寄せた。体格差がありすぎるのでフレイアがまた鈍い声をあげていたが、ナオは慌てて辺りを見渡す。
人の気配はない。誰かに見つかった様子はないようだ。ナオはほっと息を吐いた。
「フレイア、誰かに見つからないようにねっ」
「フン、心配しなくても周りには誰もいないわよ」
ナオの腕から抜け出ると、フレイアは宙を漂いながら唇を尖らせた。
ふてくされつつも、フレイアはようやく開けた視界いっぱいに映った大きな建物を見上げた。
「で? なによここ」
「わかんない。中には誰かいるのかな」
「とりあえず明かりがあるか見りゃいいんじゃないの? アタシちょっと行ってくるわ」
「あ、フレイア待って!」
ナオの甲高い声を最後まで聞くことなく、フレイアは翼を広げ目立たない程度に上昇すると、あっという間に飛んでいった。
「フレイアぁ……」
ナオの情けない声が空に溶ける。本人には言えないが、身体が小さい上に素早いフレイアを止めるには瞬発力が足りなかった。掌を広げた姿勢で固まるナオは、しょんぼりと眉を下げた。
しかし、フレイアの気持ちも理解できる。居心地も扱いも最悪なこの町での任務など、さっさと終わらせてしまいたいのだろう。
それに身体の炎が明るく目立ってしまうこと以外は、飛ぶこともできるフレイアは偵察には向いている。ここは彼女を信じて待つ方が良いかもしれないと、ナオは不安な気持ちを噛み砕くように唇を引き結んだ。
先ほど見た教会ほどではないが、とても大きな建物だ。外観はどちらかというと質素だったが、二階建ての造りは横に大きく広がっており、さらにその周囲を広大な庭と塀がぐるりと取り囲んでいる。
見た限り、居住を目的としたお屋敷のようだった。しかし人が住むにはあまりに辺鄙で、どこぞの富豪が建てて忘れられた別荘、などといった印象である。
庭は草木が生い茂り、塀は所々崩れていて、あまり手入れがされているようには見えない。建物もよく見れば老朽化が進んでいるようだ。
ナオの横で、ユウナは携帯電話を操作している。不安と緊張の入り混じった顔が、四角い光に照らされていた。
画面に触れる手が止まっている。どう報告すべきか迷っているようだ。彼女に声をかけようとしたところで、ぱたぱたという羽音が聞こえてきた。
「あ、おかえり」
振り仰ぐと、気だるげに翼を動かしながらフレイアが戻ってくるのが見えた。
偵察に行ってからまだ数分も経っていない。揃って目を丸くする四人の子供たちの前に降り立つと、フレイアは小さな指で建物を差した。
「あの屋敷、向こうの方にまだまだ続いててめちゃくちゃ広いわよ。あっちの部屋に明かりが点いてるのが見えたわ」
明らかにふんぞり返った様子でフレイアは言う。そんな彼女に、ナオは両の拳を胸の前で掲げて顔を輝かせた。
「ほんと? フレイアすごいね!」
「っていうかお前そんな堂々と行って見られたりしてねぇだろな?」
「失礼ね、大丈夫よたぶん」
「たぶんかよ」
ナオとは対照的に半眼をしたケイを一蹴すると、フレイアは指をさらに数度動かす。さっさと行ってみようと促しているようだ。
しかし得体の知れない建物に、それも誰かがいるかもしれないのに正面きって乗り込んでいくわけにはいかない。
幸い、塀の周囲は草木が生い茂っている。身を隠しながら移動することはできそうだ。
四人は顔を見合わせると頷いた。
フレイアはなるべく高度を落とすと、ゆっくりと先導していく。それに続いて行こうとしたところで、ハルトは思い出したかのように口を開いた。
「そうだ。ユウナ、一応聞くけどその『色違い』の子の家ってどうなの?」
「この町の住宅地の一角に、母親と住んでいた自宅があると聞いたわ。もちろん政府が一通り調べて今も見張っているけど、母子とも見つからないみたい」
「やっぱりね。つまりどこかに逃げたか、誰かが匿っているかってことか」
「ええ」
ユウナの答えに、ハルトは納得した表情を見せる。そんな彼らを、前を歩いていたケイとナオがちらりと振り返る。
「教会に行け」という指示を聞いた時点で何となく察していたことだった。もし母子に誰も味方がいないのならば、最初から彼らを探し出すように命令されるはずだ。
『色違い』の経歴から、協力者は教会関係者の可能性が高い。
教会の人間に揺さぶりをかけること。おそらくそれが政府の狙いなのだろう。ユウナが追い返されることも想定済みだったに違いない。
「このあたりよ」
しばらく進むと、振り返ったフレイアが小声をあげる。
四人は建物を見やるが、塀が高くて二階の一部しか見えない。しかし、確かに窓からは明かりらしき光が漏れていた。
窓を見つめるユウナの瞳が、きゅっとつり上げられた。
「探ってみるわ」
言うと、ユウナは手を胸の前で握りしめる。
左手首に貼り付いた青い精霊石が光を帯びた。気配を探るために能力を発動したのだ。
ユウナは目を閉じる。じっと耳を澄ませると、屋敷に向かって意識を集中させた。
ユウナの奇抜な色の長髪がゆっくりと左右に広がる。
無言のまま見守っていると、しばらくして彼女ははっと目を開けた。
「ユウナ、何かわかった?」
詰め寄る勢いでそう聞いたのはナオだった。ユウナは躊躇いなく頷く。
「微かだけれど、何か変わった気配がするわ。色違いの可能性はあると思う」
静かな声に緊張が混じる。
屋敷を調べてみる必要はありそうだ。
「乗り込むか」
拳を握りしめると、ケイが低い声で言う。それぞれの精霊石が、同意の代わりのように光を放った。
ユウナは数歩後ろに下がると、屋敷をより見渡そうとする。
「入れそうなところはあるかしら」
言うと、塀の周りの所々に大きな木が生えていることに気づく。それらが光を遮り、屋敷の目隠しになっているようだが、逆に言えば枝葉に身を隠しつつ、塀を超える高さの視界を得ることができそうだ。
意を決して木に手をかけようとしたとき、ユウナの耳に澄んだ音が届けられた。




