6-38 火の玉娘とハネアリ精霊
「……フ、フレイア!?」
数秒のにらめっこを経て、ナオはベッドから転がり落ちそうな勢いでのけぞった。フレイアを指さすと大音量で甲高い声をあげる。
驚いたのはフレイアの方だった。両手で耳を塞ぎながら、危うく墜落しそうになるのをどうにか堪えていた。
「うるっさいわね。何よ、アタシがいちゃ悪いっていうの?」
「ご、ごめん。そういうわけじゃないけどどうして? だいじょうぶなの? だってキミは……」
ナオは目を白黒させながら言いかけて口籠る。
あの火山の精霊を町から避けようとして、フレイアはナオの魔力と一緒に己の霊力を解放したはずだ。
精霊とは意志を持った膨大な霊力の塊だ。力が弱まっている精霊でさえ森一つ消滅させてしまうほどの力を持つというのに、今のフレイアが意図的に霊力を解放させるとなると、かなりの威力を持った爆弾のようなものだ。
しかしそれは、同時に精霊としての死を意味する。
ナオやフレイアには火山そのものである精霊を退ける力はなかった。町を守るために、フレイアは己を投げうつ決断をして、灼熱の中に飛び込んでいった。
そしてフレイアは確かに、眩い光とともに弾け消え去った。
凄まじい風と衝撃から必死で逃れようとしたが、ナオはヒイロと共に吹き飛ばされて地面を転がった。
気を失ったヒイロと自身の身体を炎で守りながら、ナオは空から町を覆い尽くそうとしていた灼熱の霊力が、フレイアの爆発によって押し返され、相殺されていくのを感じ取る。
高温の爆風や巻き上げられる粉塵に、目を開けているのもやっとだ。
喉が焼けつき声すらあげることができなくて、ナオは爆発の中心を必死に睨みつける。
その時確かに一瞬だけ、フレイアの姿が見えたのだ。最後に見たフレイアは穏やかな笑顔でこちらを振り返っていた。
気付いたときには、ナオは消えゆく彼女に手をのばしていたのだ。
――死なないで。まだ生きていて。
そう強く祈りを込めて。
ナオの記憶はそこで途切れていた。
「……やっぱり無意識だったんだね、ナオ」
「ハルト? ケイも、どうしたの?」
静かな声に意識を引き戻され、ナオは顔を上げる。目に映ったケイとハルトの表情はどこか浮かない。
ケイとハルトは顔を見合わせると、何かを決意したようにハルトが頷く。
不安げなナオに顔を近づけると、ハルトはゆっくりと口を開いた。
「……ナオ、落ち着いて聞いてね。今のお前は、フレイアを従えた『精霊使い』だ」
「え、ええ!?」
ナオは今度こそ全力で声をあげて驚愕した。膝の上に置いてあったヒイロのぬいぐるみがころんと転がる。
至近距離で鼓膜を突き破られたハルトをはじめ、皆で耳を押さえて悶絶している中で、ナオはただじっと漂うフレイアを見つめる。
「精霊……使い。私が……」
くらくらとする頭を押さえているフレイアは、恨めしそうにナオを睨みつける。
二人、目が合うと気付く。
彼女の霊力は、確かにナオ自身の魔力とよく似ていた。
早鐘を打つ心臓の鼓動でさえも共有しているような心地がして、ナオは衝撃のあまり動けずにいた。
ハルトはベッドから落ちそうになっていたぬいぐるみを回収すると、また口を開いた。
「フレイアは確かに死んだんだ。けれどその時きっと『まだ生きていたい』って思ったはずだ。そしてお前もね」
「あっ……!」
覚えがあって、ナオは瞠目する。
それを見て、ハルトは果然といったように目を眇めた。
「この前の湖の任務であの人、ユキヤさんが言ってたろ。強大な魔力を持っていること。属性が同じであること。精霊の死の瞬間に立ち会い、人は精霊を生かしたいと、精霊は生きたいと願うこと。お互いを必要としたとき、初めてその主従関係は成立する。魔力を精霊に与え続ける代わりに、精霊はその力を主のために使う。それが『精霊使い』だ、って」
「…………」
言葉が出てこない。
瞬きも忘れて絡み合う視線に、フレイアがやや気まずそうな顔をした。
「ナオ」
小さく震えているナオの肩に手を置いて、ケイは言う。
「一度結ばれた関係はもう戻せない。フレイアの命は、お前の寿命のぶんだけ引き伸ばされたということだ」
「そんなことって……」
「……フン、とんだ死にぞこないだわ」
ふいと顔を背けると、フレイアはぶっきらぼうに言う。
しかしその長い耳の先が赤く色づいているのに気付いて、ナオは優しく微笑んだ。
「それでも。私はキミが生きていてくれるならよかったと思うよ」
言うとナオは布団をはね、もぞもぞとベッドから出た。
堅い床をゆっくりと踏みしめながら、ナオはフレイアの前まで歩み寄る。
確かに驚いた。動揺もしている。だが、不思議と事実を受け入れることに迷いはなかった。
フレイアに生きていてほしい。
そう強く望んだことに後悔はない。そして、その望みは叶えられたのだから。
「思い出したよ。気付いたら駆け寄って、海に飛び出してキミを抱きしめていたの。その時、なぜかキミの声が聞こえた気がしたんだ。もっと自由に空を飛びたかったって。それがキミの願いなの?」
「――え?」
フレイアは勢いよく振り向いた。
大きな目をさらに見開いている。その顔は肯定のようだ。
ナオは花のように柔らかく笑うと、フレイアに手を差し出した。
「ねぇフレイア、私と一緒に行こう? 空を飛びたいのなら、これからは火山じゃなくて私がそばにいる。私は自由だから」
まるでダンスに誘うかのように優しく、どこか甘い声音だと、フレイアは感じていた。
「……ナオ、アンタ……」
上手く紡げない言葉よりも先に、フレイアも手をのばしていた。それに気付いて戸惑う彼女の指先に、ナオは人差し指でちょこんと触れる。
「私はまだ弱いの。会いたい人に会うために、もっとずっと強くなりたいって思ってる。だけど私にはケイもハルトも、そしてこれからはキミだっていてくれる。だからね、キミも私たちを頼ってよ。どんな小さなことだってぜんぶ話してほしいな!」
弾む声でそう言うと、ナオは眩しい笑顔をフレイアに向けた。
それを見て、ケイとハルトはなぜか微笑んだまま凍り付いた。しかし、ナオとフレイアは彼らの様子に気付いていない。
フレイアは口を少し開いてすぐに閉じる。それをしばらく繰り返したのち顔を上げると、彼女はぎこちなく笑った。
「ありがと……ってなんですって!?」
「ぴゅえ?」
感動に打ち震えていた涙声から一転、フレイアは急に鋭く目をつり上げるといつもの口調に戻った。
それにナオが首を傾けるが、ようやく己の失態に気付いて青ざめる。
フレイア最大の禁止用語が飛び出してしまったのだ。
フレイアは翼を広げて飛び上がると、すかさずその手にいくつもの火球を生み出した。
「だーれがハネアリみたいに小さい精霊ですってぇえっ!?」
「ぴゃああああっ!?」
「いやそんなこと言ってねぇからっ! おいやめろ火飛ばすなっ! 熱いっ!」
「っていうか今の話からアリなんてどっから出てきたの!?」
直後、フレイアの怒声を合図に、室内が阿鼻叫喚の灼熱地獄へと変貌を遂げる。
飛び交う火球の威力は健在だった。むしろ増しているのではなかろうかと思うほど、狭い部屋の中を破壊しながら高速で跳ね回る。ケイたち三人は悲鳴をあげながら必死で逃げ回っていた。
そのとき、部屋の外からどたどたと大きな足音が聞こえてきた。




