6-35 すれ違う手
「フレイア、まさか霊力を解放する気なの!?」
詰め寄るナオに、フレイアは静かに頷く。隠すつもりはないらしい。
フレイアほどの力を持った精霊ならば、その身に秘められた霊力は甚大だ。それが彼女の身体の内側で激しく渦巻いていた。
通常、霊力を炎として具現化させる際、必要な分だけ体外に放出しようとする流れが生まれる。スピリストが魔力を使う時も同様の手順を踏むため、しばしば『精霊とよく似た異能力者』と揶揄されるのだ。
しかし今はフレイアの持つ全てを、ありったけの霊力を外へと放たんとするように流れていた。
人間よりはよほど頑丈であるとはいえ、一度に大量の霊力を失えば精霊の身体は弾け飛ぶ。
最期の時が訪れた精霊のように残った霊力を吐きだし、辺りを破壊しながら消え去るだろう。
「そんな! だめだよ、そんなことしたらキミは死ぬんだよっ!?」
「いいの、アタシはここまでよ。どうしてかしらね、それでいいって思えるのよ」
フレイアの周りに炎が渦巻く。
吊り上げていた眉をほんの少しだけ下げると、彼女はふと空の向こう、激しく揺れている火山島に目を向けた。
「前の噴火の時に生まれてから二百年以上経つけれど、覚えている限り、アタシはこの町に執着してきたわ。不思議ね、まるで生まれる前から知ってたみたい」
「フレイア、それはきっと、キミは本当に……」
何かを言いかけたナオを遮るように、フレイアは振り向く。
「アタシにだって願いがあったわ。けれどどうせ精霊でいる以上それは叶わない。他に大事なものがあるのなら、アタシはそっちを選ぶわ!」
「そんな、フレ……」
「しゃしゃり出てきたのなら腹くくりなさいな、ナオ!」
一喝すると、フレイアの纏う炎がいっそう大きくなる。
フレイアの強い瞳に、ナオはもう何も言えなかった。今のナオに、上位の同属性の精霊を退けるだけの力はない。
唇を噛みしめながら、迸る霊力に髪を大きく靡かせたフレイアをじっと見つめる。
「……ずるいよ。今名前を呼ぶなんて」
そうひとりごちても、指先から抜け出る魔力は止まらない。
炎の色が白に近付いていく。二人の周りを凄まじい熱が渦巻いて、全てを燃やし尽くしてしまいそうだった。
フレイアはその手に炎を集めると空を振り仰ぐ。
閃光のように飛び上がると、まさにその灼熱の腕をヒイロにのばそうとしていた火山の精霊に向かって、思い切り炎を投げつけた。
「ヒイロに触んじゃないわよ、クソ親父!」
炎は一直線に飛び、精霊の腕に命中した。形を持たない炎が衝突したとは思えないほど鈍い音があがると、精霊の腕は弾かれて空に踊った。
「効かない!?」
「あれは火山そのものよ。アンタとアタシ程度の力じゃそりゃ限界はあるわよ」
目を剥くナオに、フレイアは舌打ちしつつも冷静に返した。
「――なぜ邪魔をする、フレイア」
精霊の呻くような低い声が辺りに響きわたる。その口調は静かだが、明らかに怒気を孕んでいた。
遅れて火の玉たちも高い声で喚きだす。口々に非難しているようだが、フレイアは無視を決め込んだ。
フレイアはナオの隣に舞い戻ると、再び彼女の手に触れた。
「あいつをこの町から避けられるならそれでいい。アンタの魔力だって全部は使わないわ。危なくなる前に自分の身を守りなさい、アンタの足なら逃げられるでしょ」
ナオからまた魔力を吸い上げながらも、フレイアは精霊から目を離さない。
――だからヒイロを連れていって。
小声でそう付け足したフレイアに、ナオは顔をくしゃくしゃに歪めた。
「フレイア……!」
「死なせはしないわ、ヒイロ!」
言うと、フレイアはナオの手を離した。ナオはその場に膝を着きそうによろめいたが、どうにか堪えて足に魔力を込める。
「く……っ」
呻き声とともに、ナオの足に炎の輪が煌めいた。残った魔力を全身から掻き集めて、ナオはヒイロを見やる。
ナオがヒイロの背中を捉えた瞬間、ヒイロは何かに気付いたかのように肩を震わせる。
直後、ヒイロは僅かに振り向いた。
「えっ……!?」
ナオの口から小さな声が漏れる。
ほんの少し、肩越しに振り向いたヒイロの頬に輝くものが見えたのだ。
火の玉たちに怪しく照らされた彼女は、涙を流していた。
「ヒイロちゃん……? 意識がある!」
「えっ!?」
ナオの声に、今にも飛び上がろうとしていたフレイアは動きを止めた。
遅れて、フレイアはヒイロに目を向ける。虚ろな目だったが、確かに視線が交錯した。
「フレイア、ヒイロちゃんに呼びかけて! まだ諦めるのは早いよっ」
降り注ぐ炎や轟音をもろともせず、ナオが声を張り上げる。
ヒイロを見たまま動きを止めていたフレイアは、それに大きく頷いた。
火山の精霊が迫って来る。
町を、空を、そしてヒイロを今にも覆い尽くそうと、その巨大な腕を広げて。
想いも、祈りも、怒りも、願いも、全てを炎に込める。
両の拳を握りしめ、小さな身体を前傾に縮めて、フレイアは力いっぱい叫んだ。
「ヒイローーッ!」
辺りに広がっていた霊力が軋んだ。
その時、ヒイロはついに目を大きく見開いた。
「ヒイロ、アタシだってアンタがうらやましかった!」
髪を振り乱して叫ぶと、フレイアは翼を広げる。
肩を弾ませながら羽ばたくと、ヒイロに向かってゆっくりと近付いていく。
それに合わせて、ヒイロはふらつきながら踵を返すとフレイアと向かい合う。
その瞳は迷いなく、フレイアを見つめていた。
「精霊ってのはね、生まれた場所から離れることができないの。だから、アタシから見れば翼を持たないアンタの方がよっぽど自由なのよ。アンタには自由に動く足がある。その気になればこの町の外に、どこにだって行くことができるのよ!」
ヒイロの周りの火の玉たちが震えながら、ヒイロから離れていく。
背後に広がる真っ赤な精霊は、まるで時が止まったかのように動かないでいた。
ヒイロが小さな手をもたげた。
差し出されたフレイアの手を、懸命に取ろうとして。
「……ふれ、いあ……」
「アタシには人間のことは良く分からない。だけど、アンタには生きててほしい。生きて……生きて、いつかこれでよかったって思えるようにっ!」
フレイアは翼に力を込める。
ヒイロは火の玉たちを払いのけると駆け出した。
「フレイアッ!」
涙が混ざったヒイロの声がこだまする。
懸命に駆け寄ってくるヒイロを見て、フレイアは優しく微笑んだ。
迎えるように両手を真横に広げると、フレイアはしかしヒイロの真横をすり抜けて飛び上がる。
「――さよならよ、ヒイロ。元気でいてね」
ヒイロが驚愕の目をしながらたたらを踏み、そのまま地面に倒れ込む。ナオは息を呑むが、すぐにヒイロに駆け寄って彼女を抱え上げた。
「フレイアッ!」
ヒイロが叫ぶよりも早く、ナオは地面を強く蹴って跳躍し、その場を離れようとする。
のばした手の間から見えたフレイアは、まさに今町へ降り立とうとしていた火山の精霊へと正面から突っ込んでいった。
フレイアの後姿が、精霊の巨躯の真ん中にぶつかると同時に見えなくなる。
直後、白い閃光が精霊の身体から溢れ出し、大爆発を起こした。
爆風とともに空は弾け、精霊は火の玉たちももろとも消え去っていく。
「きゃあああっ!」
ナオとともに吹き飛ばされたヒイロは、悲鳴をあげながら地面を転がった。
ナオに庇われたおかげで、ようやく身体は止まる。仰向けに倒れ込んだ瞬間、雲間から顔を出した青い空が目に映った。
――フレイアが大好きな空だ。
「フレ……イア……」
大切な、ただ一人の友達の名をそっと呟く。それを最後に、ヒイロは意識を失った。




