6-34 キミたちの力になりたい
「…………!?」
フレイアの身体が突如としてスピードを失い、次いで柔らかい何かに受け止められた。
重力に従い、何かにぺたんと座り込む形で体勢が安定する。足やお尻に触れた温かさに気付くと、フレイアは驚愕の表情で振り仰いだ。
「フレイア、だいじょうぶ?」
「……な……!?」
高い、優しい声音が降り注ぐ。
フレイアを見下ろしていたのは、火を操る能力を持った人間の少女。ナオだった。
「キミは優しいね。ヒイロちゃんが言った通りだよ」
目を白黒させ、うまく言葉が紡げないフレイアに、ナオはそっと顔を綻ばせた。
「え、ちょ……!? なんでここに!?」
フレイアは狼狽えながら立ち上がろうとして、足場の悪さに思わず尻もちをつく。見ると、フレイアを包み込んでいたのはナオの両手だった。
「アンタ……アタシを助けたの? なんで……」
フレイアは羽ばたきながら掌を蹴り、ナオの顔の前まで上昇する。真っ直ぐに向かい合ったナオは、優しい笑みを浮かべていた。
「さっきの話、聞いていたの。私もヒイロちゃんを精霊になんかさせたくない」
ナオはフレイアに向かって手を差し出す。
「私、キミたちの力になりたい」
ナオの瞳が力強い輝きを放つ。反対に、フレイアはあまりのことに口を開けたままだった。
地震とともに、二人の近くにも次々と火の粉や噴石が降り注ぐ。その衝撃音に、フレイアはようやく我に返った。
「バ、バカなこと言ってないで逃げなさい! あいつはアタシの身内。これはアタシたち精霊の問題よっ」
「違うよ、だってヒイロちゃんは人間だもん。それにキミは、ヒイロちゃんの友達でしょ?」
フレイアは空に広がる精霊を指差すが、ナオは首を横に振る。
火の玉たちに守られているが、今にも炎に包まれて消えてしまいそうなヒイロの後姿を見て、ナオはきっと目を吊り上げた。
「まだ諦めたくない。この町も、キミも、ヒイロちゃんも」
「ああもう、アタシの相手にすらならなかったくせに身の程知らずもいいとこよ。アンタみたいなのに頼る必要はないわ! っていうかアンタに何の得があるっていうのっ」
「私ね、さっき答えられなかったんだ。ヒイロちゃんたち『色違い』はどうして政府に連れていかれるのって。何も悪いことしてないのに、って」
「連れて、いかれる……?」
静かなナオの言葉を反復しつつ、フレイアは思い出す。
先にナオと衝突したとき、確かに聞いたのだ。
ヒイロは初等学校を出たらすぐに町を出る。
政府に召集されるのだ、と。
その時火山の異変を感じ、その場を離れたせいで最後まで聞かなかった。いや、思わず逃げてしまったのだ。悪い予感と、胸に抱えていた希望を押しつぶされそうな不安から。
フレイアは俯くと、唇を小刻みに震わせる。霊力はずっと燃え上がっているのに、身体の芯から冷え切ってしまったかのようだった。
「私にはね、叶えたいことがふたつあるの。行方不明のお父さんを探しだすことと、幼なじみたちを取り戻すこと。だからスピリストになった」
ナオはフレイアの髪に、指先でそっと触れた。
フレイアの視界に、火の色を映して赤く輝く石が大きく映る。左手首から湧き出るナオの魔力が、陽炎のように揺らめいて見えた。
「私はいざというときいつも何もできなかった。お父さんがいなくなった日も、遠ざかっていく背中を見つめたまま泣いて縋れなかった。一年前、私たちの仲間が政府に連れて行かれたときも、ただ無力だった」
「仲間?」
「うん。とても大切な友達で、家族みたいな私たちの仲間だよ」
ナオは笑う。
燃え盛る魔力とは裏腹に、今にも泣きそうな、儚く切ない笑顔で。
「ケイとハルト、そして私。私たちは同じ町で育った同い年の幼なじみなんだけどね、実は他にもう三人いるの。スゥ……男の子がひとりと女の子がふたり。三人は皆色違いだった。学校を卒業した十二才の時から戦力になることを政府に強要されて、今もきっとどこかで戦っているはず」
「強要って、じゃあ、まさかヒイロも色違いだから……?」
ナオは小さく頷いた。それを見て、フレイアは翼を動かすことさえ忘れて墜落しそうになった。
宙でよろめくフレイアに手をのばしながらも、ナオは静かな声で続ける。
「色違いはね、他人よりほんの少しだけ強い魔力を持って生まれた人間なの。だからスピリストになって魔力に目覚めたとき、普通の人よりも強い能力を持つことが多い。きっとヒイロちゃんは将来とても優秀な『火』のスピリストになると思う」
「そんな、それだけのために……あの子は……」
フレイアは両手で頭を抱えた。先ほど精霊に薙ぎ払われたときよりも強い衝撃が頭の中で何度も反響しているかのようで、音が遠ざかる。
同時に、フレイアはようやく理解した。
ヒイロとこの場所で初めて出会ったとき、町の人間たちとは違う何かを確かに感じた。そして無意識に強い関心を抱いたのだ。それはつまり、フレイアもまたヒイロが生まれ持った『火』の魔力に惹かれていたということだ。
「色違いは人間だよ。ほんの少し、魔力という個性を持って生まれただけ」
ゆっくりと、噛みしめるようにしてナオは言う。
言いつつも、色違いの僅かな魔力が精霊を惹きつけることがある現実を目の当たりにして、絶望を感じていた。
色違いでないナオは、自ら望んでスピリストになった。
三ヶ月前、いなくなった幼なじみたちを追うようにして、ケイとハルトとともに政府へ赴いたのだ。
多くのものと引き替えに得た精霊石は手にした瞬間真っ赤に輝き、決して外れることのない手枷として、ナオの左手首に縫いつけられた。
そのとき、ナオは誓ったのだ。
もう無力な自分を言い訳にして、逃げないと。
いつか必ず、願いを叶えるために能力を使い続けるのだと。
そうして残された二人の仲間とともに、もう後戻りはしないと手を取り合い、故郷の町を離れたのだ。
もし今答えが見つけられないのなら、見つけるまで探し続けるだけだ。
心の中を渦巻く悲しみや痛みを握りつぶすようにして、ナオは強く拳を突きだした。
「私の勝手な気持ちを押しつけるだけって分かってる。けど今は、ヒイロちゃんをこのままにして……見ていることしかできなかった自分でいたくない!」
ナオの手に炎が灯り、高く燃え上がる。
凛としたその瞳の輝きは、フレイアにとってはこの暗い空を突き抜けたかのように眩しく見えた気がした。
「……バカね、アンタもアタシも」
俯くと、フレイアは僅かに肩を震わせて呟いた。
笑みを含んだその口調に、ナオは目を見開く。
フレイアが翼を広げると、彼女もまた炎を纏う。
顔を上げた彼女は、不適に笑っていた。
「魔力を貸しなさい。アタシの霊力に少しでもアンタの力が混ざるなら、あいつも簡単に吸収することはできないはず。あとはアタシがあいつを吹き飛ばすわ」
フレイアもまた手をのばすと、小さな指先をナオの拳につけた。
触れた瞬間に感じたフレイアの霊力の動きに、ナオは彼女が何をしようとしたのか悟った。




