6-31 元凶
「……何か、あそこにいる」
精霊石の輝きが増すとともに、ハルトが低い声で呟く。
海の底から火山島、そして火口へと、巨大な霊力が次々と溢れるように流れている。
重力に反して盛り上がる溶岩は、明らかに自然の動きではない。それはどうやら、火口から一緒に吹き出した霊力に引き寄せられているように感じられる。
空を覆い尽くしながら、それはゆっくりと町へと近付いてきていた。
あの灼熱の津波に飲み込まれれば、町も人もひとたまりもないだろう。
押し寄せてくる霊力の波動。それを感じて、三人は息を呑む。
「……この霊力、やっぱりフレイアと似てる。いや、ほとんど同じだ」
「ええ。おそらく火山そのものと言える強い精霊がもともと存在していたんでしょう」
ひとりごちたハルトに、女性職員はすぐさま答えた。
「フレイアは前回の噴火の際、近隣で死亡した少女がその精霊に取り込まれ、眷属として生まれたと考えられます。火の玉たちはもっと弱い、自我もほとんど持たない霊力の切れ端のようなものなのでしょう。つまり、元を辿れば皆同じ精霊ということ。放っておいても被害が拡大するだけです」
「なら、ヒイロはどうする。このままにしておくのか」
ナオの抱えるぬいぐるみを見やり、ケイが言う。それに女性職員は一転、嘲るような笑みを浮かべた。
「ああ、あの『色違い』ですか。確かに逸材ですが、あなた方の話を聞く限り、彼女こそこの状況の元凶ですよ」
「どういうことだ?」
ケイの口調が気色ばむ。女性職員はそれを心底理解できないと言わんばかりに肩をすくめた。
「色違いとは僅かながら他の人間より強い魔力を生まれ持った人種のことです。だから身体の一部に異端が生じるのです。スピリストにならない限り魔力を操ることはできませんが、彼女はおそらく『火』属性の魔力を生まれ持っているのでしょう。それも強力な」
「…………っ!」
ナオは何かに気付いて口を手で覆った。それを見て、女性職員は小さく頷く。
「そうです。だからフレイアも含め、火の玉たちは無意識に彼女の魔力に引き寄せられているのだと考えられます。種族を超越し、魔力霊力で繋がり合う、まさに精霊の生まれ変わりなどと揶揄される色違いそのものではありませんか」
言うと、女性職員は背後に立つ他の職員たちに目配せをする。職員たちは踵を返すと、それぞれ足早に立ち去っていった。のんびりと話をしている時間はないということだ。
「政府としても今彼女を失うことはなるべくなら避けたいところでしょう。しかし、状況によっては保証できません」
「そんな!」
ナオは女性職員に詰め寄ろうと足を踏み出したが、それは腕を掴んだケイによって阻まれた。
振り向いたナオに、ケイは静かに首を横に振る。
スピリストはただの戦力だ。
わきまえろ、と彼の目が言外に告げていた。
最後に残った女性職員もまた、ケイたちに背を向ける。手にしていた携帯電話で電話をかけると、他の職員たちに指示をしているようだった。
空から小さな石が風に煽られながら落ちてきて、ナオの足下に転がる。細かい火山灰が肺腑の奥に滑り込んだ気がして、ナオは涙を浮かべて噎せ込んだ。
地鳴りが響く。
赤く光る溶岩や噴石の塊は、まるで粘性生物のように蠢きながら火口から滑り出してくる。不自然に空へと広がり、ゆっくりと、しかし確実に町へ向かっている。
その動きはまるで何かを優しく抱きしめようとしているかのようにさえ思えて、ナオは眉をひそめた。
今や火山島から町の全体まで。身を焦がすかのような強力な霊力が溢れ、包み込んでいる状態だった。
握りしめられていたナオの拳に、また無意識に生み出してしまった炎が灯る。それを制御すると、ナオは火山を睨みつけ、顔を上げた。
「……ヒイロちゃん、ずっとひとりで悲しい想いをしてきたのに。こんなのひどい、ひどすぎるよ!」
言うと、ナオは飛び出そうとして強く地を蹴った。すんでのところでケイは彼女の腕を掴む手に力を込める。
「ナオ、待つんだ!」
「ケイ、ハルト。ごめんね。私、このままにしておきたくないよ」
振り返ったナオの髪がふわりとはためく。彼女の腕が熱を帯び、ケイは熱さに顔をしかめたが、それでも彼女を離さない。
腕の高熱にケイの手から煙が上がる。彼の能力で相殺しているのだろうが、それでも火傷は免れないだろう。ナオは悲しげに眉を寄せた。
「ケイお願い、私を行かせて……」
「ナオ、気持ちは分かる。けどいい加減にしろ、許可がないのならお前がしようとしていることはただの違反だ。それに今のお前はいつも以上に火加減ができていないだろ」
ナオを諫めたのはハルトだった。その静かな声音に、ナオは声を詰まらせて発動を解く。
彼の言う通りだ。ナオが今やろうとしていることは『裏切り者』と変わらない、政府への反逆とも取られかねない。
ナオはヒイロのぬいぐるみを握る手に力を込める。ぼろぼろのぬいぐるみが押しつぶされて大きく歪んだ。
「…………」
三人をじっと見つめていた女性職員は、わざとらしくため息を吐いた。
三人が女性職員を振り返る。目に映った彼女はあくまで無表情を崩さないが、少しだけ声音を和らげ、静かに言った。
「……こちらに呼んだ『水』のスピリストが到着するまで。それまでであればぜひこの町と、ヒイロを守ってください」
思わぬ言葉だった。それを理解するのに数秒、口を開けたまま固まったナオだったが、やがて大きく頷いた。
「……ありがとう!」
「は……?」
反対に戸惑ったのはケイとハルトだった。ケイは思わず握ったままだったナオの腕から手を離した。
「おい、あんたなんで……!」
「幸い近くにいるとのことで、『水』のスピリストはもう間もなく来るはずです。それに『火』なら自分の身を守ることはできるはず。そちらの二人は許可できませんが、私も戦力を無駄に失うようなことは言いません」
報告は必ずするように。
それだけを言い残して、女性職員は足早に立ち去って行った。
ナオはケイとハルトを見ると、持っていたぬいぐるみを遠慮がちに差し出す。
ケイとハルトは納得のいかないといった顔を見合わせるが、ハルトがぬいぐるみを受け取った。代わりにナオに何かを差し出す。
「……携帯はお前が持ってろ」
「ありがとう、二人は町を守っていて!」
ナオは携帯電話を受け取ると踵を返す。魔力があふれ出すとともに、足首に炎の輪がかけられると、彼女は跳躍した。




