6-28 思い出の場所
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豊かな地下資源と温泉に恵まれ、観光地としても有名な火山の町『クレナ』は今、最大級の混乱に陥っていた。
度重なる地鳴りと地震、さらに突如として流星のように降り注ぐ火の玉に逃げ惑っていた人々は足を止め、時間が止まったかのように一点を見つめて立ち尽くしていた。
彼らが見つめる先。それは、海に浮かぶ火山島だ。
その先端からは黒煙が吹き出し、時折赤いものが見え隠れする。何か大きな塊を軽々と天高く打ち上げて、それは海に着水し白い飛沫をあげた。
上空がどんどん暗くなっていく。突如現れた分厚い雲が、真昼の太陽光を遮ったかのようだ。
「火山が……噴火した!?」
誰かの茫然とした声が静寂を裂く。お互いに青い顔を見合わせると、まるで他人事のような棒読みが漏れた。
「まさか。そんな、ありえない……」
「いいえ、ありえるわっ」
甲高い女の声が上空から降り注ぐ。人々が顔を上げると、真っ直ぐに降下してくる既知の精霊の姿があった。
「フ、フレイア!?」
人々がいっそうざわめきだす。彼らの前に降り立ったフレイアの表情は、明らかな焦りの色を映している。
「いいから、アンタたちもみんな逃げなさい!」
「フレイア、一体これはどういうことなんだっ」
ひっくり返った男の声が飛んでくる。フレイアの切羽詰まった様子も、人々の不安をさらに掻きたてていた。
「火山が活動しはじめた。さっきの火の玉もぜんぶ火山から吹き出して飛んでいったのよ!」
「なんでそんなこと……あの火山が噴火なんて……」
「アタシに言われても分かんないわよ! いいから今すぐ町から離れなさい、危険だわ! 走らず、落ち着いて手で頭を守るのよ。こんな時に指揮もとれないほど、アンタたちはひ弱なの!?」
有無を言わさず、フレイアは腕を一閃して叫ぶ。火山の精霊である彼女がここまではっきりと言ったからか、人々は戸惑いながらも列をなして進み始める。
フレイアを追いかけてきたハルトは、彼女を見て思わずため息を漏らした。少々強引に見えるが、町の人々は素直に従った。長年に渡り町と信頼関係を築いてきた彼女にしかできないことだろう。
短剣を手に持って辺りを警戒しているハルトに気付くと、フレイアは翼を広げて上昇した。火の玉は大方片付けたが、さらなる襲撃がないとも限らない。
その時、斜め下を通り抜けようとした一人の男が不意に足を止めると彼女を見上げた。醜く歪められたその顔から、低い声が漏れた。
「……お前、やっぱりヒイロとは何か……」
「うるっさいわね! 何かって何よ、そんなバカなこと考えてる暇があるなら町にいる人間集めて誘導でもしたらどうなのっ」
間髪入れず、フレイアは目を大きく見開いて叫んだ。ばたばたと忙しなく動いた翼から火の粉が散り、男は引き攣った悲鳴を上げて腕で顔を庇う。
「ヒイロの何が違うのか知らないけど、精霊から見りゃ皆どうしようもなく弱い人間でしかないのよ! っていうか火山がおかしいのくらい見りゃ分かるでしょ! あれから逃げられる足も翼もないくせに、手遅れになる前にとっとと逃げなさいなっ」
「ひ、ひぃええっ!」
まさに烈火のようなフレイアの剣幕に、男は両手で頭を抱えて走り去って行った。
「…………」
男の後ろ姿を、ハルトは悲しげに見送っていた。
ハルトは火山を顧みる。突風が吹き荒れるとともに、小さな石が飛んできて彼の頬を叩く。
鋭い痛みに顔を顰めたハルトはふと、嫌な気配を感じて目を見開いた。
熱いのに、背筋が凍り付くような気配だ。
きょろきょろと視線をさまよわせて探る。やがて一方向へ振り向くと、ハルトは目を細めた。
初等学校の方だ。またか、と呟くと、ハルトは表情に焦りを滲ませる。
降り注ぐ火の玉が落ち着いたため、つい先ほどケイが初等学校に向かって行った。携帯電話は彼に預けたので状況は分からないが、いずれにせよヒイロも避難させなければならない。政府支部にはケイが報告を入れた上、一旦ヒイロを預けることになるだろう。
「――フレイア、何かあっちの方から強い魔力を感じる。初等学校の方だ」
「え?」
ハルトの声にフレイアも初等学校を振り向く。
フレイアも本心では初等学校に向かいたかったに違いない。だが、そうすればさらなる混乱をもたらすことは明らかで、ヒイロを追い込むことにもなりかねなかった。
「ヒイロ……!」
言うと、フレイアの髪がはためいた。彼女の霊力がより高まったのを感じて、ハルトは彼女を振り仰ぐ。
フレイアはさらに高度を上げると、やや遠くに見える校舎をじっと見つめる。
「火の玉? なにか、動いてる……」
強い霊力の塊が、校舎の近くを移動している。校舎を通り抜けて、向かう先は。
「あの、岬の方……?」
フレイアは目を凝らす。
校舎裏の木々に囲まれた細道を、ゆったりとした速度で移動していた。例えるならばちょうど、子供が歩いているくらいの速さだ。
「まさか……」
海を望む、フレイアのお気に入りの場所。
ヒイロとフレイアにとって大切な、出会いの場所。
そこに現れたのは、真っ赤な髪を揺らした一人の少女だった。
「ヒイロ……?」
フレイアの俯瞰の視界に映ったヒイロの表情は見えない。しかし、いくつもの火の玉を従えながらふらふらとした足取りで歩く彼女に、フレイアは息を呑んだ。
「な、何をしてるの……!? ねぇちょっと、ヒイロ!」
フレイアは手をのばして叫ぶ。小さな手は空を切るだけで、彼女の声はヒイロに届かない。
「どうしたんだ、フレイア! ヒイロがいたのか!?」
ハルトの声に、フレイアははっと我に返る。彼女は眉をつり上げると、剣を構えているハルトに向かって声を張り上げた。
「……ヒイロが、火の玉たちと一緒にあの岬にいる。あのスピリストは一体何してたのよっ!」
「ナオ、ケイ……!」
ハルトは低い声で唸ると、剣を握る手に力を込める。状況が分からないことがひどくもどかしい。
その時、また強い地震が辺りに襲いかかった。
「うわっ!」
バランスを保てず、ハルトは地面を転がる。身体を起こすと、暗い雲のようなものが空を浸食しているのが見えた。
「火山が……! やばい、ここも危険だ!」
火山から吹き出した噴石や火砕流は、すぐに周辺に溢れ出し襲いかかるだろう。
それに気付いたらしい人々の悲鳴があがる。
「早く逃げろ、振り返るな!」
跳ね起きると、ハルトは舌打ちを隠して大声をあげ、人々を誘導した。




