6-27 それがきみの願いなら
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ナオにヒイロを連れてくるように告げると、ケイは一足先にヒイロの部屋を飛び出して行った。
降り注ぐ火の玉の数が減ってきたのと、フレイアが加わったおかげで戦力が増したことで、ケイは初等学校に駆けつけることができたのだという。
もっとも、すでにナオが対処を終えていたが、多くの火の玉がやはり初等学校に、そしてヒイロの元に向かっていたのは事実だった。集まっていた教師たちにも逃げるように指示すると、ケイは政府支部へと連絡した。
そして今、ヒイロの手を、ナオは半ば引きずる形で歩いていた。
町の混乱を避ける意味でも、彼女を守る意味でも、彼女は一旦支部の職員に預けてから避難させることになった。そこからひとまず隣町の支部へ預けられることになるとのことだった。
支部の職員たちとて、自分たちの身を守るための行動を取るはず。それに何より、町の一般人よりも『色違い』であるヒイロを見捨てることはない。
彼女は政府にとっては、後に大きな戦力となる大切な人材なのだから。
「――ねぇお姉さん。色違いって何なのかな。何でこんな目に遭わなきゃいけなかったのかな。私も、きっと他の色違いの人も、何も悪いことしてないよ? 知ってるなら教えてよ。助けてよ」
ぼろぼろのぬいぐるみを抱えて、ヒイロは虚ろな目をして言う。
独り言のような、抑揚のない小さな声だった。
ナオは何も言えない。振り返ることもできず、ただ足を交互に前に動かしながら唇を噛みしめた。
代わりに涙が溢れそうになったが、ヒイロの前で泣くべきではないと堪えていた。
「両親は私をおじいちゃんに預けて音信不通。この町で漁師をしていたおじいちゃんは私にとても優しくしてくれたけど、嵐の日に漁に出てそのまま行方不明になっちゃった。町の人には私が見殺しにしたって言われたけど、できるなら私だってもっと一緒にいたかった」
ヒイロの声が震えている。ナオはそれでも振り返らない。先に支部の職員たちと合流し、彼らや町を守るために戦っているであろうケイの元へ、急いで歩く。
「もうこの町にはいられないのかな。おじいちゃんのお墓があるから離れたくなかったけど、ほんの少し早くなるだけだからあまり変わらないのかもしれない」
ヒイロも相槌は待たない。彼女の手を握る手に、ナオはぎゅっと力を込めた。
ヒイロはナオに連れられることには逆らわない。俊足のナオならばヒイロを担いで走ることも容易だが、心に渦巻く何かの感情が、ナオにそれをさせないでいた。
「だって私は学校を卒業したらすぐ政府へ行くの。そしてスピリストにならなきゃいけない、それが色違いの決まりだからって。ただそれだけで、私の生き方は決められているの」
ヒイロの声が僅かに大きくなる。そして耳元で直接囁かれるように、すっと冷え切った。
「お姉さんはどうして? どうしてスピリストになったの? お姉さんは私と違って、将来だって選べたでしょ」
「……それは」
明らかな問いかけに、ナオはついに振り返った。
目に映ったヒイロはひどく無表情だった。ナオは観念したかのように瞑目すると足を止めた。
ヒイロの瞳を真っ直ぐ見つめる。細い息をひとつ吐くと、ナオは口を開いた。
「会いたい人がいるの」
「会いたい人? だあれ?」
間髪入れず反復し首を傾げたヒイロに、ナオはしばし口籠る。視線を泳がせようとしても、ヒイロはそれを許さない。
「……私たちの仲間と……お父さん。行方不明になってる、私のお父さん……」
ナオよりも頭一つ分背の低いヒイロにじっと見上げられる。瞬きもしない彼女の瞳に、戸惑うナオの顔が鮮明に映し出された。
「……五年前に、突然出て行っちゃったんだ。『政府に行ってくる』って、そう言い残したまま」
「お父さんを探しているの? 探せば見つかるの?」
「うん、きっと。それがお母さんとの約束だから」
ナオは悲しげに笑う。それを見て、ヒイロは少しだけ目を丸くする。
「いいなぁ。私はもう、会いたい人には会えないから」
言うと、ヒイロはそっと目を細めた。そっと綻んだ口元に向かって、涙が一つ伝う。
ヒイロはナオから目を逸らすと、ふと空を見上げた。彼女の視線を追ったナオの視界いっぱいに、快晴の空が映し出される。
「こんな世界から飛んでどこかにいけたらって何度も思ったけど、私に翼はないの。だからフレイアを初めて見た時、とても綺麗で、自由に飛べることがうらやましかった。気付いたらフレイアにそんなことを言っていたわ。けどフレイアはどうしてかな、少し悲しそうな顔をしてた」
再び聞こえてきた静かな声に、ナオはまた視線を落とす。ヒイロは空を見上げたまま、悲しげに眉を下げていた。
「フレイアは私とお友達になってくれたの。私のたった一人のお友達。時々学校裏のあの場所に会いに来てくれて、お話してくれた。私はそれが嬉しかった」
「……ヒイロちゃん、フレイアは、フレイアだって……」
「フレイアは優しい精霊よ。私のように泣いてる人を見たら声だってかけてくれる。小さい子を見たら一緒に遊んであげて、何もなかったようにあの島に帰っていくの。この町で一番嫌われているのは、精霊じゃなくて私なのよ」
ヒイロの瞳に影が差す。ナオの上擦った声など、彼女には届いていない。
「……憎いわ。みんな、みんな」
ヒイロは唇を引き結ぶと、ゆっくりと顎を下げる。
その暗い瞳に、彼女にとっては見慣れた街並みが映し出される。
そして、ヒイロはそっと言葉を紡いだ。
「こんな町、いっそなくなってしまえばいいのに」
その言葉は、ひとかけらの氷のように冷たい響きだった。
ヒイロの瞳の奥に炎が揺らめいて見えた気がして、ナオは息を呑んだ。
「ヒイロちゃん、そんなこと……」
――口にしてはいけない。
ナオがそう言いかけたのを、突如として響いた地鳴りが掻き消した。
「また地震!? ヒイロちゃんっ」
この後に起こるであろう揺れを警戒し、ナオはヒイロを抱き寄せようと手をのばす。
しかしそれよりも早く、ナオの横を赤い何かが通り過ぎた。
「――火の玉!?」
それはどこから現れたのか、十近くもの火の玉だった。ナオが慌てて戦闘態勢を整えるよりも早く、火の玉たちはヒイロの周りに纏わりつく。
「ヒイロちゃん! ……え?」
ナオは火の玉を払うべく腕を振る。しかし、ふと振り向いたヒイロを見て、思わず動きを止めた。
泣き叫ぶことも、怖がる素振りさえ見せない。それどころか、ヒイロは両手を掲げ、火の玉たちを愛おしそうに見つめていた。
「……慰めてくれるの? そう、知らなかった。そのために来てくれたの……?」
火の玉たちはますます楽しげに、弾むように飛び回る。
火の玉たちから異様なほど強い霊力を感じて、ナオは言葉を失う。ヒイロが中心にいて、思うように攻撃ができない。
ヒイロは火の玉のひとつに躊躇なく触れる。しかしその手に火傷を負うことはなかった。
応えるように、火の玉は揺れる。それは他の火の玉たちにも連鎖していく。まるで輪唱するかのように。
そのとき、どこからか高い声が聞こえてきた。
はじめは笑い声。徐々にそれは言葉を織りなして、やがてはっきりと耳に届いた。
「――おはよう、ぼくの友達。それがきみの願いなら」
無邪気で、それでいて不気味な子供の声だった。
地鳴りが止む。
一瞬だけ冷たい静寂に包まれた後、とてつもない轟音とともに強い揺れが辺りを襲った。
「きゃああっ!」
鼓膜が破れそうな音と地震に、ナオはバランスを崩しそうになる。
それでも守らなければとヒイロに向けてのばした手を、ヒイロは冷たく払った。
「――じゃまをしないでよ、お姉さん」
「ヒイロちゃん!」
ナオを睨みつけると、ヒイロは踵を返す。
揺れる大地を軽く踏みつけながら、ヒイロは元来た道を引き返していく。
追いかけようとしたナオをあざ笑うかのように、ヒイロの小さな後姿は火の玉たちに包み込まれ、掻き消えた。
「そんな……」
茫然としてナオは呟く。空を切った手を胸の前で握りしめたとき、嫌な気配を感じてそちらに視線を滑らせる。
「え……?」
海の向こうに見えた景色に、ナオは今度こそその場に頽れた。
ヒイロの腕からこぼれたぬいぐるみが、風に力なく煽られて地面を転がった。




