6-26 きえたい
「だめ……ヒイロちゃん!」
ヒイロの名を呼んだのは無意識だった。
ようやく練り上げた火球を、空から落ちてこようとしていた残りの火の玉たちに八つ当たりのようにぶつけて破壊すると、ナオは跳躍する。
校舎を蹴り、火の玉を追って壊れた窓から滑り込む。それと同時に、甲高い悲鳴が下から聞こえてきた。
「――ヒイロちゃん!?」
幼い少女の声だった。この学生寮に住む生徒は少ない。おそらくヒイロで間違いないだろう。
床を打ち抜こうとしたところで、下に誰がいるか分からない。ナオは苛立ちを抑えながら廊下を駆け抜け、階段を飛び降りる。
一階の一番奥のヒイロの部屋。その扉の前に、いくつかの火の玉が何度もぶつかっている。
「させない!」
着地したナオはその勢いのまま床を強く蹴ると、一気に廊下を突き進む。逃げ場のない屋内では火の玉も逃さない。それを一瞬にして消し去ると、激しい摩擦音をあげてヒイロの部屋の前で立ち止まる。
火の玉が消えても、背筋を冷たく撫でられるような気配が消えていない。ナオは扉を強く叩いた。
「ヒイロちゃん、ヒイロちゃん!?」
「なに、どうしたのっ?」
そのとき、ヒイロの代わりのように廊下の向こう側から数人の声が聞こえてきた。ちらりと見やると、騒ぎを聞きつけたのか、教師たちが数人駆け寄って来ている。
その中には、ヒイロの担任の女性教師もいた。
「来ちゃだめっ!」
ナオは彼らに向かって叫ぶ。教師たちが恐怖の混じった顔を怪訝そうに歪めたとき、扉の奥でまた悲鳴と、何かが暴れるような音が聞こえてきた。
「ヒイロちゃん!? 何があったの!?」
ナオはまた扉を叩いて叫ぶが、悲鳴はいっそう大きくなる。
ナオは意を決すると一歩扉から離れた。
「ヒイロちゃん、ドアから離れてっ!」
短い助走をつけ、一撃で扉を蹴破る。真ん中からまっぷたつに割れたそれを踏み台にすると、ナオは飛び込んだ。
「ヒイロちゃんっ!」
「やあああっ! たすけてっ!」
ヒイロの泣きわめく声が耳をつんざく。
部屋の中では、ヒイロが三つの火の玉に纏わりつかれていた。見ると、彼女の奥に見えた窓が割れている。おそらく廊下にいた火の玉とは別に、あそこから侵入したのだろう。ガラスは無惨に砕け、室内に飛び散っている。
胸に収まるほどの大きさのぬいぐるみを守るように抱えて、ヒイロは狭い室内を必死に逃げまどっていた。
「きゃああ! 熱いっ、離れて!」
「ヒイロちゃん! この、えいっ」
ナオはヒイロを抱き寄せるように庇うと、手を振り回して火の玉を払う。しかしそれはくるくると踊りながら、磁石に引き寄せられるかのようにヒイロへと舞い戻る。
「ヒイロちゃんに近づかないで!」
言うと、ナオはヒイロを背に隠す。
しかし、この狭い室内で火球を扱うのは憚られた。ナオの火球は小さいものであっても攻撃力が高い。火加減を間違えればヒイロだけでなく、この建物にいる人にまで危害が及ぶ。
ナオは手を薄く覆うように火を纏う。振り上げられた細腕をすり抜けると、火の玉がナオの身体にぶつかった。
「熱っ!」
顔をしかめると、ナオは火の玉を払う。生身のヒイロに当たれば大火傷は避けられないだろう。
火の玉はそれぞれがヒイロに近付こうとするが、ナオに弾かれたりぶつかってはまた向かってくる。ヒイロはそのたびに、ぎゅっとぬいぐるみを抱いて震えていた。
何度かの攻防を経て、ナオは火の玉を全て打ち消す。ほっと息を吐こうとしたとき、今度は狂乱的な女の声が部屋に飛び込んできた。
「やっぱりお前のせいだったのね、ヒイロ!」
「えっ!?」
壊れた扉の方に目を向けると、先ほど制止したはずの教師たちが立ちはだかっていた。
ヒイロの担任の女性教師が息を弾ませながらヒイロを指さしている。その後ろにいた他の教師たちも、学生寮の生徒と思われる子供たちも、皆が同じ目を向けていた。
背後でヒイロがひゅっと喉を鳴らしたのが聞こえる。ナオは彼女の前で両手を広げた。
「そんな、何を言ってるんですか! ヒイロちゃんだって火の玉に襲われそうになってたんですよっ!?」
「襲われたんじゃない、そいつが手引きしたんだろう! その証拠に、ヒイロはきみと違って火傷一つ負っていないじゃないかっ」
男性教師がナオを指さし、さらに大きな声をあげる。
ナオの火傷は火の玉ではなくフレイアの攻撃によるものだ。しかしそんなことは知る由もない教師たちは口々にヒイロを罵り始めた。
「お前のせいだ! お前が色違いだからだっ! この町を……」
「やめてっ!」
ヒイロは耳を塞ぐ。大きく振り乱された緋色の髪に合わせて涙が散った。
「おねがい出てって! みんな出てってよ! 私の居場所を、奪わないでよ……」
「ヒイロちゃん!? 落ち着いて……」
振り向いたナオに目もくれず、ヒイロは手近にあった枕やクッションを教師たちに投げつける。
左手で抱きかかえられたままのぬいぐるみの手足が、彼女に合わせて激しく揺れた。
投げる物がなくなると同時に、ヒイロはナオに手を掴まれる。悲しげなナオの瞳に真っ直ぐ射抜かれて、ヒイロははっと目を見開いた。
教師たちは呆然と立ち尽くしている。
ヒイロの顔が大きく歪む。大粒の涙を零して、ヒイロは床に頽れた。
「もうきえたい……こんなところからはきえたいよ……」
ナオはしゃくりあげるヒイロの肩を抱きしめる。嗚咽混じりのその言葉に、ナオはただ腕に力を込めただけだった。
「ヒイロちゃん……」
「ナオ!」
その時、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
ナオは驚いて顔を上げる。扉を塞いでいた教師たちを押しのけて現れたのは、政府支部に向かったはずのケイだった。
「ケイ!?」
ナオはヒイロを抱えたまま目を瞬かせた。彼女の腕の隙間から、ヒイロがゆっくりと赤い瞳を覗かせる。
部屋に入って来たのはケイ一人だった。ハルトの姿はない。
怪訝そうなナオをひとまず無視すると、ケイはうずくまったままのヒイロの腕を掴んで立ち上がらせた。
「いや! 離してっ」
「ケイ、一体どうしたの!?」
途端に声を張り上げて抵抗するヒイロを見て、ナオはケイの肩を掴む。
ケイはヒイロから手を離さず、ナオを見て静かに言った。
「火山が噴火するかもしれない。急いで避難するんだ」




