6-25 大地の叫び
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大地を揺さぶる前触れの咆哮が、町中に響き渡る。
ナオは身を硬くすると、顎を上げて天井を見る。
「また地鳴りだ……すごい音」
呟くと、落ち着きのない様子で視線を彷徨わせる。
ヒイロの自室はこの学生寮の中で最も奥で、端の部屋だった。その扉の前でナオは一人、この後襲い来るであろう地震へ警戒を強める。
「怖い……なんだか誰かが叫んでいるみたい」
ナオは胸の前で手を握りしめる。不安と恐怖が心の中で渦巻くが、今は任務の最中だ。背後の扉の奥には、ナオよりもよほど非力なヒイロがいる。弱音を吐いている場合ではないと、ナオは唇を引き結ぶ。
その時、地面を突き上げるような強い揺れが建物を襲った。
「きゃあっ」
これまでで一番強く長い地震だった。
短い悲鳴を上げつつも、ヒイロの部屋の扉に手をついていたおかげで踏みとどまる。
ケイとハルトが政府支部へ向かうためこの場を離れて以後、ひときわ強い地震が立て続けに起きている。ナオは時折ひっくり返りそうになりながらもその場を動かないでいた。
じっと堪えていると、次第に揺れは収まっていく。ナオは強張る肩をようやく下げると、すぐに扉に向き直った。
「ヒイロちゃん、だいじょうぶ? 怖い?」
地震が起きるたび、ナオは扉をノックしながら控えめに声をかけた。しかし、部屋の主から返事が返ってくることは一度もなかった。
ナオはしょんぼりと眉を下げる。この部屋の前に待機すること数十分、時折衣擦れの音が聞こえてくるので部屋にいないわけではないらしいが、ヒイロが心を開いてくれる様子はない。
仕方なく、ナオはまた扉に背を向けると一歩離れた。部屋の前の通路には窓がある。そこから隣に建つ校舎や町の一部が見渡せた。
「え?」
ナオは窓に近付く。空の一部が、不自然に赤く見えた気がしたのだ。
夕暮れまでにはまだ数時間あるはずだ。
怪訝に思ったナオはさらに窓に貼りつこうとする。だが、ヒイロの部屋は一階だ。周囲の建物に阻まれ、空の様子が分かりにくい。
「――何? この気配……!」
代わりと言わんばかりに、ナオはただならぬ霊力を感じ取り眉を跳ね上げた。
それと同時に手首が淡く光ると、窓につけていたナオの指先に小さな火が生み出された。またしても無 意識に発動をしてしまったらしく、ナオは魔力を抑え込もうとする。
揺らめく火を見つめると、それは蝋燭の先の火のように揺れて簡単に消え去る。ナオの顔を斜め下から照らした光は消え去り、すぐに制御できたことにほっと眦を下げた。
「ふえ?」
ふと、今度は窓の外、上方から光が差したように見えて、ナオは顔を上げる。そして目に映った光景に、彼女は言葉を失った。
頭上に広がる、抜けるような青い空。
それを覆いつくさんばかりの勢いの、大量の火の玉が迫ってきていた。
「な、何これ……!?」
ナオは勢いよく窓を開けると身を乗り出す。生温い風が頬を叩いた。
飛び出す間もなく、まるで昼に現れた流れ星のように放物線を描き、ひとつの火の玉が初等学校の敷地内に落ちてくる。それが誰もいない場所でほっとしたのもつかの間、火の玉は突如として爆ぜた。
轟音をあげ、爆炎とともに土煙を巻き上げる。あまりの威力にナオは口を両手で覆ったが、すぐに発動し火球を手にする。
そのとき、またひとつ火の玉が落ちてくるのが見えた。ナオは左手を一閃すると火球を放つ。
「だめっ!」
甲高い声とともに、ナオの放った火球は空中で火の玉とぶつかって打ち消し合う。
ナオは窓に足をかけると、勢いよく外に飛び出した。
転がるようにしてから体勢を整えると空を睨みつける。そして、ナオは息を呑んだ。
「そんな……! こんなたくさんの火の玉、一体どうしてっ」
不気味に赤く彩られた空と強い霊力の気配に、本能が警鐘を鳴らす。しかし恐怖に負けて固まっている場合ではない。ナオは己を奮い立たせると、できる限りの火球を作り出して空へと投げつけた。
「きゃっ……!」
火球はそれぞれが正確に火の玉を狙い撃つと、花火のように火の粉を散らして消える。その衝撃に突風が生まれ、ナオは腕で目を庇う。視界の隅でまた火の玉が動いたのを捉えると、振り向きざまに新たな火球を放つ。
「くっ……! せめて学校だけでも私が守らなきゃ!」
遠くの方にも火の玉が落ちていくのが見えたが、今のナオには対応することは難しい。
ナオは頭上に降り注ぐ火の玉を睨みつけると、両足首に火の輪を纏う。
高い場所に移動する方がより迎撃しやすいと考えたナオは、建物の屋上へと跳躍するべく足に力を込める。しかしその直前、ナオは辺りを包むような強大な霊力が既知のものであると気づき、動きを止めた。
「……これ、フレイアの霊力? そんな……っ」
ナオは声を詰まらせる。
一度真正面からぶつかった霊力だ。能力を発動した今、残酷なほどにはっきりとわかる。
ヒイロに何と言えば良いのだろうかと、ナオは唇を噛む。
何かを振り払うかのようにして、ナオは手を上げると火球を生み出す。燃え上がるような瞳を大きく見開くと、ナオはまたそれを放った。
身体が芯まで熱い。奥から魔力がどんどん溢れてくる。この分だと、魔力切れの心配はまだないだろう。
魔力の消費が大きいぶん強力な火を操るナオにとっては、ずいぶんと好都合だった。彼女は今度こそ跳躍すると、次々と火を打ち消していく。
真下で何人かの女性や子供の悲鳴が聞こえる。見ると、騒ぎに気付いた教師やまだ親の迎えが来ていないらしい数人の子供たちが、校舎の窓から覗いていた。
「外に出ちゃだめっ!」
強い口調で叫ぶと、ナオは学生寮の壁を軽やかに伝い校舎の屋上へと飛び移った。
すでにかなりの火の玉を潰した。依然として赤く照らされる空には火の玉が迫ってきているが、ナオの反応速度ならば十分に対処できると判断する。
ナオは眉を吊り上げると、炎を纏って身構える。
赤い軌跡を描き、また一つ火の玉が落ちてくる。ナオは迷わずそれに火球を放った。しかし、火の玉は急にかくりと曲がり、火球をかわした。
「えっ!?」
火の玉は振り向くナオの頭上を通り抜ける。これまで真っ直ぐ落ちてくるだけだった火の玉が、急に動きを変えたのだ。
不自然に蛇行し、校舎の上を抜けて隣の建物へと落ちていこうとする。
火の玉が向かう先は学生寮だ。それに気付くと、ナオはさっと青ざめた。
「だ、だめっ!」
ナオは慌ててまた火球を放つ。しかし、火の玉はまるで目が付いているかのように無駄な動きをすることなくそれをかわした。
ナオは嫌な気配を後方に感じとり、勢いよく振り向く。彼女をあざ笑うかのように、さらにいくつかの火の玉が迫ってきていた。
「くっ……」
ナオは手を掲げる。しかし、攻撃が間に合わない。彼女の横を高速で通り過ぎると、火の玉たちは揃って宙で転回した。
ガラスが砕ける高い音が響く。火の玉たちは学生寮の窓をひとつ突き破ると、建物の中に入っていった。




