6-19 あざ笑う火
「そうでもないわよ、ヒイロ」
どこか儚げな笑みを浮かべて、フレイアは吐き捨てる。
翼があったとしても、精霊は決して空の向こうには飛んでいけない。
飛ぶことはできても、精霊である以上この火山島から離れることはできないのだ。
空の果てを見てみたい。どのような景色が広がっているのだろうか。
生まれてから記憶にある限り、フレイアもそう思い続けてきた。
自分で飛んで行けないならせめて、誰かがその答えを知っているのかもしれない。
そう思って、気づけば町へ足を運ぶようになっていたのだ。
答えはまだ、見つかっていない。
当たり前だ。翼すら持たない人間に、尋ねようとしたことさえないのだから。
「とんだ茶番ね……ん?」
ふと、手に熱を感じて、フレイアは自身の手を見る。
彼女の意志に反して、炎が指先にちらちらと踊っていた。
フレイアは怪訝そうに顔を歪めながら手を振ると、炎は一瞬で消え去る。
「変ね。なんだか霊力がどんどん溢れだしてくるみたい」
ここ数日の間、身体の奥がマグマのように沸き立っているように感じることがあった。燻っていた火がちりちりと燃え上がるようで、心までもがざわつく。
フレイアは手を掲げる。
その手の中に、瞬く間に巨大な火球が生み出される。空を真っ二つに割るようにして真上に放つと、火球は上空で爆発した。
降り注ぐ火の粉を見ながら、フレイアは目を眇める。
この程度の火球ならば、いくらでも打てそうだ。もともと高い霊力を持っていることを差し引いても、フレイア自身明らかに異常だと感じるほどだった。
同時に湧き上がってくる、炎のように苛烈な闘争心。
全てのものを燃やし尽くしたくなる衝動。
それらを必死に押し込めて、フレイアはこの数日ずっと耐えていたのだ。
あの『火』のスピリストの少女と対峙したときは、堪えきれず炎を放ってしまったけれど。
「……ちっ。ほんっと余計なことして引っ掻き回してくれたわね、あの小娘」
フレイアは舌打ちした。スピリストの少女を思い出すと、途端にふつふつと苛立ちがこみ上げてくる。
フレイアはまた火球を作り出すと、今度は数発空へと放つ。舞い散る紅い火の粉を浴びると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
真っ青の視界に、真っ赤な火が花弁のように踊る。風に掻き消されて、火は地に落ちる前に消えて見えなくなった。
フレイアの手を離れた火の粉。霊力による支配を解かれたそれが儚くも美しく消え去っていくさまを見て、フレイアは確信する。
あの町に出没する火の玉は、必ずそれを操る意思を持った何かが存在するはずだ。
スピリストの少女は火の玉がフレイアの持つ気配に似ていると言った。濡れ衣を着せられたことは腹立たしいが、フレイアの霊力の源、つまりこの火山島に何か関係があるとしか考えられない。
フレイアはだらりと腕を下げた。細長い息を吐いて、胸を上下させる。
「このアタシが操れない火なんてないのよ。なのになぜ、アタシの把握していない火の玉がうろうろしているっていうの」
目を鋭く吊り上げる。翼を広げて踵を浮かせると、フレイアは火口から飛び降りた。
地面すれすれのところで止まると、すぐに地面と平行に飛ぶ。
「ここはアタシの場所よ。もし火を操っている何かがいるのならいい度胸だわ。見つけだして始末してあげる」
言うと、フレイアは唇に弧を描く。
――燃え盛る炎のような衝動が収まらないのならば、まだ見ぬ何かにぜひとも相手をしてほしいものだ。
逸る心を抑えて、注意深く辺りを探ろうとする。
その時、それを遮るようにして、またしても低い地鳴りが聞こえ始めた。
地震だ。
揺れは確実に強く、そして間隔が短くなっている。
宙に浮いているフレイアも、上から崩れたものが降ってこないとも限らず動きを止める。
激しい揺れに、地面に亀裂が入った。飛び散る小石を避けると、フレイアは思わずそこへ近づく。
振動する地面。そこに稲妻状に走った亀裂は、まるで地面を引き裂くようだった。
この火山島の土地は、幾度も噴火を繰り返した火山から吐き出した火山灰が蓄積し、海の上に隆起したもの。幾重にも重なっているであろう地層を覗き込もうとしたとき、フレイアは息を呑んだ。
「な……!? 火が!?」
避けた地面の隙間から、赤く明るいものが見え隠れする。
それは地の下にひしめき合っている、無数の火の玉だった。光源などないはずの地中を赤く、不気味に照らし出している。
動揺のあまりフレイアが一瞬動きを止めたとき、火の玉は亀裂から次々と、まるでマグマのように噴き出してきた。
「きゃあっ!」
無数の火の玉が、フレイアの小さな身体に何度もぶつかっては通り過ぎていく。
風に煽られて飛び立つ綿毛のように、火の玉は一気に空へと放出された。
火山の上空を覆い尽くすほどに、いくつもの火の玉がふわふわと漂っている。
美しい青空は、一瞬にして不気味な夕焼け色へと変わっていた。
「なっ……ちょ、ちょっと待ちなさいな!」
追ってフレイアも飛び立つと、手近なところに火球を放つ。しかし数が多すぎる上に火の玉が火球を取り込み、さらに大きくなっただけだった。
奇しくもそれは、フレイアがスピリストの少女の操る火を奪った時と同じだ。同属性の魔力、霊力がぶつかったときはただ、単純に力の強い方が弱い方を圧倒する。
「そんな。アタシの火が奪われたなんて」
愕然としながら、フレイアは上擦った声をあげる。
彼女はこの島では唯一無二の、強力な炎を操る火山の精霊だったはずだ。少なくともフレイア自身はそう思っていた。それがあっさりと炎の支配を奪われ、翼をもがれて墜落したかのような衝撃を受ける。
そんな彼女をあざ笑うかのように、また地鳴りが響く。
「また……!? 一体どうなっているのよ、ねぇ!」
飛び交う火の玉を避けながら、フレイアは叫ぶ。応えるものはいない。
その代わりのように、地鳴りに混じって何か高い声が聞こえてきた。
「な、なに!? なんなの!?」
フレイアはもはや発狂しそうに頭を抱えた。
高い声は徐々に大きくなる。そして、幾重にも重なって赤い空に響き渡る。
あまりの音量に、耳が聞こえなくなりそうだった。
それは子供の笑い声のようだった。ひきつる喉を庇い、両手で口を覆ったとき、不意にぴたりと笑い声が止む。
突如として静まり返る島。とどめを刺すように、今度は地の底から響く低い声が聞こえてきた。
「――うぬぼれるな、フレイア」
地鳴りそのものが言葉を発したかのようだった。
直後、海が割れたかのような轟音が鳴り響く。
「きゃああ!」
ひときわ激しい揺れが火山島を襲うと同時に、漂っていた大量の火の玉はさらに上空へと舞い上がった。いくつもの火の玉がフレイアにぶつかり、たまらず悲鳴をあげる。
フレイアは必死で目を開けると空を振り仰ぐ。
火の玉は山頂、つまり火口の周りを円形に取り囲んで漂っている。フレイアが飛ぶ前に、それらは花火が弾けるようにして四方八方に飛び散った。
いくつもの小さな火の玉が、海の向こうへ消える。そしてその一部が向かった先を見て、フレイアは目を見開いた。
「まさか……」
茫然と呟きながらも、フレイアは動こうとしない己の翼を叱咤する。
火の玉は火山島から最も近い町。『クレナ』の町にも多数飛んでいった。
フレイアは唇を噛む。
「町が、危ない」
翼を大きく広げると、フレイアは島を飛び出した。
――せめてあの火の玉が、町に降り立つ前にたどり着けたら。
そんな祈りを込めながら、フレイアは全身の力を翼に送り、町へ向かった。




