6-17 魔力の属性
「ハルト、ヒイロちゃん! 教室にいないから探したんだよっ」
「およ?」
突然の来客に、ハルトは思わず気の抜けた声をあげる。
そちらを見ると、ぱたぱたと小走りで廊下を駆け抜けて近づいてくる影がふたつあった。
ケイとナオだ。そこでようやく、ハルトはそろそろ授業が終わる予定の時間だったことに気づく。
「やっほーケイナオ……ってナオどうしたの!?」
「うに?」
手をあげて駆け寄ってきたナオの姿を二度見すると、ハルトはぎょっと目を見開いた。
ケイは無事だが、何故かナオだけが全身に火傷を負っている。
にも関わらず、いつものように大きな目をぱちくりさせていたナオは、口を開けてナオを指さしながら固まっているハルトを見て、ようやく言わんとすることに気づいた。
「フレイアと戦ったの。ぜんぜん敵わなかったけど」
ナオはばつが悪そうに舌を出す。案の定、ハルトはさらに前のめりになる。
「なんでそんなことっ。最初に会った時から分かってただろ、あいつは強いよ。霊力が桁違いだ」
「でもだいぶ治ったよ。もうだいじょうぶ」
「そういう問題じゃ……」
呆れるハルトをよそに、ナオは両の拳を握ると何故かその場で一回転してみせた。腕や背中にも火傷の痕が残っているが、もうほとんど痛みは消えている。
最初は痛みもひどくケイを追いかけるのもやっとで、見かねたケイが彼女を担ごうとしたのだが、ナオは問題ないとそれを拒否した。事実、あの岬とほとんど目と鼻の先にあったこの初等学校に着くまでに、彼女の傷は大方回復してしまったのだ。
広範囲に渡る火傷の跡が、受けたダメージの大きさを物語っている。同時にスピリストの驚異的な回復力を目の当たりにし、ナオ本人も含め驚きを隠せないでいた。
「これだけの火傷で済んだのも、ある意味『火』だったからか……たぶん、オレやケイなら普通に焼け死んでそう」
「そうなのかな? けど、同じ火だとフレイアとの力の差がどうしようもなかったけど……」
ナオは己の左手首に無意識に触れると目を伏せる。赤い精霊石は火属性の証だ。魔力のぶつかり合いというものは、異なる属性ならばまだ扱いようによっては突破口が開けるかもしれないが、同属性の場合は単純な力関係がものを言う。概ね強い方が弱い方を圧倒して、それまでだ。
そこまで考えて、ナオは今更ながら胸の前で手を握りしめる。下手をすれば命を落としていたかもしれない。
フレイアの炎と対峙したとき、力の差などすぐに悟った。それならば、本来はすぐにでも全力で撤退することを考えるべきだったのだ。だが不思議と、フレイアに背を向けようとだけは考えなかった。
「…………」
とりつかれたように、ナオは左手首をじっと見つめる。ケイとハルトはそんな彼女を不思議そうに見ていた。
「ふえ?」
そのとき、ナオの精霊石がチカチカと輝き始めた。途端、小さな火が左の指先に次々と灯る。
「ぴゃっ、きゅわっ! な、なんで……」
突然の発動に、最も驚いていたのは当のナオだった。慌てて空いている右手で左手の火を叩いて消そうと試みるが、なかなかうまくいかない。
目の前でいきなり人体発火を始めたナオを見て、ヒイロが髪を逆立てている。そんな彼女を庇うように後ろへ押しやると、ハルトが呆れたように腕を組んだ。
「なにやってんのナオ。魔力の無駄遣いだよ」
「ち、違うの。私もわざとじゃなくてなんかおかしいんだ」
ナオは心外だと言わんばかりに首を横に振る。対して、ハルトの首の傾く角度も大きくなっていく。
「おかしい? 変な声出すのはいつものことじゃ?」
「もう、ちがうもん! 私変な声なんて出さないもんっ」
「ぴゃーとかきょぴえーとか言ってるじゃん」
「言ってないもんっ」
「やめろ話進まねぇ。ナオ、おかしいってどういうことだ」
校舎内でぎゃあぎゃあと騒ぎたてる二人にケイが割って入る。ナオはようやく我に返ると、ケイに向かって頷いた。
「なんかね、この町に来てからいつもよりも能力が強いんだ。身体の奥からどんどん魔力が溢れだしてくるみたいで、制御がしにくいの」
ナオは左手を握りしめる。何度か手を開いたり閉じたり繰り返すうちに精霊石の輝きは収まり、指先の火も消えていった。
ナオはほっと眉を下げたが、また瞳に影を落とす。
「さっきだってそう。フレイアの火を防ぐために、私はほとんど全力を出し切った。なのに今はもうだいぶ魔力が戻ってる。怪我の治りだって思った以上に早い」
「確かにそうだな。俺もハルトもここまで大きな怪我をすることは今までなかったが、それでもその回復の早さは異様だな……」
「うん。正直、ちょっと怖いくらい」
ナオは精霊石を隠すようにして左手首を握る。
彼らがスピリストになってから、それほど長い時間が経っているわけではない。能力を得た直後のリサのように突然の身体能力の向上に発狂こそしないものの、それでも十分に驚異的だ。まるで己が人ですらなくなってしまったかのような錯覚を覚えてしまう。
「でも、ここは火山の町だからね。『火』だともしかしたら影響があったりするのかもしれないよ。良い意味でも悪い意味でも」
ハルトが唇に手を当てながら、静かに、しかしどこか宥めるような口調で言う。
「そっか、魔力の属性が似てるなら……」
「ああ」
ナオはケイと顔を見合わせた。
スピリストが扱う魔力は、精霊の霊力と似たところがある。個人の能力の差はそれぞれが生まれ持った属性の差だ。つまり火系の精霊が生まれたこの場所なら、ナオにも影響があるのかもしれない。フレイアのような強力な精霊を生み出せるなら尚更だ。
三人で仲良く唸って考え込んでいる。そんな彼らに、ヒイロが唇を何度かぴくぴくと動かすと、やがて意を決したかのように声をあげた。
「……フレイアもそうだったのかな。お姉さんたちがこの町に来たことも、あの火山も、何か関係があるのかな……」
「ヒイロちゃん?」
ほとんど独り言のような弱々しい声だった。おずおずとナオを見上げるヒイロに、ナオは目を瞬かせる。
「だって、フレイアもおかしいもの」
「おかしい?」
「うん。フレイアはあんな性格だけど、いきなり本気で人を攻撃したりしないわ」
ヒイロは頷く。
口調とは反対に、その言葉にはフレイアへの揺らぐことのない信頼が見え隠れする。
「この町の人に受け入れられているのも、フレイアが優しくてちゃんと話ができる精霊だからだと思う。それかお姉さん、フレイアをよっぽど怒らせることを言ったりしたの?」
「小さいとは言っちゃったけど……」
「それはあるかもしれないけど……」
「あるのかよ」
「あるんだね」
ナオもヒイロも迷いなく答える。それにケイとハルトは寸分違わぬタイミングで突っ込んだ。
しかしフレイアが小さいのは事実である。本人がどれだけ気にしようが、残念ながら彼女の背は伸びない。基本的に精霊の外見は生まれたときから変わらないのである。
「…………」
いささか残念な空気が四人の間に漂う。
怒声が飛んでこないところから、フレイアが近くにいないことだけは間違いないようだ。
「と、とにかくヒイロ、お前は部屋に帰ってろ。勝手に外に出ないように。政府の許可をとって、オレらの誰かがついているようにしよう」
一番早く我に返ったのはハルトだった。口を開けて固まるヒイロの顔の前でぱたぱた手を振ると、彼女は驚きつつも頷く。
「え? どういうこと?」
話が見えないらしいナオが首を傾げている。ハルトはヒイロの手をとるとともに、ケイとナオを促した。校舎内でいつまでも突っ立っていては邪魔でしかない。
「後で説明する。とりあえずヒイロを部屋に送っていきたいんだ」
「ほえ?」
ナオはケイと顔を見合わせるが、返事を待たずに歩き出してしまったハルトを小走りに追いかけた。
「え、あ、あの……」
突然のことに、ヒイロも狼狽えながらハルトについていく。
先ほどとは違い、ハルトはヒイロの手を優しく引いた。その手の温もりに顔まで温かくなった気がして、ヒイロは目線を下げた。
ハルトから告げられたことは、事実上の軟禁である。だがそれでも、ヒイロは安堵した表情を見せた。
「――ありがとう、お兄さん」
ぽつりと、小さな声でヒイロは言う。
ハルトはそれに驚きつつも、短く相槌を返す。その後は皆何も言わず、ヒイロを部屋まで送り届けた。




