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スピリスト-精霊とよく似た異能力者たち-  作者: みぃな
6.火山の精霊、フレイア
137/258

6-16 最後の居場所

***


 初等学校(アカデミー)

 子供たちが各々羽ばたくために、その小さな翼をあたためる学び舎だ。

 一通りの教養を身につける権利が、誰しもにある。

 卒業までの七年間、少しずつ大きくなる翼を大切に守られながら、雛鳥は大空を夢見て期待に胸を膨らませる。

 七色に輝く未来を。無限の可能性を秘めた将来を。悩み、葛藤しながらも、少しずつ探していくのだ。


 今日もまた、そんな学び舎の一日が終わる。午後の授業も終わり、子供たちは銘々に談笑しながらゆったりと過ごしていた。今日は安全を考慮し、親たちが迎えに来るのを待っているのだ。

 そんな中、二人分の大きな足音と、それを掻き消すような高い声が廊下に響き渡った。


「やだ! 離して、離してよっ」


 泣き叫ぶ寸前の少女が、己の手首を掴んで引きずっていく少年へ猛抗議している。少女は首を振りながら必死で抵抗しているようだが、少年が聞き入れる様子はない。力の差がありすぎるのだ。

 それぞれの教室の前を足早に通り過ぎるたび、子供たちが真ん丸の目を向けている。見覚えのない年長の少年が、この学校では知らない者はいない赤髪の少女を拉致していくさまには、皆が驚きを禁じ得ない。


「やだ、行きたくないっ」

「ヒイロ」


 背後で暴れるヒイロを、ハルトはやや苛立った様子で振り返る。


「いいから、早く来い」

「いやっ!」


 ヒイロは赤髪を振り乱して叫ぶ。それでも足を止めようとしないハルトを、もはや噛みつかんばかりに睨みつける。

 階段を降り、さらに続く廊下を進めば昇降口がある。

 ヒイロに明らかな拒絶を向けられ、ハルトは階段の前でようやく立ち止まって振り返った。

 ヒイロは驚いた表情を作るがすぐにまた眉を吊り上げる。

 無言でヒイロを見下ろすハルトと暫く睨み合ったが、やがてヒイロの目には大粒の涙が溢れた。


「私は、政府になんて行きたくないのっ……」


 ぼろぼろと涙を零してそう言ったヒイロに、ハルトは困ったように眉根を寄せる。

 強く掴んでしまっていた彼女の細腕をゆっくりと解放すると、ハルトは泣きじゃくるヒイロの前にしゃがみ込んだ。


「でも、今はここにいるよりも安全だ。それに上手くいけばお前の潔白の証明にもなる」


 ヒイロは腕で目を拭うと、それでも首を横に振る。だが、ハルトも揺らがなかった。

 どれだけ泣かれても叫ばれても、優先するのは任務、つまりヒイロの身の保障だ。

 町の人が言うように、ヒイロが本当に火の玉と関わりがあるのかは現時点では分からない。だが、明らかに不利な立場に立たされているのは彼女だ。

 それならば、ヒイロの行動を一時的にでも制限する。調査の意味ももちろんあるが、この町の政府支部に連れて行き、監視下においた方が良いと判断したのだ。


「いやだ……やだ……」

「そんなに泣かないで。別にずっと支部にいなきゃならないわけじゃないから」

「そんなわけないっ」


 なんとか宥めようとしたハルトの手を、ヒイロは思い切り払いのける。見開かれた赤い瞳が震え、大粒の涙が飛び散った。


「だって、あそこはこれから嫌でも行かなきゃならなくなる。私の居場所が、どこにもなくなってしまう……!」


 喚くように言うと、ヒイロは顔を覆ってさらに泣き出した。ハルトは払いのけられた手をきゅっと握ると、もう一度彼女の頭に向かってそっとのばす。


「……ヒイロ」


 柔らかな髪に触れると、ヒイロはびくりと肩を強張らせる。

 小さな頭を撫でると、小刻みに震えていた。

 泣いている小さな色違いの少女。彼女の姿に既知の人物が重なって見えた気がして、ハルトはそっと目を伏せた。


「……ユウナ」


 口の中で呟いたその言葉は、ヒイロの耳に届くことはなかった。

 そのとき、再び足の裏に振動を感じてハルトは目を開ける。地震だ。


「ヒイロ、動くなよっ」

「きゃっ……」


 ハルトは立ち上がると、ヒイロの身体を引き寄せる。途端、激しい揺れが校舎を襲った。

 子供たちの短い悲鳴が辺りにこだまする。だが、パニックには陥っていないようだ。自分も含め、町にいる人が突然の地震にも慣れてきてしまったことが、ハルトには恐ろしくも感じられた。

 ヒイロを庇いながらじっとしていると、揺れは次第に収まっていく。

 ハルトはほっと肩を下げて天井を見上げた。


「……ごめんなさい」

「ヒイロ?」


 腕の中でか細い涙声があがる。ハルトは抱きかかえていたヒイロを解放した。

 ヒイロは俯いたままだった。だが、肩の震えは地震と一緒に止まっているように見える。


「私のわがままだってわかってる。お兄さんの言うことが正しいのも」


 小さな唇から、静かな、しかしやけにはっきりとした声が漏れる。


「私は親に捨てられてこの町に来たの。だから、私には最初から居場所なんてないから」


 ヒイロの声はひどく抑揚がない。全てを諦めたかのような虚ろな目が、眼前に立つハルトを通り越して何もない宙を捉えていた。


「……わかった」


 気持ちを落ち着けるように一度大きく息を吐くと、ハルトは静かに答える。

 その声音は先ほどとは違って優しげに聞こえて、ヒイロは弾かれたように顔を上げた。

 ハルトは再びヒイロの前にひざまずくと、彼女とまっすぐに視線を絡ませる。

 悲しげで、しかし宥めるように目を細めると、ハルトはヒイロの頭を撫でた。


「お前の気持ちも聞かずに連れ出してごめんな。お前はどうしたい? あのまま何を言われても、お前はそれでいいの?」


 ヒイロは迷わず首を横に振る。


「……かなしい。かなしかった。いつも、何度だって。変われる(・・・・)ものなら、代わって(・・・・)ほしい」

「うん」


 ハルトは頷く。ヒイロを撫でる手は休めない。

 温かい彼の手に促されるようにして、ヒイロはまた一粒の涙を落とした。


「けど、きっと皆の気持ちは変わらない。私がどこへ行っても、何をしてても」

「…………」


 ハルトは答えない。答えられなかった。

 ヒイロもそれを責めたりはしない。ひとりぼっちで彷徨う子猫のように、ハルトの体温に酔いしれていただけだ。

 人の肌に触れたことさえ、ヒイロにとっては久しぶりのことだった。

 一人きりの色違いの少女を見て、触れてくれるのは、自室にぽつんと置いてあるぬいぐるみくらいのものだ。


「今日はもう疲れちゃった。部屋で休みたい」


 ぽつりと、ヒイロは呟く。ハルトももう、無理矢理に彼女を連れて行こうとは思えなかった。

 身よりのない彼女に残された最後の居場所。それがきっとこの学校の寮、つまり自室なのだろう。


「わかった。それで対応できるように考えてみるよ」


 ハルトは立ち上がるとそう言った。驚くヒイロの目の前に手を差し出そうとしたそのとき、甲高い少女の声が彼らの間に割って入った。



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